ブレンパワード
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「この世で唯一の、大人に向けたロボットアニメ〜ブレン総評〜。」
 最終的にブレンパワードを見終わりまして、私の感想はまず、「短かった」ということです。始まる前は「富野さんは中弛みするから26話の方がいい」という論評をどこかで見かけましたが、確かにそのような評価も正しいのですが、ブレンは51話で見たかったです。ストーリー自体が51話を前提とした構成になっている気がしました。それはそれで失敗であるとも言えるのでしょうが。
 監督は非常に「脱エヴァ」・「脱もののけ姫」というのを意識してやっていたような気がします。それが少しうざったい場面もありますが、全体的には成功しているのではないでしょうか。これはスタッフにも恵まれたのもあると思います。今回の脚本の面出さんの名前は僕の中に植え付けられました。
 場面で言うとユウとカナンのコクピットでの会話〜「女が母を忘れ、男がそれを許した時地球はおかしくなった」というところ〜と、シラーとの戦闘の後の甲板でのユウとヒメの会話がお気に入りです。あとはキムの出てきた回も秀逸なエピソードだったと思います。ただ、キムのせいでヒメが食われた、という懸念も確かにあります。本来キムの役割はヒメが演じるべきではなかったのかと。つまり、ユウとヒメの関係がうやむや(曖昧、ではなくて)になってしまったということです。キムが好かない人は、彼女によってヒメの役割が失われた〜ストーリーの展開が悪く言えばいびつになったことに違和感を感じているのではないでしょうか。
 あと、やはり最終話は密度が濃すぎますね。展開的には特に文句はなく、非常に心温まるラストだったと思います。それが気に食わない人もいるらしいけど。最終話は2話、欲を言えば3回に分けてもう少しじっくりとやってくれればと思います。
 個人的に好きなキャラはカナンとキム。ヒメは上でも触れましたがキムのせいで食われてしまいましたね。キム・ブレンのスケートやバロン・ズゥのデザインはなかなかよかったと思います。
 
 さて、細かい感想はこのぐらいにして、ちゃんとした評論に入りましょう。先に言っておくと私はブレンが好きです。非常に好感を持っている。エヴァなんかよりよっぽどいいと思っています。見る気が起きない人、見たけど好きじゃないという人はブレンという作品が全体的におとなしく見えるということに関係があるのではないでしょうか。
 アトムに始まったアニメは、長らく子供のものでした。作品の中心はスポ根とロボツトと少女向けです。そんな中でヤマトが一話完結ではない、大河的なストーリーで中高生の支持を得ました。ヤマトという作品自体はロボットは出てこないけれど、内容的にはいわゆるロボットプロレスものと同じようにあちこちに無理がある作品で、続編も無理のある作り方をし続けて自滅しました。マクロスもそうですね。ただ、そういった一話完結ではない物語と、そしてロボットが出てこない、つまり子供向けではないという免罪符によって大きく支持されました。
 その後出たガンダムはロボット作品ではありながら、ヤマトと同じ大河的ストーリー、そしてSF小説や映画に負けない緻密な構成で人気を得ました。そして続編たるZガンダムは前作のファンの意見を二分しましたが、サーガ的な作りをすることによってその後も破綻することなく続編を作ることに成功しました。そういった意味で、ガンダムというのは、アニメの形をしながら、唯一大人に向けられて作られた作品である、と言えるのではないでしょうか。
 例えば、「笑うセールスマン」や「ルパン3世」、そして一連の宮崎アニメなどは、無論大人の鑑賞のために作られている作品でしょう。しかし、あれらの作品はセルフィルムを使っているという意味ではアニメかも知れませんが、文法的にはアニメであるといえるのでしょうか?
 これは難しい議論です。例えば「オタク」という言葉も、本来的な意味で言えば「1つの趣味に対してに非常に執着する人」のことを指し、マニアの日本語訳であるといえます。しかし、実質的な意味は「アニメ・美少女オタク」というものに変わり、英語の「OTAKU」はこの意味しか持ちません。つまり、日本のようにマニアの代わりの言葉としては使えないわけです。そういった意味でアニメという言葉も「セルフィルムを使っている」ということだけでなく、破天荒なキャラクターや物理的・現実的に理不尽な演出をしている作品、という意味が実質的な意味なのではないでしょうか。そういった意味で宮崎アニメはアニメではないのでしょう。
 無論、ガンダムという作品もそういった面で突き詰めていけばアニメと呼ぶよりはSF作品と呼んだ方が正しいのでしょう。ただし、「ロボット」が登場するということ、このことはアニメの特権なのではないでしょうか。ロボットが出てくる作品は実写でも珍しくありませんが、20メートルもする巨大ロボットが戦争をする、これはアニメのみが行っている文法です。それが根底にあるという面では、ガンダムはアニメであり、そして唯一大人に向けたアニメーションであると言えるのです。 
 しかしながら、ガンダムは多くの続編を作っていく中でいろいろと歪みも生みました。スポンサーの展開はあくまで子供に向けたものです。続編を作れば作るほど前作の繋がりなどの足かせも大きくなっていきます。富野さんもガンダム以外はなかなか作らせてもらえず、Gガンダムのように「完全な意味でアニメである」ガンダムも作られたりしました。
 私は、アニメは見ません。そんな子供の見るものを見たいなんて思わないからです。小さい頃からほとんどゲームばかりやっていたのでもともとアニメを見ていないのです。見ても面白いとは思わない。子供向けの幼稚な展開だからです。よく考えればアニメというものはキャラクターで展開する手法であって、ストーリーを期待する人間には面白くとも何ともないのは当然の話なのです。
 けれど、ガンダムだけは見ました。正確に言えばちゃんと見たのはVガンダムが始めてです。当時高校生だった私が何気に見た第一話。その後一話も逃さずに見ました。Vというのはアニメ好きから言わせれば非常に評判の悪い作品です。何故ならキャラクターに頼ってストーリーが展開しないから破天荒なキャラは登場しないのです。でも、私にはどんな小説よりもVは魅力的でした。だからそれからその他のアニメにはまるという事はなく、ずっと富野さんの新しい作品を待ち望みました。Gガンダムは先ほども触れたようにアニメとしてのガンダムです。Wはちょうどその中間だったのではないでしょうか。ですから見ました。
 けれど、ガンダムは先ほども述べたように非常にがんじがらめになっています。そんな中で出た「ブレンハワード」という作品は、大きなしがらみのない中で富野監督が作れた作品なのではないでしょうか。だから破天荒なキャラも理不尽な演出も無いけれど、大人が見るために作られた作品であり、そして巨大ロボットが戦うというアニメの文法を持っている作品なのです。
 つまり、この世で唯一、大人に向けたロボットアニメであるのです。だから、アニメを期待している人にとっては駄作も当然でしょう。最近のガンダムを見てブーブー言っている人は、本来的にはアニメを見る人であってガンダムのようなアニメの体裁を持ったSF作品が好きな人種ではないのです。それをただ、ガンダムという言葉の魔法に囚われて見ているだけなのです。僕はそういった人には過去の作品を題材にしたゲーム〜ギレンの野望など〜が向いているのであって、最新の富野作品を見ても楽しめないのでは、と思います。
 
 僕は「ブレン」の持つ、暖かみ、とても好きです。
 
 最後に、ブレンパワードのテーマというのは「子育て」だったことは間違いありません。しかし、物語としての主旨は「ボーイ・ミーツ・ガール」だったのではないでしょうか。主人公ユウが、ヒメと出会って外の世界に旅立ち、仲間ではあったけど心を通わす事の無かったカナンとわかりあい、キムと出会って行くべき道を見つけ、そして姉の依井子と再開して絆を取り戻す・・・そういう作品だったと思います。
 「ロボットもの」で「ボーイ・ミーツ・ガール」を描く・・・とても素敵なことだと思いませんか?
99/2/25
中村嵐
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