シルディが北の棟に辿り着いたのは、その日の夕刻近くだった。シルディが飛び降りると、馬が泡を吹いて倒れる。開いたままの扉の奥は、漆黒の闇に包まれ、階段に沿って燈る松明だけが煌煌と燃えていた。ゆっくりと歩を進める。
よくよく見ると、松明に見えたものには、火種が無い。魔力でついているようだ。消えてしまったら終わりだなと、ネガティブに思って少し歩みが速くなる。やがて進み出たバルコニー。そこにはミルキーがいらいらした表情で片足を踏みならしながら立っていた。シルディを見るときっと睨みつけてくる。
「…何してるの?」
「敵がおらんのじゃ、敵がっ!?」
「はあ…」
確かに彼女以外に人影は無い。頂上ではないようだが、上に上がる階段も無いようだ。
「どうするの?」
「ふん…魔神がいないのなら…」
そう言って右手を顔の前にかざすミルキー。彼女の爪が長く伸びた。
「貴様と決着をつける!」
「あらあら、せっかく二人揃うまで待っていたのに…勝手に戦われては困るのよ」
その声にシルディが左手を見ると、パルコニーの中央にすうっと人影が現れる。真紅のドレスに、床まで伸びる漆黒の髪…ぞっとするような美しさだった。
「待っていた?」
「そうよ。一人ではすぐに終わってつまらないものね…まあ、二人でも大して変わらないだろうけど」
そう言って微笑んだ。するとミルキーが首を振って相手にしない素振りを見せる。
「フン…魔神タイタニアよ、お主の相手をするのは赤毛の勇者・カトルだ。私の手を出すまでも無い」
「…カトルに頼まないと勝てないんじゃなくて?」
「…お、おぬしは黙っておれ」
シルディの横やりに、顔を真っ赤にして振り返るミルキー。しかし、タイタニアの言葉に二人とも表情を失う。
「赤毛のぼうや? だったらもう、殺したわよ?」
「…な、何じゃと!?」
「確かに結構骨のある子だったわね。でも、連れの女をかばって一緒に死んでしまったわ」
それは嘘である。塔から落下したところで何者かの魔法で転移してしまっている。しかし、撃退したことには変わりないし、そういった方が人間たちは怒りに震えて、ポテンシャル以上のものを見せてくれる時がある。ただ、片方は確か魔王の娘だったはずだが。
「…殺しちゃうのは、やっぱマズイのかしらねえ…でも、塔の中は不可侵のはずなんだけどね…」
「…ゆ、ゆ、許さ〜んっっっ!」
床を蹴ってミルキーが跳ねる。その過程で獣化していく。鋭く伸びた爪がタイタニアを切り裂かんと振り下ろされる。微笑を浮かべながら、床を滑るようにしてその一撃を裂けると、両の手を前に広げる。空気が歪み、衝撃波となってミルキーを襲う。
カッと、ミルキーが目を見開いた。衝撃波が薄青く染まり、そのスピードが鈍っていく。やがてそれは氷の塊になって、ミルキーに辿り着く前に床に落ちると粉々に砕け散った。
「ウフフ…素敵ね。ゾクゾクしちゃうわ」
タイタニアが両腕を横に広げる。それと共にかまいたちがミルキー目掛けて襲いかかった。横にすべるようにして避けていく。笑みを浮かべながら両手を合わせ、その手のひらの中に気弾を作る。
「ヤアッ!」
横からの気配を感じてすっと転移する。元いた場所には、北斗で斬りかかったシルディがいた。
「あら、魔族と神の申し子が仲の良いこと…」
「別に彼女を助けてるわけじゃない。たまたま敵が一緒なだけさ」
「うふふ…そういうところ、人間ぽくって素敵だわ」
タイタニアの目がかっと見開くと、真空の刃がバルコニーの中で舞い上がる。昴を回転させてそれを受けながら直進するシルディ。
「フン…」
彼女の一撃を再び転移して避ける。しかし、再び姿を見せるその隙にミルキーが襲いかかった。
「死ねぇぇぇ!」
爪が喉元目掛けて伸びる。タイタニアは左手をかざして障壁を作るが、ミルキーはそれに爪を突き立てると氷の魔法を発動させて障壁を砕く。さらに横からシルディが行く! 北斗の刀身から光の刃が伸び、それと呼応するように全ての昴が飛び掛った。
「くっ…!?」
後退しながら全ての攻撃を弾いていく。しかし昴が一枚、右肩をかすめる。そしてミルキーの爪先が左腕の小手の部分をかすめ、緑の鮮血が飛んだ。
「…いいわ。望み通り、一思いに殺してあげるわっ!」
タイタニアが自分の前に巨大な真空の球を練り上げていく。ミルキーとシルディは並んだ状態で身構えた。
「どうするの?」
「おぬしがあの球を弾け。わらわはそれを飛び越えて切りかかる」
「な、なんで僕が?」
「おぬしはそのくるくる回るのがあるから防御は堅いであろう?」
「そっちだって凍らせればいいんでしょ?」
「グズグズ言ってんじゃないわよっ!」
タイタニアはおとな大になった球を頭上に掲げる。血走った眼でこちらを睨みつけている。
「切り刻まれなさいっ!」
ドガァァァン! 激しく塔が揺れた。タイタニアは後ろによろけ、転がった気球が背後の床を切り崩していく。南側のバルコニーに煙幕が立ちこめている。その煙が晴れると、ボロボロに崩れた床の上に、ブラッドが立っている。
「お、オジサマ!? な、何故このようなところに?」
「おやぁ、これはミルキーちゃんじゃございませんカ。何でも、おいたが過ぎて父君を困らせているようですナ」
「こ、これはわらわと姉上との問題だ。ブラッド殿には関係ない」
「まったく、ご子息揃ってこれでは、ゲオルグ様もさぞ心労が絶えないことでショウ…おや、そちらは? その鎧の紋、どこかで見たような…」
「そ、それより、何しにこられたのですか?」
「そうでシタ! 私はエクレアさんを追ってきたのデスッ!」
「エクレア?」
「…カトルについていた、我が国の騎士だよ」
「ああ、ならそこにいる奴が殺したらしいです」
ミルキーはタイタニアを指差した。ブラッド将軍の登場におののき、様子を見ていたタイタニアはぶるっと震える。
「え?…いや、私は殺していない…」
「…エクレアさんを殺したデスとっ!! ウオオ! エクレアさん・・・この悲しみ、怒り…晴らさずにはいられまセンッ!」
ブラッドが剣を引き抜いて振りかざす。巨大な炎の渦が巻き起こり、バルコニーを焼き焦がしていく。
「わわわ! 早く逃げなくては…ああなってはオジサマは止め様がないっ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ミルキーとシルディは階段へ飛び込んだ。タイタニアは炎の渦の中で絶叫する。
「な、なんで私がこのような…アアッッッ!」
爆炎と共に北の塔が爆発し、上層部が崩れ出していく。ミルキーとシルディは必死の形相で塔から駆け出してきた。
「…あのバカが」
ゲオルクが苦々しくつぶやいて王座を立つ。その横に側近が近付いた。
「城の方はいかがなさいますか? まだ、こちら側に…」
「いや、もう良い。適当な場所に出せ。わしは地下室に行く。後のことはそちに任せる」
北の塔が立つ平野の側の小高い丘に、アドレア軍とジャンバラヤの部隊が対峙している。ミルキーとシルディは、二人並んで戻ってきた。
「どうするの? また戦うわけ?」
「…王宮が出ればそちらに向かう。襲いたければ勝手にしろ」
「僕等もそこに行くよ。決着をつけるのはその後でもいいでしょ?」
「フン…」
ミルキーははっきりとは答えない。すると島の中央部分の上空の雲が暗雲に包まれ、雷鳴と共に巨大な城がゆっくりとその姿を見せ始める。アドレアの兵士たちは恐れおののき、べオ・ウルフたちは敬礼の代わりなのか遠吠えをし始める。
城は、ゆっくりとだが、地上へと降りてきているようだ。
「…信じるならついてくるがよい。但し、わらわが見逃してやっても、他の者どもがどうするかは知らんぞ…」
そういって陣地に入っていく。シルディはぽりぽりと耳の前を掻きながらアドレアの陣に入っていく。
「王子、大丈夫ですか?」
「ああ…ミルキー軍が動き出したらその後を追ってくれ」
「…はあ? 正気ですか?」
「何だ、クリフ。利用できるものはみんな利用のは君の主義でしょ」
「そ、そうですが…」
「僕は少し休むよ」
シルディは自分の天幕の中に入る。ソフィアが席にすわったまま出迎える。
「お疲れ様でした」
「カトルたちはどこにいる?」
「さあ…わかりません」
「風の精がついているんじゃなかったのか?」
「帰ってきておりません。ですので、無事だとも、そうでないともわかりません」
「そう…」
シルディはそういうと、椅子にどっかりと腰を下ろした。そして水を口に含む。
「…いよいよ決戦だね」
「正直言うと、行かしたくありませんが、この状況では行かざるをえませんね」
「…やるしかないよ。やるしか」
シルディはそう、自分に言い聞かせる様につぶやいた。
by 中村嵐
広い中庭だった。様々な魔物たちが、その周りを取り囲んでいる。生垣から顔を出すもの、屋根の上に上るもの…そして広場にはただ、ティアラ一人が立っていた。まるで人形が着せられているような、フリフリの服だった。すましてすわっていればきっと見間違えるろう。余りにも場違いな格好に、シルディは顔を曇らせる。
「ミルキー…うん?」
震えていた。ミルキーはガタガタと震えていた。噛み締めた歯がぎりぎりと軋み、膝が今にもどうにかなってしまいそうな程であった。しかし、彼女は大きく息を吐くと腰の剣を抜いて剣先をティアラに向けた。
「姉上っ! 積年の恨み、今こそ晴らさんっ! いざ…いざ勝負!」
「もうや〜ねぇ。たった百年かそこら、からかっただけでいじけるなんて…」
「何をっ!? 私が初陣で大陸に出兵するのをやめさせたのは誰じゃ!? そのせいで私がどんな思いでいたかわかるのかっ!?」
「あらあらぁ。あなたよりよっっっっぽど強い4人の弟たちがどうなったか忘れたのかしら? あなたのことを思ってやったことなのにねえ。逆恨みされても困っちゃうわぁ」
「それがっ! その最初から人を見下した態度が許せんと言っておるのじゃ!」
憤激を顔一杯に表すミルキーに対し、ティアラはにこにこと笑顔を絶やさなかった。
「まあ、ちょうど暇だったし、少し付き合ったげてもいいわよ」
にこにこと笑いながらも、増幅する魔力に木の葉が揺れる。半獣化するミルキー。昴を抜いたシルディが横に立つ。
「あらあら、人間の手助けを借りるの?」
「悪いかっ!」
投げやりに怒鳴り返すミルキー。しかし、ティアラはとても嬉しそうに微笑むのだった。
「ウフフ…その方が楽しめそうだからいいわっ!」
真上に飛びあがって滞空すると、くるりと一回転。ドレスが幾重にも別れ、刃となって辺り一面を切り裂いた。大地と言わず、壁と言わず、次々とその破片が宙に待った。シルディの回りを北斗が滞空しながらその刃を弾き返す。逃げ惑い、また切り裂かれた魔獣たちの断末魔が一面に鳴り響く。
「な…なんのつもりなんだよ、あいつは!」
もし自分一人、もしくはミルキー一人狙っていたのなら、今頃はバラバラになっていただろう。それを弄ぶかのように暴れている。ミルキーはぱっと後退して時折襲ってくる刃を弾いていた。じりじりと間合いを離す。
しばらく暴れ続けた後、ティアラは回転を止めるとゆっくりと着地する。そしてこちらを見るとにっこりと笑った。
「どう? このぐらいで満足かしら?」
「なめるなぁぁぁぁぁっ!!」
ミルキーが飛び上がって襲いかかる。シルディも駆けた。
「ソフィア! クリフ!」
「ははっ!」
右に逸れてクリフが弓を放つ。ソフィアの風の魔法でシルディが加速する。北斗を従え正面から迫る。地面を蹴って上空からミルキーが行く。
「覚悟っっっ!」
「せいっ!」
ほぼ二人同時に斬りかかる。シュンとワープしてティアラはなんなくかわす。地面に着地したミルキーは間髪入れずに攻めたてる。シルディもそれに続く。しかし、クリフの弓も、ミルキーの氷魔法も届かない。反撃することもなく、ティアラはただ庭ではしゃぎまわる子猫の様に跳ね回った。ぽんと地面を蹴ると、先程の立ち回りで崩れて斜めになっている柱の上に着地した。
「ウフフ…終わりなのぉ?」
「黙れっ!」
氷の刃が柱を真っ二つに裂く。跳ねあがったティアラ目掛けてミルキーが飛ぶ。しかしティアラがきっと睨みつけると、ミルキーは丸太でも吹っ飛んで来てぶつかったような衝撃を受けて地面に叩き付けられる。
「行くぞっ!」
ティアラの着地目掛けてシルディが走る。しかし、その目の前に漆黒の鎧をまとった大男が立ちふさがる。鉄仮面を付けたその男の迫力に、シルディは思わず立ち止まる。
「これはこれは、アドレアの王子殿。私は、ブラッド・レノ・テンプルと申しマス。以後、お見知り置きを…と言っても、今日でアナタ、死んでしまいマスがね」
「な、何?」
「我が妹、フローラの仇、取らさせて頂きマス!」
腰の大剣を抜いて振り下ろす。シルディは右に体を崩し、地面を転がってよける。顔を上げた時には、ブラッドは既にその大剣を右手一本で持ち上げていた。
「殺られるっ!?」
ドゴッ! ブラッドの体を爆音が包む。ソフィアの電撃魔法。しかしブラッドはまったく怯む様子は無かった。
「おやおや、私とシルディとの決闘に割り込むとは。さすがアドレアの兵士は、無抵抗の我が妹を惨殺しただけあって、やることが一味違いマスネ…」
「妹…惨殺?」
眉をしかめながらつぶやくシルディ。そんなとまどいを余所に、ブラッドは剣戟を唸らせる。
「アッハッ八ハッ…愉快っ! 愉快です!」
「つ、強いっ! 強すぎるっ!?」
北斗をフルに使っても、攻撃を受け切るのが精一杯。横殴りの一撃を昴で受けると、その反動でシルディは吹き飛ばされた。
「王子っ!」
ソフィアが魔法でその衝撃を和らげながらシルディの体を受け止める。
「…ソフィア、七支剣を…」
「行けません。今のお体には危険過ぎます。…それに、お子を持った身で、果たして呼び出せるか…」
「…くそっ、このままじゃ…」
一方、先程地面に叩き付けられたミルキーは体を起こしながら咳き込んでいる。そこにゆっくりとティアラが着地する。
「やだぁ、オジサマったら、私の楽しみを奪うなんてぇ。でもまあ、シルディは前からオジサマが狙ってたから仕方ないんだけどねえ、せめて一言言ってくれてもねえ。ねえ?」
相槌を求められるミルキー。吐き捨てるように言った。
「知るかっ!」
「あらあら、そんな言い方して、自分の立場わかっているのかしら? 私と一対一なのよ? ねえ?」
「何をっ!?」
闇雲に両腕を振り回すが、その鋭い爪はただ宙を切る。すっとティアラが消えた。ミルキーが後ろに振りかえると、目の前に立っていた。かっと睨むと、ミルキーは踊り場の廊下の法へ吹き飛ばされ、柱を真っ二つに砕いて貫通する。
「うう…ガハッ!」
吐血するミルキー。それにゆっくりと歩きながら近付くティアラ。
「やぁだぁ。人間じゃないんだから、このぐらいじゃ死なないでしょぉ? 躾で死なれたら、たまったものじゃないものね」
「な、何をふざけた…ガッ!?」
「ウフフ…どうしたの? お姉さんにもう一度聞かせてくれないかなぁ?」
腹に蹴り上げる。ミルキーは咳き込みながら、唾液と血が混じったものを床に流す。視線の先のシルディも、ソフィアに肩を借りながらひざまづいていた。ブラッドが高笑いをあげる。
「アッハッハッ…弱過ぎマスねえ、アナタ。つまらなすぎマス。こんな相手に殺られたのデスか…フローラは不甲斐ない夫を持って憐れでシタ…」
「さっきから何を…」
クリフが剣を構えてブラッドとシルディの間に立つ。目を丸くしてクリフを見るブラッド。
「…邪魔をするんデスが?」
「殺るなら俺を殺れ! お前の妹を殺したのは俺だっ!」
「ク、クリフ!? 逃がしてあげたんじゃ…」
「…子供がいては、復讐は必至。生かしておくわけには行きません!」
「そ、そんな…」
「いやいやいや、ワタクシは感動致しまシタ。それこそまさに戦場のコトワリ。それをわからぬ主君を持って、さぞ大変でショウ…しかし、今日でその気苦労も終わりデス。ワタクシも戦場のコトワリを持ってあなたに応えまショウ!!」
大剣を高く振り上げる。クリフは動かない。シルディはかばおうと立ち上がるが、ソフィアが彼女を引っ張って後ろに下がる。
「クリフっっっっっ!?」
ドゴォォォン! 辺りを包む爆煙。クリフもシルディの方へ吹き飛んだ。鎧をボロボロにして、仮面も半分崩れたブラッドが煙の中から姿を現す。大きくくぼんだ、充血した眼がシルディにさらなる恐怖を感じさせる。
「…やれやれ、これだから人間は礼儀を知らぬのデス…」
「礼儀? そいつはうまいのか? ギャハハ!」
城壁の上に立つのはシモン。腰から抜いた魔導剣の切っ先をブラッドに向けた。
「ヒーローというのは、常に最後に登場するもんなのさっ!」