王道勇者
<表紙> <配役紹介> <用語解説> <目次>
by 中村嵐
11th SCENE 女の憂鬱
「いた、痛たたた…」
ソフィアの天幕。鎧を脱ごうとしたシルディが悲鳴を上げる。カトルとの稽古で痛めた個所に、そっとソフィアが手を当てて傷を癒す。
「一体、どのような風の吹き回しですの? そんなに稽古をなさって…」
「強くなるための鍛練。それだけだよ。…ありがとう、だいぶよくなったよ」
いそいそと鎧を着込む。まだ足腰のしっかりしないソフィアがベットに戻るのに手を貸してあげる。ソフィアがしずしずと語る。
「力とは一朝一夕につくものではありません。あまり性急に力を求めることは、その虜になる危険もあるのですよ」
「…強くなりたいんだ、ボクは。勇者として、全ての人間を守るために、強くならなきゃいけないんだ。いつまでもみんなにお守をしてもらうわけにはいかないんだ」
少し悲壮感のこもったたようなその目に、ソフィアは何も言わない。シルディが出て行くのを見守った後、天井を見上げてすうっと溜め息を付く。
「良いことなのかしら? それとも…」
ソフィアのてのひらに、ふわふわとベスティアが降りる。彼女は首を傾げる。
「無駄、なのでは、ないですか?」
「…そう思いますか?」
「少なく、とも、彼女の使命、は、もう、違います」
その言葉を聞いて、ソフィアは目を閉じる。これからの彼女を思って。そして再び、深く息を付く。
「やはりそうですか…いえ、わかってはいたのです。しかし、まさかとの想いが強くて…私もまだまだ、私情を捨て切れていないのですね…」
「なあ。最近おかしくねえか?」
天幕の中で、豪勢な料理を囲みながら、シモンがそう呟く。ガツガツと食べているレディは気にも留めない。
「べっつに、そんなことないでしょ?」
クラウドはソフィアを気にしているのかどうか、食が細い。そんな彼を横目にしながら、シモンが首を傾げる。
「な〜んか、監視されてるような気がすんだよな…クリフも会いに来なくなったし…」
「気のせいよ、気のせい」
本当はレディも気付いてはいるのだが、彼女自身、ここでのんびりしていたいという気分なのである。シモンだけならまだしも、クラウドまでもがハチャメチャな行動に出ようとしている。レディはいい加減嫌気が差してきていた。
「…こ、この感じは!?」
突如クラウドが目を見開く。シモンとレディは呆気に取られる。
「ソ、ソフィア殿!? こ、こうしてはおれぬ。会いにいかなければ!?」
じたばたと暴れ始めるクラウドを気味悪く感じながら、シモンがレディの耳元でささやく。
「ど、どうしたんだ、こいつ?」
「まあ、確かに今、この陣地で回復魔法を使ったような感じはあったけどさ…別にこの部隊、神官は多いみたいだし…」
「しかし、ソフィアが帰ってきたなら、シルディだって帰ってきてるはずだし…む!?、そうか、そういうことか…」
突如としてシモンの表情が変わる。悪巧みを思い付いたようなその顔に、レディが心配そうな声を出す。
「シモン?」
「クリフの奴め、シルディが帰ってきたことを隠しているんだ。そうでなければ、シルディを転移させた塔に急いで向かっているはずだ。ここで何日も待機しているということは、それは行軍する必要が無いからに違いない」
「そうであれば、性急にお会いしなければっ!?」
血相を変えるクラウド。あまりの彼の変わりように、レディが眉を歪める。シモンの方は、彼を制するように手を挙げた。
「まあ、待て。奴等はこちらがまだ気付いていないと思っているはずだ。ならばそれは隙になる。取り敢えず今は知らん顔をして…今晩、決行だ」
ニヤリと笑うシモン。それに応えるクラウド。精力をつけるつもりなのか、二人揃ってガツガツと食べ始める。レディが額の前を抑えた。
「…私、考え直そうかな、このパーティー…」
「御報告致します。東の搭の瓦礫からは、キュベレらしき遺骸の他は見つかりませんでした」
ところかわってミルキーの陣地。本陣の椅子にどっかりとすわるミルキーにジャンが報告する。返事はない。ジャンがそっと顔をあげると、ミルキーはこの上なく怒りに満ちた顔で震えている。視線を逸らすジャン。
「…それで、カトルはどこに行ったのじゃ?」
「そ、それがしにはわかりかねます」
「だったら、とっとと探しにゆかぬかっ!?」
「ハ、ハハッ!」
頭を床に擦るようにしながら本陣から退出するジャン。外で待ち構える部下たちに向かって叫びかける。
「赤毛の剣士を連れてこいっ! 褒美は姫直々から下ろうぞっ!」
喚起の雄叫びをあげてベオウルフたちが散っていく。ジャンはやれやれと溜め息を付く。
「姫さんの面倒見るのも楽じゃねえな。ま、出世の道なんてそんなものか…」
本部に一人たたずむミルキーは、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
「ったく、あのバカは…勝手に他軍の姫なぞ助けに行きおって…自分の立場をなんと心得ておるのか…ほんにしょうのない奴じゃ…」
ギリギリと歯を鳴らす。やり場の無い怒りに、ミルキーは立ち上がると上を向いて叫んだ。
「早く帰ってこんかっっっ!」
夕暮れの川辺に、カトルがすわっていた。ぼんやりと景色を眺める。鎧の穴から、キルシュが顔を出した。
「ねえ、あたしお腹空いたんだけど?」
カトルは無言だ。もっとも、自分一人で飛んでいってもいいのだが、こう人が大勢いるとこでは庇護者を持たないと意外と危ない。特に人間は自分以外の種族を虫けらの様に扱うから、こういうたまにいる人畜無害な奴の側にいるのが一番安全なのだ。それに加えて強いのだから文句はない。
陣地の方からシルディが近寄ってきた。キルシュは穴の中に隠れる。
「どうしたの? 御飯の支度、出来たけど?」
「うん…」
上の空。シルディはその横に寄り添った。クリフに見られたら何か言われそうだが、構うものかという心構え、シルディの中にも出来つつあった。
「さっきクリフに呼ばれてたみたいだけど…なんか言われたの?」
「それとはまた別だけど…クリフには、ミルキーを殺さなかったのは甘い、と言われたよ」
「…それは、ボクもそう思う。いつかは戦うひとになる相手だよ。例えカトルが戦わなくとも、ボクが戦うことになる」
カトルは何も言わず夕日を見つめている。悲しそうでもなく、ただ普通の顔で…強いて言えばちょっと疲れたような顔をしていた。シルディは膝を曲げて、小さくなるようにしながらカトルに聞いてみる。
「ねえ…もし、私とミルキーが戦うことになったら…カトル、どうするの?」
自分でも何を聞いているのだろうと思う。しかし、カトルは迷う風でもなくあっさり答えた。
「戦いのレベルを見てみないとわからないけど、取り敢えず勝った方と勝負してもらおうかな」
「…え?」
余りにすっとんきょうな答えに、シルディは、そして鎧の中で黙って聞いていたキルシュが呆然とする。カトルは独り言に様に呟く。
「勇者にされるのも、いい加減面倒になってきたなあってのが、今考えてたことだよ」
「め、面倒って…そんな…」
「ミルキーを助けた理由を、クリフは無抵抗だからと決め付けてたけど…それ自体間違っているんだよね。それをあそこで討論したって、あの人に理解してもらえるはずも無いし、理解してくれなくって結構だけど…だけど人に勇者の役目を押し付けるのはどうなのかなあ。僕にしてみれば、あの人の方がよっぽど悪魔に思えるよ、実際」
「そ、そりゃあ、確かに厳しいとこはあるかも知れないけど…そんなことはないよ、クリフはクリフなりに人間の未来のことを考えて…」
「…だから、それが僕には関係ないことなんだけどね」
「カトル。本意じゃないとしても、勇者と呼ばれる人が、そんなことを…」
「弱いから」
「え?」
唐突な言葉に、シルディは戸惑う。カトルにすれば、あまり余計なことは言いたくなかったのだが、先程言いかけてやめたことを一気に言葉にする。
「ミルキーを殺さなかったのは、弱いからだよ。いくら魔力があったとしても、あのぐらいで戦意を喪失するような未熟者を斬るためにこの剣はあるんじゃない。弱いものと戦うことなんて、僕には無意味だよ。ミルキーを殺さなかったんじゃなくて、戦うのをやめただけ。その違いは僕の中にはしっかり、ある」
何か、凄いことを聞いているような気がする。とにかくシルディは頭と気持ちを整理させようとする。…させようとして、ひとつの疑問が浮かんだ。
「…じゃあ、カトルは、この島に何をしに来たわけ?」
「無論、ゲオルグを倒すためだよ」
「魔族だから?」
「違うよ」
答えはしっかりとわかっている。でも、それを言うのは恐かった。きっとカトルは何の疑いもない顔で、もしかしたら笑顔さえ浮かべてそれを肯定するのだろう。恐い。全ての価値観が壊れてしまいそうで、目の前のカトルが遠くに行ってしまいそうで…恐い。心臓の音が早い。でも聞かずに入られない。
「…ゲオルグが、強いから?」
「少なくとも、今僕が知っている中では一番強い相手だね。本当はマリオンの正体を探るっていうのもあったんだけど、壊れちゃったし、魔族の作ったものじゃなかったみたいだから、今はもう、それだけだね、この島にいる理由は」
シルディは自分の体から力が抜けていくのを感じる。颯爽とした赤毛の勇者。伝説の秘剣を操り、数々の魔族を討ち果たした誇り高き英雄。その想いが、全て崩れ去っていく。
「じゃ、じゃあ、他の魔族を倒したのも?」
すると今度はカトルが目をバチクリさせる。首を傾げて困っていた。
「他の魔族って…僕はあと、アローンぐらいしか倒してないけれど…」
「だ、だって、ハベル山の魔竜とか…」
「…人食い熊は殺したね、その山で」
「そ、それじゃラトルを支配していた魔族の王を討ち取ったのは?」
「ああ、あれね。あれは別に普通の人間だったよ。年貢率9割とかいう凄い暴君だったけど。みんなは魔族が化けてたとか、悪魔に取り付かれていたとか言ってるけどね」
何か気が遠くなっていくような気がしてきた。何を言っていいのかわからずにいると、今度はカトルの方が聞いてきた。
「僕のこと、いろいろ聞いたことがあるみたいだけど、なんて聞いたの?」
「…数々の剣技を操る、赤毛の勇者、ってのが一般的だけど…」
「赤髪鬼は?」
どうもカトルの話は飛び飛びだ。シルディはちょっと困りながらも、知っていることなので答えてあげる。
「そ、それはあれ、レザリア皇国の犯罪者じゃないか。アドレアにも指名手配書が届いていたけど…」
「どんな人相書きだった?」
「えっと…赤毛でけむくじゃらの大男、だったけど?」
「それ、僕だよ」
「は?」
思わずきょとんとするシルディ。カトルはにっこりと笑う。事態に気付いて、シルディがカトルを指差しながらあとずさる。
「せ、せ、赤髪鬼が…カトル!? そ、そんな!?」
「まあまあ、そう慌てずに…」
「慌てずにって!?」
「手配書には、罪状はなんて?」
「レザリア皇国騎士団長、百年に一人といわれた剣豪・ミルヒホフを夫妻もろとも殺害し、彼の持っていた名剣を奪って逃げた…」
「これがその名剣だよ」
カトルがクリスタル・ソードを半分抜く。思わず唾を飲むシルディ。自分が恐怖でブルブル震えているのがはっきりとわかった。
「人間ってのは勝手だよね」
「…勝手?」
「魔族を倒せば勇者と崇め、人間と試合をして殺せば、犯罪人。たまらないよね」
「し、試合って…」
「そう、ミルヒホフのクリスタル・ソードと、僕のクレリア・アーマーを賭けて御前試合をしたんだ」
カトルが川の方を見やる。感傷に耽けるような、そんな感じだった。
「強かったよ、ミルヒホフは。間違いなくアーロンより強かった。もしかしたら今の僕より強かったかもしれないね。それでも勝てたのは、ミルヒホフが手加減していたからさ。まさか、一国の騎士団長たるものが、14歳の少年を斬り殺すわけにはいかなかったってことかも知れないけど…平たく言えば舐めてたのかもしれないけどね。でも、さすがに僕も、手を抜いて倒せるほどには弱くなかった。試合が長引くに連れ、ミルヒホフの勝利を信じて疑わないコロシアムの観客から罵声が挙がり始める。彼の顔に焦りが浮かんで、勝利を決めようと剣を振り上げる。それが、決定的な隙を産んだ。ねえ、シルディ。弱い人間が、自分より強い相手を倒すにはどうしたらいいと思う?」
「そ、それは…」
「…殺すしか、ないんだ」
ごくりと息を飲む。額に汗が流れているのがわかる。カトルは、静かに結末を告げる。
「次の瞬間、ミルヒホフの首が砂地に落ちた。僕は返り血で真っ赤になったよ」
カトルが左の手甲を外す。ぱっくりと、刃物で切られたようなに深い傷が手首から肘の手前まで伸びている。思わず指を触れるシルディ。
「その時受けた傷だけど、ちっとも消えないんだよね」
その傷をなぞると、激闘の余韻が伝わってくるような気がした。3日前の夜は気付かなかった。シルディはちらっとカトルをうかがうが、傷を触られるのを嫌がっている様子は無い。
「クリスタル・ソードを拾って帰ろうとしたんだ。そうしたら、後ろで悲鳴が聞こえたんで振り返った。…最上段で観戦してたミルヒホフの奥さんが飛び降りたんだ。そして次の日、国中に僕が指名犯として告知された。でも、子供に試合して負けたとは言えなかったんだろうね。大男が夜道を襲ったってことになっていたから、さっさとレザリアを後にして、そしてアローンを討ち取ってからは勇者となって…ほんと、人間には振り回されっぱなしだね」
その人間という言葉がやけに他人行儀で、思わずシルディはぞっとする。触れる傷から、指先に伝わる様々な想い。驚きと共に、カトルの悲しみが伝わってきて、なんともいたまれない、そんな気持ち…。
「で、でも、そんな手配書、何の役にも…」
「一度レザリアの騎士と戦ったことがあった時、僕も聞いてみたら、『お前の首は我々レザリアの騎士が取るのだ。他国の助けは借りぬ!』とか言ってたね。要するにそれも見栄だよね。矛盾する二つの見栄を、平気でやっている…何が善で、何が悪なのか…」
「でも、私のことは助けてくれたじゃないか…悪を倒すために戦っているよ、カトルは」
「そうしたら、ゲオルグを倒した後は、戦争をしている全ての人間の国の王を倒しに行かなくちゃいけなくなるね、僕は」
「そ、そんな…」
「…力有る者が、弱い命を守る。それが力の存在理由だと、師匠に教えられた。僕はただ剣を鍛えるために旅をしている。力を手に入れて、どうしようとか、考えたことはないし、師匠の言葉が正しいかどうかさえわからない。でも、師匠のことは尊敬しているから、ただその教えを守っているだけさ…」
力の存在理由。重い言葉だ。ある意味では自分も大きな力を持っている。たくさんの部下がいる。彼らを動かす力を、持っている。その、理由…自分にはわからない。
「…お師匠さんは、どうしてるの?」
するとカトルがふっと笑う。その意味がわからずにシルディが首を傾げる。
「死んだよ。処刑されて」
「処、処刑って…」
「その年は希に見る大飢饉だった。僅かに取れた穀物を、全て領主は持っていた。当然農民は飢える。子供・老人から先に死んでいき、大人たちは雑草を食べて飢えを凌ぐ。そして春になったら、生き残った農民に莫大な利子を付けて種籾を貸すんだ。そうでなければ次の秋の収穫が無い。かといって種籾の分を残していったら農民が食べてしまう。それが貴族のやり方だと師匠は言っていたよ」
自分の国にも飢饉はある。報告があれば、税を下げたり、食料を配ったりしているはずだ。しかし、それがどこまでの農民を救っているかなど、自分にはわからない。
「師匠は倉を襲って全ての穀物を農民に撒いた。そして僕を呼んで、今すぐ旅に出るように言われた。農民を殺したのでは、税収が減る。農民は殺さず生かさず、それが治世の基本だからと。しかし、自分の関係者であるお前は見せしめに殺されかねないから、逃げろと。自分まで逃げれば、多くの農民が殺されるが、自分が首謀者として処刑されれば、最低限の被害で済むはずだと…風の噂では、師匠を含めて5人が処刑されただけで済んだというふうに聞いているよ」
夕日が川を染めている。山は既に暗がりを帯び始めて、風が闇の香りを運んでいた。
「師匠が正しかったのかなんて、わからない。自分に師匠と同じことが出来る勇気だって無い。魔族の姫を助ければ、裏切り者の様に罵られ、人間の姫を助ければ勇者としてもてなされる。でもきっと、それは勇者じゃないよ。勇者という言葉が本当にあるのなら、それは師匠こそが本当の勇者だと思う。だから、人のために犠牲になる勇気なんか無い僕は勇者なんかじゃない。いつだって、自分の力でなんとかなる範囲でしか、人のことなんて助けないから。自分を捨ててまで人を助けようとしたことなんか一度も無い。ただ、力を求めるままに旅をする、勇者と呼ばれ、鬼とも呼ばれる、ただの旅の剣士だよ、僕は…」
それっきりカトルは黙る。シルディは彼の傷痕に手を添えたまま、ただ黙って、クリフが呼びに来るまで彼の側にいた。
夜更けの、ソフィアの天幕。地図を広げて、これからの指針を相談していると、唐突にクリフが立ち上がった。
「どうしたのです?」
「…カトルが出ていこうとしています。そうだろうと思って風の精を見張りに付けておいたのです。ちょうどいい、あいつの根性、叩き直してやります」
「およしなさい。カトル様の方がお強いのですから、怪我をするだけです」
「姉上、カトルが出ていこうとしているのですよ !? それに僕だって伊達に何年も剣を学んでいるわけじゃありません。ここ数日のシルディとの修行を見て、彼の剣筋も見極めました。それに奴は、ただでさえシルディを傷つけたばかりか、あまつさえアドレアを捨てようとしている。こんなことが許されるのですか?」
「けれど、カトル様の方から出ていってくれるのですから、彼を王にする必要がなくなります。それはあなたにとってもっともよろこばしいことじゃなくて?」
「当然です! しかし、今のこの状況で、彼以外に誰を王にするというのです!? それにシルディではゲオルグは倒せません! 現状では彼に一番可能性があるのですよ?」
「…彼のおかけで、シルディ様にも勇者としての自覚が芽生えてきましたし、折をみてシルディ様には女王となってもらいましょう。アドレアでは例の無いことですが、他国ではそう珍しいことでもありません」
「しかし、それでは御剣が!?」
「確かにカトル様を王にすべき理由は多々にあります。しかし、その逆もまた、然り。カトル様は悪いお方ではありませんが、彼が王になれば間違いなくアドレアは混乱するでしょう。手は打ってありますから、ここは私に任せなさい…」
夜道を走るカトル。その先導にはキルシュが立って、光輝いて闇の森を照らす。
「こんなことして、キルシュは女神様に怒られないの?」
「別にアドレアを助けろなんて指示は受けてないもん。それにゲオルグを倒そうとしているあんたについてることはアウロス様の御意志にも繋がるし、もっとも、もし怒られて天界に連れ戻されるなら、その方がよっほどいいわよ、実際問題。こんな空気が汚い地上界に、いつまでもいたくないわ」
「まあ、それならいいけど…」
「そういうあんたこそ、一国の王子…ぢゃなかった、姫とヤリ逃げしていいわけ?」
「あんまりそういうことばっか言ってると、立派な大人になれないよ」
「バカ! 私はあんたよりずぅ〜〜〜っと年上よ!?」
するとキルシュが立ち止まる。こんなところで口喧嘩をしているわけにはいかないのだが、しかしキルシュは前方を見据えたまま動かない。カトルは剣の柄に手をかけた。
「こらこら。私を斬ってどうするつもりだ?」
闇から姿を現したのはエクレアだった。顔には不満の色がありありと浮かんでいる。
「どうしたんです、こんなところで?」
「お前に付くようにソフィア様に言われたのだ!」
呑気なカトルに、思わずエクレアは怒鳴りつける。しかし、二人の調子は相変わらずだ。
「ほら、やっぱりそうじゃないの? どうりで簡単に抜け出せたからおかしいと思ったのよ」
「そうか、見逃してくれたのか…でも、僕なんかに恩を売ってどうするつもりなんだろうな?」
「人間の考えることなんて私にはわからないわよ」
悲壮感というか、罪悪感というのか。平時の様な調子の彼らに、エクレアの血圧は上昇しっ放しになる。
「…言っておくが、カトル! 私は認めんからな!」
「…あんたんとこの姫とヤッちゃったこと?」
キルシュの言葉に、エクレアの顔が真っ赤に染まっていく。
「て、天使の卵ともあろうものが、なんてはしたない!?」
「はは〜ん、さてはあんた、彼氏作ったこと、ないでしょお?」
「バ、バカモノ! 私はシルディ様におつかえすることを第一として…」
「まあまあ、ともかくここは危ないですから、早く抜けましょう」
そういってカトルが歩き出す。二人は呆れ顔だ。
「…あんたのせいで喧嘩してるんでしょうが…」
「よりによって、どうして私がこんな役を…」
ブツブツ文句を言いながら後に付くエクレア。しかし、何かの気配に気付いて草むらに剣を振るう。
「キャア!?」
「…レディ殿? どうしてこのような場所に…」
「だ、だってシモンもクラウドも暴走しちゃってもうついていけないんだもの…それで、陣地から抜け出したら、ちょうどエクレアを見かけたからついてきたんだけど…アハッ」
「いや、笑われても困るんだけど…」
「ちょうどいいから、三人と一天使で行きましょうよ」
「わーい、カトル君、ありがとっ!!」
「それじゃあ、北の塔に向かって出発しましょう」
「はいはい、どこまでもお供いたしますわよ、勇者様」
カトルの後ろをふわふわとキルシュが飛んでいく。しかし、後続が続かないので振り向いた。
「どうしたの、あんたたち?」
「き、北の塔って…魔神がいるって言う!?」
「カ、カトルはこの島から逃げ出すんじゃないの!?」
そして、二人は顔を見合わせると同時にこう呟いた。
「…死ぬかも、しんない…」
「あ〜あ、つまんないなあ。なんにもしちゃいけないなんて。いくら人柱にするからって、ちょっとぐらい手を出したっていいじゃないね?」
自分のベットの上で転がりながら、ティアラが駄々をこねている。水晶球の上に停まっている、3本足のカラスが声を上げる。
「ケッー、カッテシタラ、ゲオルグサマ、オコルオコル」
「うるさいわね、ライタ。焼き鳥にするわよっ!?」
「ケッー、ライタ、ショクヨウチガウ、マズイマズイ、ケッー」
ティアラが水晶球を引っ張るとライタはパタパタと部屋を飛ぶ。ティアラは首を捻った。
「カトルが北の塔に向かった以外は、アドレアもミルキーも相変わらず動かないのよねえ。それより、やけにアドレアの陣地でムーアの力が強いのは何故かしら?…ねえ、シルディって結婚してたっけ?」
「オウジ、ハーレム、オンナイッパイ、ケッー」
「そっか、そうよねえ。うふふ…それってサイコ〜におもしろ〜いっ!! さっそくブラットのオジサマに教えてあげよっと!」
「三日目だってのに、今日も来ないのか…」
シルディが寝返りをうって天井を見つめる。昼間のカトルの話。ショックといえばショックだった。でも、彼が悪いことをしているというわけじゃないし、彼の力を自分が導けばいいのだ。そう結論づけて、今はもう落ち着いた。布団を被って枕に顔を埋める。
「寂しくなんかないもんね〜だっ!」
すると入り口の方で物音がする。シルディが顔をあげる。反応はない。体を起こす。
「…誰、カトル?」
その瞬間、シルディは両手首をつかまれ布団の上に押し倒される。ぎらぎらと燃えるシモンの目。
「従者さんには寝てもらったからな。あんな小男の名前を呼ぶとは悪い子だ。みっちりお仕置きしてやる!」
「は、離せっ!」
そうは言いつつも、あまり抵抗しないのでシモンは少し拍子抜けしていた。まあ、暴れないのに越したことはない。するとシルディが、かくんと首を横に倒す。
「…カトルはもっと、優しかったよ」
「ヌハハ、オレ様がもっとワイルドなよろこびを…って、何っ!?」
驚きの余り、シモンがあとずさる。シルディは身だしなみを整えると落ち着き払ってこう告げる。
「このままお引き取りくだされば他言は致しません。どうかこのまま…」
「カ、カトルの奴め…あどけない顔をして、こんないたいけな少女に、なんてことを…」
「あなたが言うな、あなたが…」
「カーッ! このオレ様が神に代わってオシオキしてやるっ!」
「ちょ、ちょっと!」
シモンは天幕をぶち破って外に出る。側にいた兵の首をつかんだ。
「カトルはどこだ!?」
「そ、そこの天幕です…」
その兵士を乱暴に突き飛ばすと、その天幕になだれ込む。腰の魔法剣を抜いた。
「天誅っっっ! ん?」
もぬけの殻だ。シモンは激昂した。
「カトルめ、逃げたな? その首切り落としてやるっ!」
「こ、こら、置いていくなっ!?」
シモンは猛ダッシュで外へ走っていく。その後ろを慌ててクラウドがついていく。シルディは遅れてカトルの天幕に入って狼狽する。
「カ、カトル!? おい、エクレアを呼べっ! 追いかける!」
「し、しかし…」
従者は口篭もっている。シルディは怒り出す。
「いいからさっさと呼んでこいっ!」
「そ、その、エクレア様は特務に…」
「特務? そんなものは聞いて…まさか?」
「…シモンが出て行くのも、計算済みだったのですか?」
「さあ、それはどうでしょう?」
そう言ってソフィアは笑う。苦虫を噛みながら、クリフが椅子から立ちあがる。
「来ましたよ、問題児が」
「ソフィア! カトルを行かすなんて、どういうつもりなんだ!?」
天幕に入ってくるなり怒鳴りまくるシルディ。ソフィアは抗弁せずに淡々と理由を述べる。
「そうはおっしゃりましても、どちらにしろカトル様はお旅立ちになる運命であられたのです。ならば喧嘩別れするよりも、そっと行かしてあげた方が戻ってきやすいと存じまして…」
「それならそれで、どうして僕に相談しないんだ!? それになんでエクレアなんだ!?」
「それはあやまります。しかし、事が急だったものですし、信頼できるものを付けるとなると彼女が適任でしたので…彼女には連絡役の風の精を持たせてあります。王子が望むのならば、軍の進路をそちらに向けても構いませんし…」
「そうじゃない! なんで女をつけたんだと聞いているんだっ!」
さすがのソフィアも、そのような言葉は想像していなかった。クリフは頭を抱える。ソフィアは咳払いをするとシルディを見据える。
「シルディ様、あなた、本当にカトル様のことを好いておられるのですか?」
「な、何を急に…」
「勢いだったのでしょう?」
「だ、だから何が…」
「ごまかしても無駄です。御剣が、カトル様をお選びでございますのよ?」
言葉を失うシルディ。そんな単純なことにも気付かなかった自分の迂闊さに心が揺れる。クリフがここぞとばかりにまくしたてる。
「最近の王子の行動は軽率過ぎます! このままではカトルを王にする以外ないのですよ? 王子、この三日間カトルと剣を交えて、一体何本取れたのです? あなたは北斗まで使って、相手は木刀だというのに…ゼロですよ、ゼロ! これではゲオルグを倒すなどと、夢のまた夢です。あんな腑抜けにゲオルグの首を取られたら、アドレア末代の恥です!」
「カトルは腑抜けじゃないっ!」
「魔族を切れぬ者が、腑抜けじゃなくてなんだというのです!」
「彼は勇者だ! 確かに人と魔族は敵対している! どちらかが滅びるまでその争いは続くだろう。でも彼は、魔族に対して剣を引いた。争いを避けるためにだ。それは勇気ある行為じゃないのか!? すべてを破壊するのが勇者なのか!? 答えろ、クリフっ!」
「魔族を討ち果たすのが勇者です。そうやってあのような流れ者に感化されて!」
「恋かどうかはわからない。でも、僕は彼を人間として尊敬する。寝たことも後悔していない。少なくとも、お前みたいな堅物より、優しくしてくれる男の方が好きだ!」
クリフは言葉を失った。興奮していたシルディは、やがて自分の言葉が恥ずかしくなったのか、別の理由で赤くなっていった。クリフがぽつりとつぶやく。
「アドレアも、もう終わりか…」
「そうでもありませんよ、クリフ」
黙って二人の話を聞いていたソフィアがそう告げる。クリフはソフィアに対しても怒り出した。
「姉さん、どうして先程からそうやって平然としているのですか?」
「落ち着きなさい、クリフ。私たちの使命はなんですか?」
「何をいまさら…御剣と、姫宮のお世話をすることです」
「姫宮の使命は何です?」
「もう、姉上は…御剣を呼び出すことと、新たな御子を授かることです」
「ならば、問題ないですわ」
「何がですっ!? ふざけるのもいい加減にしてください!」
それこそソフィアに突っかかる勢いのクリフであったが、姉が寂しそうな表情を見せたので一瞬勢いが止まる。そこにソフィアが淡々と言葉を繋げる。
「クリフ、あなたには悪いけれど…シルディ様のことで、ひとつだけ隠していたことがあるのです」
「ぼ、僕?」
シルディが思わず緊張する。クリフの顔が見る見る青ざめていく。
「そ、そんな姉上…隠し事なんて…」
「だってまさか、男のあなたに、シルディの月経周期なんて教えるわけにはいかないでしょう?」
「ソ、ソフィア、何を言い出すんだよ!?」
シルディには一瞬目をやっただけで、ソフィアはクリフを向く。彼は明らかに動揺していた。
「納得してくれる、クリフ?」
「納得も何も…そ、そういうことでしたら、別に秘密にされていても構いませんが…そ、それが今の話に…何の関係があるのですか?」
「そういうわけで、ドンピシャですのよ。残念なのやら、めでたいのやら…」
「…姉上、それって、まさか…」
「ど、ドンピシャって…」
「ベスティアが、御子の誕生を祝うムース様の祝福の光が満ちておられるとおっしゃってますし…」
シルディがへなへなと床に崩れる。クリフも動揺してソフィアに聞き直す。
「あ、姉上。シルディが…その…3日前ですよ?」
「周期はあくまで間接的なことです。私もムーア様の祝福には気付いておりましたが、それがなんなのかはわからず…思い当たるのはそれだけでしたが、私だってまさかと思ってましたし…けれど、先程ベスティアがそうであるとおっしゃったので、私もはっきりわかったのはつい先刻です」
「し、しかし姉上、本当に間違いないのですか、それは?」
「…これで御子が成人するまではシルディ様に摂政に立ってもらえばいいでしょう。それにカトル様にゲオルグが倒せたのならば、父親というふうにして広めればいいのですし…わたくしだって、カトル様が王になられては困りますもの。万事がちょうどいいと思いません?」
「ま、まあ、それはそうですけど…」
クリフはシルディに目をやる。彼女は、自分のお腹のあたりに手をやりながら、茫然自失としていた。
「アハハハ…面白いではないですカ!?」
ティアラからの手紙を破り捨ててブラットが笑う。何事かと配下たちが慌てる。
「シルディの妾が身篭ったですカ? 面白い! フロートと同じ苦しみを味わせてあげようではないですカ!? もしかして、これが『神の思し召し』って奴ですカ? ハハハ、アッハハハ!」
by 夢☆幻
12th SCENE 愛の行方
「……けど!」
しばしの呆然自失状態から回復したシルディが声を張り上げる。
「だからって、ボクに黙ってカトルを行かせることはなかっただろう!?」
「別に私は、カトル様に『シルディ様には黙って旅立ってください』などとは申しておりませんわよ? カトル様が旅立つ前にシルディ様に挨拶をしなかったのは、カトル様御自身がその必要はないと判断されたからではないのですか?」
激昂しているシルディとは対照的に穏やかな表情と口調でソフィアがそう言う。ぎりっとシルディが奥歯を噛み締めた。
「っ! 何が言いたいんだ!? ソフィア」
「シルディ様が思っているほど、カトル様はあなたに執着を抱いていない、ということですわ。別に、単に遊ばれて捨てられただけ、とまでは申しませんが」
「ソフィア!!」
シルディが右手を振り上げる。避けようともせずに彼女の平手打ちを頬で受けとめ、ソフィアがにっこりと微笑んだ。
「かっとなるということは、少なからず図星を突かれた証拠ですわね。自分でもそんな不安は持っていたんではないですか?」
「……もういい! 直接カトルに会って確かめる!」
「それは、別にかまいませんけれど。あなた一人で先行させる訳にはいきませんわよ? 既に次代を身ごもった、大切な身体なんですから」
ソフィアの言葉に、シルディの表情がますます険しくなる。一人で−−まぁ、エクレアも一緒だが−−進むカトルに、軍勢を率いて追いつくのはまず不可能だ。個人と軍隊の進行速度には、倍以上の開きがあるのだから。
「これはボクの問題だ! ボク一人で……」
「既にアドレア全体に問題は広がっているのですよ、シルディ。どうしてもというのであれば、力ずくでお止めすることになりますけれど?」
穏やかな口調は変わらないまま、威圧感を漂わせてソフィアがそう言う。一瞬たじろぎ、そんな自分を叱りつけるような勢いでシルディが腰から剣を抜いた。
「そこを退け、ソフィア。ボクの命令が聞けないのか!?」
「残念ながら。私には私の役目というものがありますので」
そう言いながら、すいっとソフィアが伸ばした指先で宙を撫でる。シルディの身体に絡みつくように白い靄のようなものが現れた。
「しばらく、眠っていてください」
「ソ、ソフィア……」
ソフィアが更に、一言か二言口の中で呪文を唱える。ぐらりとシルディの身体が揺れ、地面の上に崩れ落ちた。問うような視線を自分へと向けているクリフにソフィアが軽く肩をすくめる。
「頭を冷やす時間が、必要でしょうからね。死霊術の『生気吸収』と神聖術の『深誘眠』を組み合わせてみたの。多分一週間ぐらいは目を覚まさないと思うわ」
「シルディや神子に何か影響は……?」
「誰にものを言っているの? クリフ」
苦笑を浮かべながらのソフィアの言葉に、クリフが頷く。
「そう、ですね。失言でした、姉さん」
「あなたは、シルディをベットに。私はジェイド将軍に話をしてくるから」
ごく当たり前といった感じでソフィアがそう言う。もう一度頷くとクリフは立ちあがって服に付いた埃を払った。そこでふと怪訝そうな表情を浮かべてクリフが首を傾げる。
「そう言えば、姉さん。さっきのシルディの言葉じゃないですけど、どうしてエクレアなんです? もっと下級の兵士でもかまわなかったのでは?」
言外に、こちらの戦力を無意味に削ったのではないか、という疑問を込めてクリフがそう問いかける。軽く小首を傾げてソフィアがクリフの顔を見つめた。
「あら。あなた、下級の兵士で勇者カトルの首が取れると思っているの?」
「勇者カトルの……首?」
「彼の考え方は、アドレアという国には必要ない、いいえ、むしろ有害な考え方だわ。だから、カトルにアドレアの国王になってもらっては困る。そうでしょう?」
「え、ええ」
「けれど、シルディが神子を身ごもった以上、私たちが最優先するべきは魔王を倒すことではなく彼女を無事にアドレアに連れ帰り、出産させること。私たちが戦線離脱するとなれば、魔王を倒せるのはおそらく彼しか居ないし、神子の父で魔王を倒した勇者ともなれば国王として迎えない訳にはいかない。
でも、死人を王として迎える訳にもいかないでしょう? 私たちにとって一番理想的な展開は、魔王とカトルが相打ちになってくれること。だけどそんなに都合よく事態が動くはずもないわね。何もしないのであれば」
意味ありげなソフィアの言葉に、一瞬だけ考え込んでクリフがはっと顔を上げる。
「カトルがゲオルグを倒したところで、エクレアにカトルを討たせる……?」
「いくら彼が強くても、魔王を相手に楽勝はありえない。消耗しきった状態であれば、エクレアがカトルを討つことは充分に可能でしょう?」
くすくすと悪戯っぽい笑いを浮かべてソフィアがそう言う。理解の色を浮かべてクリフが頷いた。
「流石は、姉さん」
「誉めても何もでないわよ、クリフ。それじゃ、後はよろしくね」
口だけで笑ってソフィアがそう言う。もっとも、彼女の目が少しも笑っていないことにクリフが気付いたかどうかは、少し疑問だったが。
「撤退、ですか? し、しかし、ここまでの戦闘でかなり戦力を削られたとはいえ、まだまだ我が軍は……」
ソフィアの撤退要請に、ジェイドが動揺の色を浮かべる。近衛騎士団長である彼と次期大神官であるソフィアとは、軍制上ではほぼ同格。年齢を考えればジェイドの方が格上扱いされてもおかしくはないところだが、強大な魔力を振るう『アドレアの守護天使』ソフィアを前にしては分が悪いらしい。加えて、既にソフィアは幾度となくムースよりの神託を受け取っている。彼女の言葉がムースの神託に基づいている可能性は高いのだ。下手な対応は出来ない。
「ジェイド将軍。私は何も、戦力に不安を覚えている訳ではありません。ただ……」
「ただ?」
「ムース様より、神託が。シルディ様は既に、次代の姫宮と使い手を身ごもっているのだ、と」
ソフィアの言葉に、ジェイドが目を見開く。
「それは……まことですか!?」
「私が嘘を付いているとでも?」
「あ、いえ。そのようなことは……」
「シルディ様が神子を身ごもられた以上、一刻も速くアドレアに戻らなければなりません。シルディ様にはムース様の加護があるとは言え、戦いの場に身を置くことはお腹の子供にはいい影響を及ぼさないでしょうから」
ソフィアの言葉に、ジェイドが頷く。頷いて、だが少し怪訝そうに彼は首を傾げた。
「分かりました。しかし……例えば、シルディ様だけを転移の魔法で国元にお送りするというわけにはいかないのですか?」
「考えないでもありませんが……長距離の転移は、肉体に多大な負担をかけます。微妙な時期だけに、避けておいた方が無難でしょうね」
「なるほど。分かりました。兵たちには明朝、命令を伝えましょう」
「ええ、お願いします。それでは」
にっこりと笑ってソフィアは席を立った。
「いくつか、質問、してもいい?」
ジェイドの天幕から出た後、自分の天幕には向かわずに陣屋の外へと向かって歩き始めたソフィアへと彼女の肩の上に腰かけていたベスティアがそう問いかける。視線を彼女の方へと向けてソフィアが唇を笑みの形に歪めた。
「ええ。どうぞ」
「まず、最初は、さっきの、あなたの、言葉。もっともらしい、理由を、付けてた、けど、どうして?」
ベスティアの問いに、ソフィアが苦笑を浮かべる。
「ああ。ヴァルボリ島の周囲には神族と魔族の結界が二重に張ってあって、転移の魔法では出入りできないって事実(こと)をごまかした理由、ですか?
簡単なことです。私には、ソフィア・大神官(エル)・ミスティークには不可能なことがあってはいけないからですよ」
「?」
「もちろん、神ならぬ身でしかない私に不可能なことなんていくらでも有りますし、間違いを絶対に犯さない訳もないんですけどね。というより、この島に来てからはむしろ、手も足もでない状況ばかりなんですけど。
ただ、それでも、他人に対しては、私には不可能なことなどない、間違いを犯したりしないって見せておかなきゃいけないんです。私の言葉に従っていれば心配などする必要はない、私が居ればどんな状況に追い込まれても何とかしてくれるって、そう皆に思わせるためには、ね」
「……つまり、はったり?」
軽く小首を傾げたベスティアの言葉に、ソフィアが苦笑を浮かべつつ肩をすくめた。
「そう言ってしまうと身も蓋もありませんね。そうですねぇ、『兵士や国民の士気を鼓舞するために必要かつ効果的な演出を行っている』ぐらいに言葉を飾っておきましょうか」
絶対的な指導者に対する信仰。それは時として、不可能を可能にする力を持つ。人間とは比べるのも馬鹿らしくなるほど強大な力を持つ魔族に対抗するには、信仰の対象になる存在が必要なのだ。
だから、極端なことを言ってしまえば、ソフィアは単に自分に求められている虚像を忠実に演じているに過ぎない。例えば、自分の失敗や力不足によって招いた不利な状況ですら、笑って予定通りだといってみせたりすることで。もっとも、悩んだり後悔したりしていることを他人には気取らせずにそれが出来るだけでも、たいしたものではあるのだが。
「……じゃ、二つ目。シルディと、カトル、どうするつもり?」
「ムース様とアウロス様の御心のままに、何て答えじゃ、納得してもらえませんよね?」
「ええ」
「でも、どうするつもり、といわれても困るんですよ、正直な話。人を好きになったことのない人間には、恋する人間の気持ちなんてどうやっても理解できませんもの」
そう答えながら、ソフィアは軽く首を傾げた。
「シルディにはとりあえず眠ってもらいましたけど、神剣を体内に抱え、更にはムース様よりの祝福を受けている彼女に果たしていつまで魔法の効果が持続するものやら」
「シルディが、目覚めたら、素直に、行かせる、つもり?」
「止めるとしても、さっきみたいな奇襲は二度は通用しないでしょう? 私にしろクリフにしろ、魔法使いには変わりありませんから。北斗を前にしては分が悪いんですよ。兵たちにシルディを捕らえさせると言うのもちょっと無理っぽいですし、ね」
「いいの? それで?」
「いいの、と言われても、手がないんですよ。それは確かに、シルディは一流の剣士と言う訳では有りませんけど、正面から私やクリフと戦えば確実に向こうが勝ちますから。
それに、カトルさんは『来るものは拒まず、去るものは追わず』という人みたいですから、クリフが心配しているようなことにはならないとも思いますし。なったらなったで、私にはあんまり関係ありませんし」
そっけないほどあっさりそういうとソフィアが苦笑を浮かべる。
「もっとも、今のアドレアの体質とカトルさんは相性がよくないでしょうけど、ね。あの人の場合、無理矢理国王にしたて上げられそうになったら逃げちゃうんじゃないですか?」
「そう、かな。よく、知らない、から、断言は、できない、けど」
「それは、私も似たようなものですけれど……。まあ、今からそんな先のことを心配してもしかたないですよ。だいたい、カトルさんが一人でゲオルグを倒せるかどうか、怪しいものですし」「そう、だね」
「ええと、質問は終わりですか?」
「次で、最後。どこへ、行くの?」
ベスティアの言葉に、ソフィアが軽く首を傾げる。
「あら。言ってませんでしたっけ? 『食事』です」
「食事?」
「この前の戦いで、うっかりして。カトルさんのマリオンに溜めておいた魔力のほとんどを持っていかれちゃったんですよ。まぁ、過負荷に耐えられずに−−そりゃ、本来人間一人分の魂で動かすアイテムに中位魔族二人分、プラスアルファを注げば当然ですけど−−マリオンも壊れちゃったみたいですし、元々、あれの効果を知っているのに忘れてた私が悪いんですから、文句を言うような筋じゃないんですけど。
とはいえ、多少は魔力を補充しておかないと。いざという時に困りますからね。幸い、ここは場所柄餌にする魔族には事欠きませんし。
あ、と。そうだ。私の方からも一つ、質問してもよろしいですか?」
「? いい、けど」
「ムース様の祝福の光って、毎回毎回こんなに派手に振りまかれるものなんですか? それは確かに、アドレア人、それもほとんど血族同士で結ばれていた今までと、他国人であるカトルさんと結ばれた今回とは事情が異なっているんでしょうけど」
ソフィアの問いに、ほんの僅かにベスティアが唇を歪める。
「それも、少しは、ある、だろうけど。単純に、リンが、初めてで、張りきってる、だけだと、思うな」
「リン……? あ、あの、ベスティア様。もしかして、ムース様は代替わりを……?」
「知らない、のも、無理、ない。だって、あなたを、次期、大神官に、選んだのは、リン、だもの。
私は、先代の、ファラに、作られた、エンゲル、なの。それに、リンより、イーと、仲が、よかったし。嫌われ、てるから。だから、生きて、帰れる、可能性が、低い、こんな、仕事を、命じられ、たの」
訥々としたいつもの口調でベスティアが更に言葉を続ける。
「ムース、だけじゃ、ない。アウロスも、ユーフェミアも、シェラクも、この数十、年で、神族の、尺度だと、ほとんど、同時と言っても、いいぐらい、連続、して、代替わり、したわ。
魔族の、ことは、私も、知らない。けど、少なく、とも、ジャノンは、代替わり、しそうだし。もしか、したら、他の、魔族、も、代替わり、してるの、かも知れない。これから、するの、かも、知れない」
「新旧の世代交代……大きな変化が、起きる……?」
流石に動揺した口調でそう呟くソフィア。ゆっくりとベスティアが首を左右に振った。
「分から、ない。私は、神じゃ、ないし、神に、だって、未来は、分からない、から」
「それは……そうですけど」
呟きながらソフィアが足を止める。周囲を見回したベスティアが僅かに嘆息した。
「あれだけ、派手に、降らせれ、ば、目立つ、わよね」
「問題ですよねぇ。常に自分の位置を明らかにしながら逃げると言うのは。文句を言ったりしたら、罰が当たるんでしょうけど」
軽い口調でそう言いながらソフィアも周囲を見回した。立ち並ぶ木立の影からベオウルフやホブゴブリンといった下級兵士たちが姿を現す。
「結構、数、多い、みたい、だけど?」
「ああ、私はどちらかと言うと多人数相手の方が得意なんです。雑魚ばかりですし」
あっさりとそう言ったソフィアの言葉に、下級兵士たちの間に怒りの波動が満ちる。くすっと笑うとソフィアが胸の前で印を結んだ。それと同時に下級兵士たちが一勢にソフィアに襲いかかる。
「恨みを残して死んでいったものたちよ、復讐を望むならば我が声に従え」
ソフィアの言葉が終わると同時に、大地から無数の靄状の塊が吹きあがる。一部はソフィアを守るかのように彼女の身体を取り巻き、残りは下級兵士たちにまとわりついてその動きを封じる。下級兵士たちが足を止められ、動揺しながら武器を振るうが靄に対しては何の効果もないようだ。そればかりか、靄に触れた部分の肌が裂け、血を流し始める。
「邪霊攻壁。死霊を召喚、攻撃と防御の双方に利用する死霊術の高等技です。まぁ、霊体相手にも通用する攻撃手段を持ってる相手には効果が薄いんですけどね。ここにいる人たちって『ちょっと強い』レベルでもうそういう技を持ってるから、困りものですよねぇ」
問うようなベスティアの視線を受けて苦笑しながらそう言うと、ソフィアが印を組みかえる。
「朽ちよ、砕けよ……我が糧となれ!」
ソフィアの手元から、黒い光としか形容できない光が迸る。その光に照らし出された下級兵士たちがその動きを止めた。ぼろぼろと風化するように崩れていく。
「そしてこれが、生魂奪取。相手の魔力を全て取り込み己のものとする死霊術の奥義の一つ、です」
「これが、食事?」
「ええ、まぁ。でも、やっぱりあんまり美味しくはないですね。グライアやタニアと比べるのがそもそも間違いですけれど」
苦笑を浮かべながらそう言うと、ソフィアは左手で前髪を掻き上げた。
「まぁ、ないよりはマシ、ということですか」
ぱちぱちと炎がはぜる。躍るように揺れる焚き火の炎を見つめながらレディは溜息を付いた。彼女とは焚き火を挟んで反対側に座っていたエクレアが首を傾げる。
「何か?」
「ん? 別に。ただ、これからどうしよっかなぁって。
魔王宮を守る四つの塔、その守護者たる魔神って言ったら、やっぱり目茶苦茶強いわよねぇ」
嘆息するレディに、エクレアが困ったような表情を浮かべる。
「それは、そうだろう。もしかして、逃げ出したくなったのか?」
「だぁって。カトルはその魔神の一人と戦って危うく死にかけた訳でしょ? てっきりこの島から逃げ出すつもりだと思ったから、なら、一緒に行けばいいなって思ったんだもの」
「……別に、引き返すなら、今からでも遅くないんでは?」
「あー、無理無理。私のレベルじゃこんな物騒な島、一人で歩いたり出来ないわよ。あっという間に殺されてご飯にされちゃう」
ぱたぱたと顔の前で手を振ってみせるレディ。僅かにエクレアが首を傾げた。
「確か、レディ殿も、魔王の息子を倒したパーティの一人だったのでは?」
「むー、ま、そりゃそうだけど……。対人交渉だとかアイテムの鑑定だとか、そういう戦闘以外の担当だったから。戦闘力で言えば二流以下よ、はっきりいって」
「それが本当だとすると、対魔神戦に巻き込まれれば死ぬぞ?」
「そーなのよねぇ。あーん、もう。どうしよ」
エクレアの、そっけない言葉にレディが頭を抱える。軽く溜息を付いてエクレアが視線を周囲に巡らした。小声で眠っているカトルへと呼びかける。
「カトル殿?」
「起きてるよ。囲まれてるみたいだね、完璧に」
毛布にくるまっていたカトルが置きあがりながらそう言う。エクレアにしてみれば信じられない話だが、カトルは眠る時防具を身に付けていない。それはまぁ、確かに金属鎧など着たまま寝れるものではないが、それでも軽量の皮製の防具を身に付け、最低限の防御力は確保しておくのが普通だ。特に、こんないつ襲われてもおかしくない環境に居る時は。
「せっかく、いい夢を見ていたのに……」
ぼやきながらカトルがクリスタル・ソードを抜く。地面の上に転がされていた彼の鎧の穴からキルシェがふわりと跳び上がり、カトルの肩にとまった。
「何を呑気な……夢を見ながら、永遠の眠りに付きたいのか?」
「うーん、それは嫌だな。さっさとけりをつけて、夢の続きを見ることにするよ」
呆れたようなエクレアの言葉に、軽い口調でカトルがそう答える。
そうして、戦いが始まった。
「かくして勇者カトルの働きにより戦いにはあっさりとけりがつきました。勇者カトルは強かったです、マル」
呆れたような口調でレディがそう言う。エクレアも憮然とした表情を浮かべていた。下級兵士などといかにも雑魚のように言ってはいるが、並の騎士なら四、五人がかりでかからなければならないような相手を十数人、ほとんど息も乱さずに倒してしまったのだ。確かにこれは、呆れるよりないという強さだ。
「これで全部、かな? ……キルシェ? どうかしたの?」
「何、この感じ……? とんでもない奴が……来る?」
カトルの視線を受けたキルシェが、蒼白になりながらそう呟く。不意に月光が陰った。
「上……? って、ちょっと、何よアレ!?」
「空を飛ぶ、城、だと……!?」
レディとエクレアが、月を遮る城を認めて動揺の声を上げる。その城からゴマ粒ほどの影が降ってくる。かなりの高さから軽やかに着地して見せたのは、ブラッド。
「おやおやオヤ。シルディに会いに行こうと思っていれバ、珍しい人にお会いしましたネ。勇者カトル殿とお見受けしましたけレド?」
「……ええ。あなたは?」
「おおっと、これは御挨拶が遅れましタ。魔王ゲオルグ様が配下、ブラッドと申しマス。一手、お相手願えますカ?」
からかうような口調でそう言いながらブラッドが剣を抜く。嘆息しつつカトルが身構えた。
「嫌だ、といえる状況でもなさそうですね。……行きますよ!」
カトルが仕掛ける。迎えうつブラッドと彼の間に無数の光がひらめいた。剣と剣とがぶつかりあう音が、ほとんど一つの音としか思えないほど連続して響く。
「ホウ! 流石にいい腕をしてますネ!」
「そっちこそ!」
ブラッドの剣をかいくぐり、カトルの剣がブラッドの鎧を捉える。だが、次の瞬間後ろに飛びのいていたのはカトルの方だった。その表情に動揺の色が浮かぶ。
「効いてない……!?」
「イヤイヤ。効いてはいますヨ。雨だれが石を打つ程度、子猫に噛まれたぐらいには、ネ。
そもそも、私に当てることが出来ただけでもたいした腕ですヨ。けレド、その剣では私には届きまセン」
「くっ……」
カトルが唇を噛み締めた。剣に『気』を込めて威力を一気に高める技を彼は使える。魔神キュベレを倒したのもその系統の技だ。そういった技を直撃させれば、ブラッドに致命傷を与えることは可能かもしれない。だが、その手の技は予備動作にいくらかの時間がかかるから、かわされやすいという欠点も持っている。果たして、当てることが出来るのか?
外せば、その隙をつかれる。いや、当てたとしても倒せなければ、やはり結果は同じか。
つうっと、カトルの頬に汗が伝った。
と、その時。ひゅんという風を切る音と共にカトルの背後から黒い影のようなものがブラッドへと襲いかかった。少し慌てたようにブラッドが剣でそれを弾く。くの字型をした楔のようなものが、無数に連なった鞭−−もしくは剣、か?
自分の方へと弾かれて戻ってきたその先端を、カトルは剣で再び弾いた。それと同時に、地面すれすれにまで体勢を低くしてブラッドへと迫る。
「おっと!?」
カトルによって自分の方へと弾かれた奇妙な形状の刃と、カトル自身。どちらを避けるべきか、ブラッドが一瞬迷う。結局彼が選んだのは、大きく横に跳んで双方を避ける道だった。
「はああっ!」
その行動を予想していたカトルが、裂帛の気合と共に大きく剣を振るう。三日月状の気の塊がクリスタル・ソードより撃ち出された。自らの剣に闇をまとわせ、ブラッドがそれを向かえうつ。だが、着地したばかりの不安定な体勢だったせいか、完全には受けきれない。剣が砕け、鎧にも傷が刻み込まれる。
それに半瞬だけ遅れて、くくんと空中で軌道を変えた謎の武器が体勢を崩したブラッドの身体を捉える。鎧に付けられていた飾りの角が一つ、切り飛ばされた。
「ふぅむ。借り物の剣が折れてしまいましタ。ゲオルグ様に、怒られちゃいますネ」
軽く肩をすくめてブラッドがそう言う。彼の視線がカトルから外れ、謎の武器の持ち主−−エクレアの方へと向けられる。
「それにしても、人が遊んでいるところを邪魔するのは一体誰……」
ブラッドの言葉が、不自然に途切れる。油断なく剣を構えたままのカトルが、怪訝そうな表情を浮かべた。それは、エクレアも同じだったが。
「何だ?」
「……美しい」
「はぁ!?」
「おお、何という美しい女性(ひと)ダ! お嬢さん、あなたの名前は!?」
大袈裟な身振りをしつつブラッドがそう問いかける。動揺しつつ、エクレアが答えた。
「エ、エクレア、だが」
「素晴らしい! 美しい人は名前まで美しいのデスネ。あなたのような美しい人に出会えたのは、きっとアウロス様の思し召しというものでショウ!」
感動しきった口調でそう言いつつ、ブラッドがエクレアへと歩み寄る。既にカトルは彼の眼中にない。
「こ、こら! 私は人間だぞ!?」
「愛さえあれバ、種族の差など小さな問題でス!」
「冗談じゃない! だ、大体、私はアドレアの軍人だ。私とお前は敵同士なんだぞ!」
「オオ、冷たいお言葉。奇麗な薔薇には刺があるのですネ。けレド、大丈夫! 私のこの熱い想いさえあれバ、どんな障害も突破できることでショウ!」
「だ、だから……」
熱烈なブラッドのアタック(?)に、たじたじとエクレアがあとずさる。つつつっとカトルの方に移動したレディが、彼へと囁きかけた。
「ねぇねぇ、今後ろから攻撃したら一撃じゃない?」
「う……。い、いや、それは、何か人としてやっちゃいけないことのような……」
「そうそう。そんなことすると、馬に蹴られて死んじゃうわよ?」
キルシェが軽く小首を傾げながらそう言う。レディが苦笑を浮かべた。
「うーん、それは私も遠慮したいけど」
「でしょう? 人の恋路を邪魔するなんて真似、アウロス様のエンゲルたるこの私が許さないわよ」
「い、いや、そういう問題でもないような気が……」
カトルが小さくそう呟くが、レディもキルシェも聞いていない。もちろん、エクレアやブラッドには届かない。
「おお、美しきお方ヨ。あなたの美しさの前では花も恥じらい、月すらもその姿を隠すことでショウ」
「ええい、黙れというに!」
我慢の限界が来たのか、エクレアが手にした剣−−ちなみに、罪人の剣(ガリアン・ソード)という、対魔族用の特製の剣である−−を振るう。かわそうともしないブラッドの身体をザクザクっと楔状の刃が抉った。だらだらと血を流しながらブラッドが笑った。
「この痛みモ、あなたに与えられたと思えば無上の喜びデス。あなたの笑顔を見るためであればこのブラッド、たとえ火の中水の中」
「こ、この変態がっ」
エクレアが更に数歩あとずさる。と、不意にブラッドが一気に間合いを詰め、エクレアのことを抱き抱えた。流石に慌てて駆け寄ろうとするカトル。
と同時に、とんでもない爆発が起きた。爆風から両腕で顔をかばいつつ、カトルが慌てて周囲を見回す。爆発の中心は、エクレアとブラッドが居た辺りか。
「はぁっはっはっは。乙女のピンチに勇者シモンただいま参上!」
木の上から、高笑いが響く。爆風で転がされたレディが起きあがりつつ足元の石を拾い上げた。
「この、スカタン!」
「おおう!?」
拳大の石に額を直撃されたシモンが枝の上から転がり落ちる。地面でワンバウンドし、けれどダメージを感じさせない機敏な動作ではね起きるとシモンはレディを怒鳴りつけた。
「き、貴様、何をする!?」
「何をするじゃなーい! 何考えてんのよ!? あんな派手な魔法使うなんて」
「か弱き乙女が魔族の毒牙に掛けられようとしているのを助けただけだろうが!?」
「少しは手加減って言葉を覚えなさいよこの考えなしの単細胞暴走魔導士! って、ちょっと、エクレアさんは!?」
勢いで怒鳴っていたのか、はっと気付いたようにレディがエクレアの方に視線を向ける。さっきの爆発の直撃を受けたのであれば、到底生きているはずもないが……。
「お怪我はありませんカ?」
エクレアから身を離しつつブラッドがそう問いかける。少し鎧がぼろぼろになっているが、あまり目に見えたダメージは受けていない様だ。
「あ、ああ。すまない、助かった」
ブラッドに守られながらも、爆発の威力は肌で感じたのかやや青ざめながらエクレアが礼を言う。にこっと笑うとブラッドがシモンの方に視線を向けた。
「サテ……私のエクレアさんを傷つけようとした酬い、受けていただきまショウカ?」
「き、貴様、『私の』、だと? よくもこのシモン様の女に手を出してくれたな! 許さん!」
「こ、こら! お前ら、勝手に人を自分のもの扱いするな!」
憤然としてエクレアがそう叫ぶが、ブラッドもシモンも聞いていない。じわりじわりと緊張を高めていく二人を見やりながら、カトルが大きな溜息を付いた。
「ねえ、僕の立場は……?」
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