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まず、私がこのゲームに触れた時の状況である。私はある日の「ゲーメスト」で新作・「DOA」の記事を見た時、はっきり言ってやられた!と感じた。それはティナである。彼女は格ゲーでは初めてのアイドルプロレスラーである。それまでも女プロレスラーはいたがほとんどイロモノで化け物だった。まあ、「あすか120%」や「V.G」にアイドルっぽいプロレスラーはいるが2Dであるし、技的に特筆すべき物がない。つまり、プロレスマニアである私を満足させるプロレスキャラは格ゲーには一人もいなかったのである。ザンギエフも私の中ではプロレスラーではない。
しかし、ティナは違った。前述のようにゴツゴツキャラではなくスレンダーキャラ。しかもグッドフィギュアでアイドル顔である。そして技も凄かった。まさかジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスがリアルなフルポリゴンで見れる日が来ようとは!?
しかも通常投げがデスバレーボムである。その他もフィシャーマンズ・スープレックス、さらにはボディスラム!?である。はっきり言って、ティナほどプロレス魂に溢れた格ゲーキャラは彼女が最初で最後でなのある。さらに他のキャラも個性が際立っていた。女性キャラは美形であるし、男性キャラはヒーローはいないものの、ツボを付いたキャラ、いわゆる「いい味」出しているキャラが揃っている。手数の霞、一撃のジャン・リー、受けのレイファン、投げのティナ、極めのバイマン、大技のハヤブサ、中段のザック、返し技のゲンフーと、技的にもキャラが立ち、そしてヴィジュアル的にも申し分ない。つまり才色兼備なソフトであったわけだ。基盤も多く出回り、セターン版も20万弱売り上げた。スト2やキンタの新作が10万行かない時代にこの本数は、大ヒットとまでは行かなくとも、格ゲーとしては大成功だったわけである。
「DOA」成功のもう一つの要因は初心者への間口である。はっきり言ってバーチャは初心者御免の世界である。特に3などそれが顕著である。しかし、「DOA」はまず、レバーガードで2D格ゲー専門ゲーマーにも間口を用意し、そしてガードボタンはホールドボタンとして相手の技を受け流せるようにした。これは成功だった。というのもはっきり言ってバーチャでは打撃キャラが強すぎる。私のようなプロレスオタクがウルフを使ってもストレスが溜まるだけだ。ブンブン丸のようなウルフ使いもいるが、あれはウルフが強いのではなくブンブン丸が強いのだ。私は「バーチャ2」で本格的にウルフを使ってみて、ブンブン丸が神のように思えた。それぐらい打撃キャラ絶対有利がバーチャにはあったのだ。
しかし、「DOA」ではホールドの導入で打撃を出していれば押し切れるということが無くなり、さらに投げ技の向上・・・投げ技にコンボが合ったり、ホールド扱いの投げがあったり・・・と、投げキャラも打撃キャラと対等に戦えるようになった。無論、「DOA」にも「バーチャ」のように、「相手があの技を出したらこっちはこの技を出せば発生が何フレーム早いので返せる」ということがないわけではない。しかし、「バーチャ3」よりも持ち技がシンプルなことや、ホールドが使いやすいこともあり、対戦が楽しめる、自分よりうまい人間には絶対に勝てない、まるっきり勝負にならないということが多少は回避されている。これは「バーチャ」の複雑化による挫折者を拾う形にもなった。現に私は「3」から「バーチャ」はやっていない。そのような事柄が「バーチャ2を越えた!」と言わしめた所以であり、それはフロックではないと私も思う。
では何故、ギャルゲーなどという汚名(このゲームがギャルゲーとしかみなされない風潮があるもとでは、敢えて「汚名」と言わざるを得まい)を着らねばなかったのか。それははっきり言って、セターンで発売されたからである。
アーケードの時からそのヴィジュアルは注目されていた。バーチャや鉄拳も同人の勢いは凄かったが、それはあくまでゲームが売れたための波及効果である。春麗や不知火舞は単独であった。そんな中で「DOA」は女性キャラ三人とも戦力たり得たことから、「サクラ大戦」発売後、完全にギャルゲー誌と化したセターン専門紙には格好の素材として使われたのである。強調される、いわゆる「揺れ乳」もアーケードの頃からあったし、セターン発売に当たってテクモが様々なコスプレユニフォームを付加したのも紛れもない事実だが、しかし、不知火舞の登場以降、格ゲーにはその手の演出はある種のお約束となり、コスチュームに関しても「お遊び」で入れたとは思えない量である。それにゲーム自体別物と言うほど改良されており、「セターン版を出すから取り敢えずオマケを入れた」といえるような代物でもない。それだけテクモのスタッフが愛情と情熱を持って開発したわけである。
しかし、セターン誌はギャルゲーとして表紙や巻頭に女性キャラのヴィジュアルを載せ続けた。アーケードの時にはギャルゲーと言う認識はなかった。「DOA」がギャルゲーと言う評価を受けたのはセターン専門紙である。無論、20万本というセールスはセターン専門紙の取り上げ無しに、またギャルゲーとして購入したオタク無しには達成できなかったであろうが、それが今度はテクモの勘違いという形で現れるわけである。
「DOA」の悲劇はセターンの悲劇でもある。ギャルゲーは結局ハードを食いつぶすしかないというのは、MSX、PC−E、古くはアタリも証明している。その中にセターンも加わってしまった。「サクラ大戦」が出た時、セターンは終わったのである。そしてドリキャでも相変わらずギャルゲーは出る。そんなことを思いながら、この不幸な格ゲーの将来を私は案ずるわけである。
おいテクモ、まさか新作の家庭用に恋愛モードとかつける気じゃないだろうな?
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