ターンエーガンダム
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「最終総括。」
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もう終わってから3ヶ月が経とうとしている。が、見終わったのが先月だったりする。ひさしぶりに千葉駅に行ってふとラオックスに立ち寄ってみれば秋葉原をいくら探しても見つからなかった後期EDの「月の繭」が売られていて購入してみたりする。先日ハルキノベルスの分厚い小説版を買ってみたはいいけれど読むには気合が入りそうだ。ファミ通のガンダムコーナーが終った。あのコーナーの富野インタビューは今まで読んだインタビューで一番面白かった。アニメ誌の人間の質問は細かい事象(あのキャラはとかあの演出はとかばかりで、しかも決めつけて聞く(かわいかったですねえとか感動しましたとか)のでインタビューする側が感想を伝えて入るだけ。だからアニメ誌はつまらないのかとつくづく思ったね。LDはまだ一巻しか買っていないのだが、最寄の店がDVDに転換していてLD売り場が縮小されていたりしてこの先悩んでいたりもする。
ターンエーがどんなアニメだったかと言うと、実は今までのガンダムの続編で、一番ガンダムらしくなかった、というのがフツーの答えなんだろう。まあ、面白かったけど…。その「けど」の後につくものは人によって違う。結局今までのガンダムを昔のことにしてしまったとか、今回もあまりブチ切れた人がいなかったねとか、主役メカがかほらなかったとか。
エンディングはひさびさに来た。一緒に見た友人と喧喧諤諤言い合った。ポゥを探すためにコマ送りで見直した。私はアニメのデティーるなんかにこだわらないので、コマ送りが出来るからDVDがいい!とか言うようなことはしない(LDはコマ送りしようとすると片面30分しか入らない。エヴァのLDが短いのはこっちの仕様だから)。アニメをコマ送りしたのはエヴァのOPと今回の二つだけである。いや、普通のアニメの人はエヴァを全部コマ送りでチェックしたらしいけどね。
技術的に言えば、これまでのガンダムが昔のことでした、というのはバレバレだったとしても、それをバラしてからまだ10話近く話を作れた構成は上手かったと思う。今までのそう言う感じのストーリーのアニメはそれをバラして終り、というのが多かったけど、今回はグエンを使って盛り上がりをもうひとつ持ってきた。謎の多い作品は、それをバラして「だから?」といううのがほとんど。やっぱ作品はメインストーリーがあってこそ、というのを思いました。批評的にいうとそのぐらい。
今回もキャラが薄かった、という人は多いけれど、それは一回一回お話をちゃんと作ってるから、キャラに頼らなくてもよかったから、だと僕は思う。リリィ・ボルジャーノンのラストとか最高だった。逆に濃いキャラではああいう終り方はできないはず。しんみりと終る。その雰囲気。Gガンダムみたいにストーリーなんかくそ食らえっ!で押し通す作品もある(別に否定しているわけではない。念の為)。ではターンエーがどうだったかというと、ブレンパワードに続いてキャラよりも一話一話のお話、それに拘った作品だったのではないだろうか。そしてアニメではそういう作品は余り好かれない。今回のガンダムが宮崎アニメみたいだ、というのは風景だけでなくて、ストーリーテラーに拘ったから、というのがあるのだろう。なのにロボットが出なくては行けないジレンマ。それはつまり、所詮1stもストーリーじゃなくてメカとかキャラとかで人気が出たんだ、という悲しい結論に行きつく。富野監督がアニメファンに対して、作品ってのはそうじゃないだろ?と半ば高圧的に作っていたのがZ以降のガンダムだ、ということも言える。それはVで頂点に達して、ガンダムファンからは異常なまでのバッシングを食らうことにもなる。あんなに面白いストーリーは無いのだが、昔からのファンをバカにしているなあ、というのが目に付いた。自分が目指しているものとは違うものを求めるファンに対して、半ば喧嘩ごしに作られた作品。
しかし、ターンエーは違った。ブレンパワードで、ある意味開き直って、ストーリーを作るという原点に返った。それをガンダムでやれるのか?と言う時にシド・ミードにヒゲガンダムを見せられて、あのガンダムを手に入れたことで富野監督はガンダムでも開き直ることが出来たのではないだろうか。そして、ともかくもう一度、お話を作ろうという原点。今までのガンダムを、束縛ではなくエッセンスとして使う方向転換である。カプール、ザク、ガンダムハンマー、シャイニングフィンガー。ハリーも引きずったのはマスクだけで、立場はまったく違う。そしてディアナとキエルという、話の中核。だから、ガンダムらしくない。けれど実に富野らしい作品だった気がする。
僕の感想ですか? それはもう、「大満足」の一言。難しいことは、ふと省みる程度でいいのと思う。まだまだ富野の作るものをたくさん見たいゾ。
2000/6/19
中村嵐
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