この小説はせいのHPに載っている「Dreams」の続編です。
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  マリオネット
 

 それは、台風が来る前触れの晴れ間が覗いた、ある日の午前中のことだった。テラスの手摺にふと
んをかけ、リビングでテレビを見ながらくつろいでいるとき、突然雨が激しく降ってきた。
「うげ〜…」
 呟きながら慌ててふとんを取り込む。
「干してる意味ないじゃないかよ」
 誰にともなくそんな文句を言ったとき、家の前にある粗大ゴミ置き場に、そこに本来あるべきでは
ないものが置いてあるのに気づいたんだ。
「ん? …人ぉ!?」
 そう、それはどう見ても人にしか見えないものだった。ぼくはふとんを適当にベッドに投げると、
慌てて外に飛び出した。
「…人、だよな」
 改めて見てみても、それは人だった。髪の長い、ぼくとそんなに年の違わないように見える女の
子。泥まみれで、ともすればゴミと間違えそうにもなるけど…。
「…」
 また何かが始まるのか…。正直ぼくはそう思った。今までの経験上、こういう状況で何事もなかっ
たことは一度もない。とりあえず、ぼくはその女の子を家の中に入れることにした。このまま雨に打
たれるままにしておくわけにはいかない。担ぎ上げると、意外に軽かった。いや、その子が重そうに
見えたというわけではなくて、人間がこんなに軽いとは思わなかったから…。
「う…ん」
 うめき声がかすかに聞こえた。ぼくは女の子の顔を覗き込む。女の子は、さっき雨に濡れたふとん
に寝かせてあった。どうせ濡れてるんだし、まさかぼくが彼女の体を拭くわけにはいかないだろう
し。…想像してしまった。
「ん…」
 女の子がうっすらと目を開けた。
「ここ…は…」
「大丈夫?」
 ぼくが声をかけると、その子は一気に目を覚ましたみたいだった。がばっと起き上がると、いきな
りふとんから飛び出して、部屋の隅でうずくまる。
「…お〜い」
「だ…、だだだだだだだだだだだ誰!?」
 マシンガン…、っと、そういう場合ではない。
「その様子だと、元気そうだね」
 ぼくはくすりと笑うと、わきに置いておいたマグカップを取った。
「とりあえず、これ飲んで体を暖めなよ。話はその後」
「ふえ?」
 呆気に取られたような顔をする彼女。やっぱり、かわいいと素直に思ってしまった。
「はい、ホットミルク。この季節にはどうかとも思うけど、だいぶ体冷えてたからね」
 言って彼女に差し出すと、素直にそれを受け取った。
「飲み終わったらとりあえず体を拭いて着替えなよ。タオルと着替えはここだから。ぼくの服だからサ
イズは合わないかもしれないけど、そのままよりはましだろ?」
 その子は何も言わずに上目遣いでぼくを見ている。特に、その女の子のそういう仕種を見ている
と、上目遣いは女の子の最大の武器ではないかと思えてしまう。彼女は、そのままの姿勢でホットミ
ルクに口をつける。
「あつっ!」
 小さくつぶやくと、その子は、ふー、ふーとミルクを冷ますように息を吹きかけて、再び口をつけ
た。
「…おいしい」
「そう? よかった」
 彼女のその台詞を聞いて、ぼくは笑顔を浮かべて立ち上がった。
「じゃあ、部屋出てるから、その間に着替えちゃいな。また、…そうだな、十分くらいしたら来るか
ら」
 言って部屋を出ようとしたぼくを、彼女が呼び止めた。
「あ、あの…」
「ん? どうした?」
「…ありがと」
 消え入るような声でそう言った彼女は、真っ赤になって下を向いてしまった。ぼくはくすっと笑う
と…。
「じゃ、着替えちゃっておいてね。ノックしないで入るから」
「えっ?」
「冗談。ちゃんとノックくらいするよ」
 そう言って笑ったぼくに、彼女は頬を膨らませた。
「もう…」
「はは…、じゃ、後でね」
 ぼくはドアを閉め、リビングに降りていった。
  コンコン
 自分の部屋のドアをノックしたぼくは、中からの返事を確認するとドアを開けた。
「着替えた?」
「うん。服、ありがと」
 そう言ったぼくに、彼女は笑顔で答えた。その笑顔に、ぼくは鼓動が大きくなるのを感じた。
「へえ、ぼくより似合ってそう」
「え? そう?」
 ぼくの台詞に、彼女はその場でくるりと一回転してみせた。
「さすがにちょっと大きいけどね」
「そりゃあね、だって、ぼく身長結構あるから」
 言ったぼくは、窓の外を見た。
「雨、上がってるな…」
「あ、ほんとだ」
「…ふとん干しておくか」
 ふとんを担いだぼくに、彼女はすまなそうな顔をした。
「ごめんね、濡らしちゃって…」
「気にしない気にしない。どのみちさっきの雨で濡れちゃってたから」
 そういって微笑むと、彼女も笑顔になった。
「雨の中干してたの? まぬけ〜」
「…そういう言い方しないでも」
「きゃはははは」
 その時のぼくの、ちょっとすねたような表情がよほどおもしろかったのだろう、彼女は大笑いして
しまった。
「…ふぅ」
 ため息をついて、とりあえずぼくはふとんを干し直した。空は雨が上がっているどころか、すっか
り晴れ上がってしまっている。山の天気みたいな変わりようだ。高いところにある雲の白さに目を細
めたぼくは、ふとんばさみでふとんをしっかりはさんで部屋に入った。
「さて…、では、質問タイムといきましょうか」
「あ…、はい」
 彼女は、かしこまるように正座した。
「いや、足くらいくずしてても…」
「いえ、まじめなお話をするときにはこうするものだって」
「…俺もするの?」
「まじめなお話なら」
「へいへい…」
 ぼくは彼女に向き合うように正座した。
「じゃあ、まずはお互い自己紹介から」
「あたしはDTE-1、識別番号6-01です」
「…は? 外国人?」
 呆気に取られた顔をしたぼくに、彼女、DTE-1、識別番号6-01は笑顔で。
「いえ、人間ではありません」
 こう言った。
「…まじめな、話だよね?」
「ええ、まじめな話です」
 彼女の目には、ぼくをからかっている様子など少しも見て取れない。本気でそう言っているようだ
った。
「人間ではないって言うと…、ロボットか何かなの?」
「ええ、そうですね。あたしたちはただ単に『機械人形』って言ってましたけど」
「たち?」
「大量生産品ですから」
「…そう」
 どこかしら、彼女の笑顔が寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「あたしたちの本来の形は、まあ、さまざまですね。こうやって誰かとお話したり、子守り役になった
り、愛玩用だったり…。ただ、そのどれにも共通しているのは、あたしたちは本来与えられたプログ
ラムの範囲でしか行動できないことです」
「…まあ、そりゃそうだろうな」
「でも、あたしは…、あたしだけは違った。本来コンピュータのプログラムでしかないあたしの頭脳に
『意志』が生まれてしまった」
 彼女はうつむいた。頬に光るものが流れる。
「…で、逃げ出してきてあんなところにいた、と」
「…信じて、くれませんよね。こんな突拍子もない話…」
「自分で突拍子もないなんて言ってるんじゃあ、信じられなくなりそうだな」
「え…?」
 彼女は、ぼくの言葉を聞いて顔を上げた。青い色をした目からは涙が零れている。
「信じてくれるんですか、あたしの話…」
「期待外れ?」
 ぼくは笑ってそう言うと、わざと軽い口調で答えた。
「ぼくはこう見えても、今までいろんな体験をしてきたんだ。わけのわからないものばっかり。おかげ
で、こういう事態には慣れているし、人の話の真偽を見分ける目もそれなりにはついているつもり
だ。断言できるよ。君はうそをついてはいない」
「…」
 彼女は、いよいよ涙が止まらなくなってきたようだ。ぼくは、ポケットからハンカチを取り出すと
彼女に渡した。
「じゃ、ぼくのほうの自己紹介だね。ぼくは安積武。十八歳、大学一年」
「学校、行かなくていいんですか?」
「夏休みです。わざわざ行きたくもない」
「はあ、そうですか…」
「ま、見てのとおり暇を持て余しているだけだけどね」
 ぼくは、彼女に頭を下げた。
「これから、よろしくお願いします」
「え? あ、ああ…、お願いします」
 彼女も同じように頭を下げかけて、そこで思いとどまる。
「って、何が?」
「君、住む場所とかは?」
「…ないです。って、ええ!?」
「んじゃ、よろしくお願いします」
 彼女は、口を半開きにしたまま固まっている。その表情がおかしくて、思わず吹き出しそうになっ
た。
「さて、まずは…。君のこと、なんて呼べばいい?」
「ちょっ…、ちょっとまってよ」
「ん? 何か不都合でも?」
「いや、いっぱいあるけど…、あなたのほうが…」
「安積武」
「え?」
「あなたじゃなくて。名前はもう教えたんだからな」
「…」
 唖然としたというか、憮然としたというか…、そんな表情を浮かべて、彼女はぼくを見ている。い
や、睨んでいるというべきか。
「武さんのほうが、不都合とかがあるのではないですか?」
 怒ったような口調で(実際怒っているのだろう)、彼女は聞き返してくる。
「別に」
「別にって…、家族のこととか、そういうのは…」
「別に、今家族いないし…」
 ぼくのその返事に、彼女は黙り込んでしまった。妙な誤解を生んだようだ。
「あの…」
「父親は海外赴任、母親はそれについていって、二人は今ごろロンドンの霧の中」
「え?」
 やっぱり、変な誤解を招いていたらしい。ぼくはかまわず続けた。
「姉はぼくと同じ大学生で今は地方に一人暮らし。この家に残っているのは近くの大学に通っているぼ
くだけ。予想と違った?」
「あの…」
「別に、ぼくのほうは不都合なんて何もないよ。むしろ助かるぐらいだ。家のことをいろいろやっても
らえるだろうし」
 そういってぼくは彼女に微笑んだ。
「…二人暮らし?」
「大丈夫、変なことはしないよ」
 彼女の顔は真っ赤になってしまった。両腕をぶんぶん振りながら反論する。
「べ、別にそういう事じゃなくって…! えっと…、その…」
「なにむきになってるの?」
「…むきになんか、なってないです!」
「ふ〜ん」
 彼女は、ふくれっつらをしてそっぽを向いてしまった。
「んで、まだ何か文句ある?」
「…」
「ありますか?」
「…ないです」
「んじゃ決定」
 言って、ぼくは一階のキッチンに向かい、冷蔵庫から缶ジュースを二本取り出した。それを持って
彼女がいるぼくの部屋に戻る。
「はい」
 彼女にジュースを差し出す。彼女は訳が分からないという顔をしてそれを受け取った。ぼくが缶を
開けると、彼女もそれにならう。
「新しくこの家で暮らすことになった…、え〜っと…」
「DTE-1、識別番号6-01です」
「言いにくいって…。ん〜、それじゃ、しき」
「?」
「君の名前、しきでいい?」
「…どこからその名前を?」
「識別番号の、しき」
 彼女、しきが冷たい視線を送ってくる。
「それは、固有名詞じゃないと思う…」
「言いやすそうだからいいでしょ?」
「…まあ、別に反対はしないけど」
「とか言いながら口元が笑っているのは気のせいかな?」
 しきは真っ赤になってしまった。慌てて缶を持っていないほうの手で口を隠す。
「わ、笑ってなんか…」
「はいはい。ま、とにかく、この家に暮らすことになったしきを祝って…」
 ぼくは缶を持った手を高々と頭上に挙げた。しきもぼくの真似をして手を挙げる。
「かんぱ〜い!」
  ガコン
 鈍い音がして、ぼくとしきの缶がぶつかる。上からジュースの雨が降ってきた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 ずぶぬれというわけではないが、二人ともそれなりの量を頭からかぶってしまった。
「…つめって〜」
「あ〜、せっかく体拭いたのに…」
 そんな事をつぶやきつつ、顔を上げた二人の視線が合った。
「…ぷっ」
「くすっ」
 一瞬後、二人の笑い声が静かな家中に響き渡った。こんな風にして、ぼくとしきは出会い、一緒に
暮らすようになった。二人の運命の幕開けである。

 

「四季、塩とって」
 結局、「しき」という名前は漢字変換され、「四季」となった。まあ、口で呼ぶ分にはどうでもいいこ
とだけど。
「は〜い」
「…これは砂糖だよ」
「え? あ、ごめん…」
 意外だったというか、予想もしなかったというか、四季は家事一般については何もできなかった。
これは本当に予想外のことで、家事の分担ができるというぼくの計画は根本から粉砕されてしまっ
た。
「よし…、四季、お皿取って」
「は〜…、って、きゃっ!」
  ガシャン
「…」
「…」
 とまあ、こんな感じだ。まあ、皿を落とすって言うのは、家事のこととはあまり関係がないかもし
れないが…。
「ごめん…」
 本当に申し訳なさそうに四季が言う。
「気にしなくていいよ。これから家事を少しずつ覚えていけばいいんだし…、そのおっちょこちょいの
性格もね」
「…」
 四季は、またも上目遣いでぼくを見てくる。ひょっとして、ぼくがそれに弱いことに気づいている
のだろうか。
「…なに?」
「今時『おっちょこちょい』っていうのは、あんまり使わないように思うんだけど…」
「…反省してるんかい」
 というようなことが多々あったけど、何とか夕飯が完成した。当然、四季の歓迎の意味も含めて、
いつもより豪華である。
「うわ〜、おいしそう…」
「見た目だけね」
 再び乾杯して、ささやかな宴は始まった。
「…おいしい」
「そ?」
「すっごくおいしいよ! うわ〜…」
 四季は感動して涙まで流している。
「な…、泣かなくても…」
「だって…、だって、本当においしいんだもん…」
「わかったわかった…」
「武ってすごいね」
 四季は箸を置いてそう言った。
「ん? 何が?」
「こんなにおいしい料理作れるんだもん」
「いや…、俺よりおいしく作れる人なんて五万といるんだけど…」
「でもすごいの!」
 なにか、よくわからない説得力を感じてしまった。
「あ…、ありがと」
 ぼくがそう言うと、四季はにっこりと笑ってうなずき、また箸を持った。
「これから毎日こんなおいしい料理が食べられるんだ…」
 四季が食べながらつぶやく。
「さすがに、毎日ごちそうとはいかないけどね」
 ぼくはそう返すと、空っぽになってしまった四季のグラスにジュースを注いだ。
「やっぱり、ジュースっていうのはちょっと失敗だったかな…」
「でもおいしいよ」
 ぼくのつぶやきに、四季は注がれたばかりのグレープジュースを口にしながら答える。
「やっぱり、こういう場ではワインだろ?」
「武って未成年でしょ?」
「…まあそうだけど」
 機械人形のわりには、知識が豊富だなという考えが頭をよぎった。そう、四季は機械人形なのであ
る。その時まで、ぼくはその事を忘れていた。だって、目の前にいるこの少女は、どこからどう見て
も人間だから。人間にしか見えないから。この子が機械だといって、いったい何人の人が信じるだろ
うか。せいぜい一万人にひとりいるかどうか、そのくらいの確率だろう。
「どうしたの?」
 四季がぼくの顔を覗いてくる。本当に人間みたいだ。いや、人間なんだ。ぼくはこの時、そう考え
ようと心に誓った。四季は人間なんだ。
「ねえ、武? どこか痛いの?」
 四季が心配そうな表情をしている。ぼくは微笑んで。
「別に、何でもないよ。ちょっと考え事してただけ」
「そう…、よかった」
 それだけいうと、四季はまた食べ始めた。すごく幸せそうに食べている。ぼくは、そんな四季を見
ているだけで満たされていく気分がした。
 程なくして、テーブルの上の料理はすべて食べ尽くされてしまった。四季は満足しきった顔をして
座っている。
「さて、それじゃ片づけるか…」
「あ、私がやる」
 ぼくが立ち上がろうとしたのを、四季はそう言って止めた。
「武が料理作ったんだから、片づけは私でしょ?」
「…割るなよ?」
「わかってますって!」
 自信満々に四季がいったので、安心して腰を落ち着けた時。
「きゃっ!」
  パリーン…
「…」
「…」
 ぼくは無言で立ちあがった。
「…ごめん」
「言ったそばからやるんだもんな〜…。これはやっておくから、早く片づけちゃってね」
 ぼくはそう言ってしゃがみこみ、割れた皿の破片を集め始めた。
「え?」
「早くやれっての…」
 ぼくがつぶやくと、四季は笑顔でうなずき、他の皿を運び始めた。
「終わったら服買いに行こう。まだ店閉まっていないと思うし」
「服って、誰の?」
「四季…、おまえその服も借り物なんだろ?」
「…」
 四季は皿を持ったまま立ち止まってしまった。
「それって…」
「早くしなきゃ閉まっちゃうって」
 ぼくのその言葉に、四季は泣いていいのか笑っていいのかわからないような表情をしてぼくに飛び
ついてきた。
「わっ! 馬鹿! 皿っ!」
 案の定、四季の持っていた皿はすべて床に叩き付けられ、破片となって飛び散った。
「ありがとう…。ありがとう、武…」
 四季は涙を流していた。自分が何をしたかも気づいていないらしい。
「わかったから、とりあえず早く片づけろ。本当に店が閉まっちゃう」
 ぼくはなだめるように言うと、四季が増やしてくれた仕事を片づけ始めた。
 
「ねえねえ、武。似合う?」
 買ってきたばかりの服を着た四季は、ぼくの前でファッションショーまがいのことをしている。
「あ〜、はいはい。似合う似合う」
「…なんか投げやりな態度」
 四季が冷たい視線を向けてくる。
「さっきからぼくがなんて言ってるか、わかる?」
「なんか言ってた?」
「あ〜の〜な〜…」
 ぼくは頭を抱えてうめいた。
「さっさと風呂に入っちゃってくれって、何度も何度も、ひたすら繰り返していたんだよっ!」
「だ〜って〜…」
 四季が甘えた声で言ってくる。見た目だけでもかわいいんだから、こういうことをしないでほしい
んだけど…。
「せっかく買ってもらったんだもん、早く着てみせたいでしょ?」
「…じゃ、もう着たんだからいいだろ。早く入っちゃってね」
「…な〜んかつめた〜い」
 ぶつぶつ言いながら、四季は浴室に入っていった。ぼくは、深いため息をつくとスケッチブックを
取り出した。描くのは、四季である。今日四季が見せた仕種の中で、印象に残ったものを描いてい
く。
「へ〜、うまいうまい」
 ぼくは、その場で数十センチ飛び上がってしまった。後ろから覗いていた四季が肩越しに声をかけ
てきたのである。
「おま…! 風呂入ったんじゃないのかよ!?」
「だ〜って、武ってばあからさまに怪しい態度見せてるんだもん、気になっちゃって」
 言って、四季はぼくの手からスケッチブックをひったくった。
「あ…、おい!」
「ふ〜ん、いろいろ描いてるんだね〜…。あれ?」
 ぱらぱらとスケッチブックをめくっていた四季の手が止まる。
「この女の子、誰〜?」
 思いっきりからかっている口調で四季が言ってくる。開かれたページには、がらくたの上に立つ少
女が描かれていた。
「ねえ、誰? 誰?」
「…っだ〜! しつこいな! 夢に出てくる女の子だよ!」
 怒ったように四季の手からスケッチブックを取り替えしたぼくに四季は、
「ふふっ、かわいい」
  スパーン
「風呂入れ」
 スケッチブックで四季の頭を軽くはたいて、ぼくが言った。
「いたいな〜、乱暴者…」
「次は角でいくぞ」
「は〜い、わかりました〜」
 そう言い残して、四季は今度こそ浴室に入っていった。
「…ったく」
 ぼやいて、またスケッチブックを開こうとした時…。
  ピンポーン
「…誰だよ、こんな時間に」
 呟きながらモニタ付きのインターホンを覗くと、スーツ姿の中年男が立っていた。
「はい?」
『あ、すいません、夜分遅く。この辺りで女の子を見掛けなかったでしょうか?』
 その聞き方に、どこか引っかかるものがあった。わざわざこういう聞き方をするのだから、探して
いる女の子とは、何か特別な事情があるのだろう。そう、たとえば四季のような…。
「そういう言われ方をされましても…。どういう女の子なんですか?」
 ぼくがとぼけた調子でそう聞き返すと、男の表情がどこか凶悪なものに変わった。
『おまえがかくまっている玩具だよ、安積武…』
 背筋が凍る思いがした。慌てて浴室に駆け込む。
「きゃあああぁぁっ!」
 シャワーのお湯がぼくめがけて飛んできた。しかし、そんなことにかまっている場合ではない。
「四季、逃げるんだ!」
「え? 逃げる、って…?」
「おまえを探しに来たやつがいるんだよ! 早く服着て!」
 その言葉で四季も理解したらしい。二人で浴室を飛び出す。
「ようやく見つけたよ…」
 浴室を出たところに、男が立っていた。さっきまで外にいたあの男が。
「ちょっ…、あんた、なに勝手に入ってきてるんだよ!」
「悪いね、私の玩具を引き取ったら、すぐに出て行くから」
 男は四季に手を伸ばした。ぼくはその手を叩き落とす。
「四季は玩具じゃねえっ!」
「熱いね〜、少年」
 ぼくは男にしがみついた。そのまま押し倒す。
「四季、逃げろ!」
「武!」
「は…」
 早く、そう言おうとしたぼくは、突然の浮遊感にそれ以上言葉が出なかった。押さえつけていたは
ずの男に投げ飛ばされ、そのまま壁に叩き付けられた。
「餓鬼が…」
 そういって、男は立ちあがると四季の腕をつかんだ。
「こいつは俺の玩具なんだよ。さあ、行くぞ」
 最後のほうは四季に言ったのだろう。しかし、四季はその腕を払いのけた。
「私は玩具なんかじゃない! 私は、私は…」
 四季がぼくにしがみついてくる。目からは涙を流していた。そう、四季は玩具なんかじゃ…、機械
なんかじゃないんだ。そう言いたかったが、ぼくの口からは何の言葉も紡げなかった。
「…」
 男は、そんな光景をしばらく眺めていたが、口元を歪めると、あごに手を当ててこうつぶやいた。
「まあ、不良品だしな…。いまさら必要なものでもないだろう」
「え?」
 その言葉を聞いて、四季が涙で濡れた顔を上げる。
  バギッ
 …嫌な音だった。その音が、四季の首から発せられたとは思いたくないほどに。男は、四季の首を
握り潰していた。一瞬のことだった…。
「しょせんは屑か…」
 そう吐き捨てて、男はきびすを返した。
「悪かったな、お邪魔して…」
 男はその場を去っていった。後には、瞳に光を無くした四季が、ぼくの上に崩れるように横たわっ
ていた。
「…四季?」
 ぼくの呼びかけに、応えはない。
「四季! おい、四季ってば! 返事しろよ!」
 だんだん涙で声がかすれてくる。叩き付けられた背中の痛みは消えていた。ただ心だけが、死にそ
うなほど痛かった。
「四季…、なあ、四…」
 言葉にならない言葉だけが、口からこぼれ出ていた。そのたびに、心が締め付けられた。
「せっか…、服買ったんじゃ…かよ…。おまえ以外…、誰…着る…」
 言葉が、でない…。苦しさと、動かない四季だけが、ぼくに残されていた。
 

 それから…

 四季は、ぼくの部屋に座っている。その表情は、あの時のほんの少しの希望が残されたままだっ
た。いつかぼくの手で、もう一度四季が笑えるように…、ぼくの道は一本に絞られたように思う。あ
の時買った四季の服は、ちゃんと着せられている。淡い水色のブラウスに、白いソフトジーンズ。も
う少しまともな組み合わせもあったのだろうが、閉店が近づいていたので適当に引っ掴んでそのまま
買ってしまったものだった。それが、四季にはよく似合っていた。

 いつかぼくの手で…。それまでは、四季の笑顔はスケッチブックで静かに輝きつづけているのだろ
う。

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