王道勇者
 
<表紙> <配役紹介>  <用語解説> <目次>

by 中村嵐
プロローグ
 ヴォルボリ島を支配する魔族の王、ゲオルグ・ダ・ジャノン。彼は世界各地を その支配下に置き、四人の息子が圧政を行っていた。そして、王の下には三人の娘が控え、彼が世界征服を成し遂げる日も近いかと思われた。
 
 しかし、ゲオルグの四人の息子は全て人間の戦士らによって討ち取られた。 戦士らは勇者としてその名を広め、各地を開放していった。
 
 そして、その勇者たちが、今ここにヴォルボリ島に上陸しようとしていた……。

1st SCENE 上陸
「ちょっと、早くしなさいよ、シモン!!」
 ショートの女性が、沖に着いた小船から飛び降りる。シモンと呼ばれた青年はかったるそうに髪をかき上げてからたらたらと船を降りる。
「慌てんなよ、レディ。見つかりっこないってよ」
「そーやってだらしないこと言ってるから、いつもメーワクかけんじゃないの?」
 シモンは辺りを見回す。もっと朽ち果てた島かと思えば、意外や意外、美しい風景が広がっていた。
「さて、無事に上陸できたことですし、この先にあるという村に行きましょうか?」
 静かに話す僧兵のクラウド。いちいち人の恋路に口を出すので、本当はシモンは好かない。しかし、回復魔法が使えるのは彼だけだし、その腕もなかなかなので仕方なく仲間にしてやっている。無論、女の僧侶が見つかれば即刻クビだ。
「こんな島の村だから……当然、魔人たちが支配してるのよね?」
「ええ。戦いは避けられないでしょう」
「そんなもの、このシモン様の『真空爆裂陣』で一撃よ。勇者シモンの新たなる伝説の始まりだ!」
 意気揚々とシモンは歩き始める。レディは溜め息をついた。
「……ホント、脳天気なんだから……」

 しかし、三人は村の中で呆然としていた。活気に溢れた村、行き交う人々には笑顔も見える。シモンは通り掛かりの男性に声を掛ける。
「おい、どうしたんだ?」
「え?……」
「せっかくこのオレ様が村を解放しにきてやったてのに、なんでこう平和なんだ?」
「おや、旅の戦士さんかい。それは一足遅かったね。ここは一昨日、ジャノンの次男を討ち取った勇者カトルによって解放されたんだよ」
「な、な、何!? そいつはどこにいる!?」
「ああ、確かそろそろゲオルグの居城に向かうかとで、向こうの出口の方にいると思うけど……」
「くっそ〜! オレ様の出番を潰しやがって……ブチ殺してやる」
「ちょ、ちょっと、シモン!?」
 村の通りを猛ダッシュで駆け抜ける。やがて見えた門の前で、人々の見送りを うける鎧姿の少年がいた。年齢は自分よりやや幼いか。赤毛の少年だ。
「この偽勇者が!! このシモン様の前にひざまづけ!! 『烈火爆豪拳』!!」
 走りながら右手の皮グローブを締め直す。そして拳を構えると真っ赤な炎に包まれた。シモンの突進に気付いたカトルは身をひるがえすと剣を抜く。 半透明に輝く美しい刀剣だ。
「フム……この世に二つと無い、伝説の名剣、クリスタルソードか……。 それ一本あれば国ぐらい買えるな……」
「…もしかしてあのシモンさんですか? お噂は聞いています。とすると、仲間じゃないにしても、敵ではないと思いますけど……」
「黙れ! この世に太陽は一つ! そして世界を統べる覇者も一人! 我が野望の前に散れ! 真空……んがっ!?」
 魔法を唱えようとしたシモンの口をレディが塞ぐ。耳元でおもいっきり怒鳴った。
「ちょっと、そんなの使って、この村ごと消し飛ぶじゃない!?」
「うるさい、オレ様の覇業の前には、少々の犠牲はやむを得ん!」
「そんなこと言ってるから、いつまでたってもガキだって言ってんのよ!」
「何だと、17になっても大して胸も無い癖に?」
「何ですって、この変態が!?」
「……もしもし?」
 クラウドが二人を止める。そして村の外を指差した。
「カトル殿、行ってしまわれましたけど……」
 既に彼の姿は小さくなっている。シモンが走り出す。
「待ちやがれ、この野郎!?……がッ!?」
 その腰に後ろからレディが鞭を巻き付ける。シモンは思いっきり後方にコケた。
「……少し落ち着きなさいってば……」

 カトルは森の中へと入った。街道を進んでも魔人の砦が幾つもあるようだ。 だからといってこちらに近道があるのかといえばそれは分からない。前方にそびえる山岳のどこかに、目指すゲオルグの居城があるのだけは確かだ。
「……まっすぐ進めば何とかなるか」
 歩み出そうとしたその時、右から氷の波動が飛んできた。剣を振るい、衝撃波で打ち消す。甲高い、女の子の声が響く。
「偽善に満ちた愚かな神の作った人形の割りにはやるではないか、勇者とやらよ。 しかし、それもここまでだ!」
 四匹、狼の顔をした獣人が取り囲む。そして木陰から自分と同い年ほどの少女が姿を現す。犬歯が長い他は自分たちとさほど変わらない。
「いけ、ベオウルフよ!!」
 少女の号令に、狼人間が一斉に襲いかかる。しかし、カトルは剣を両手に持つと 一気に回転した。波動が円を作り、狼人間はすべてその胴を切り払われる。
「なっ!?」
 狼狽する少女にカトルは駆け寄る。少女は逃げようとして腰を崩した。 その鼻先に剣を向ける。
 そよ風が吹いて木洩れ日を揺らす。少女がおびえながらも口を開く。
「どうした、何故切らぬ?」
「……僕が切るのは悪しき心だ」
 そう言ってカトルは剣をしまう。少女は逃げようとせず、顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
「私は敵だぞ!?」
「無抵抗のものは敵じゃないよ」
 カトルはリュックを降ろして、水を飲む。黙っていた少女は唐突に泣き出した。
「うう……屈辱じゃ……姉上たちに讒言され、父上には誤解され、そして人間ごときに情けをかけられるとは……うぅ……」
 意に介さずカトルは地図を広げている。そして少女に問うた。
「ねえ、お嬢さん、お城って正確にはどこにあるの?」
「え?」
「だって、ゲオルグの娘なんでしょ?」
 少女は再びうろたえる。対照的にカトルはいたって平然としていた。
「な、何故、私の素性を?」
「だって、ジャノンの紋章が服に付いてるから」
 少女は胸の印を見る。確かに、王族だけに許された紋章だ。彼女は振り返って袖で涙を拭くと、立ち上がって威圧的に話しはじめる。
「人間よ、なかなか見所があるな。特別に魔族の王、ゲオルグが三女、このミルキー様の手下にしてやろう」
「……何をするの、それで?」
「ん? まずは二人の姉上を討つのじゃ! 二人とも、私より遥かに年上だからと私の意見を聞くどころか、いつもいつもイジメおって。勇者を討ち取れば父上も私を認めてくれようと思ったが・・・やめた! あの二人さえいなければ、兄上たちも亡き今、跡取りは私だけじゃ! 積年の恨み、ここに晴らそうぞ!  さ、人間。行くぞ!」
「……どこに?」
「無論、姉上たちの居城にだ。ま、本城にいってることも多いから、どうなるかは知れんがな」
 カトルは考えた。ゲオルグの城に行けるみたいだな。
「なら、いいか。さてと……」
 カトルはリュックを背負う。ミルキーが初めて口元をほころばす。 なかなか可愛い。
「うむ、聞分けのよい者は出世するぞ! そうだ、わらわが王となった暁には将軍にしてやろう!」
「……それは、ありがとう……」


by 夢☆幻
2nd SCENE 魔王宮
「父上。ミルキーは勇者の一人と結び付いたようです」
 玉座に腰を下ろす父へと向かい、やや緊張した口調でそうタニアは報告した。 無造作に頷いただけで、ゲオルグは何も言わない。
「……どう、いたしましょうか?」
「どう、とは?」
 地の底から響くような威厳のある声。知らず身体がすくむのを感じながらタニアは言葉を続ける。
「兄上たちを倒した憎き勇者たち。そして、敵であるはずの勇者と手を結んだ愚かな妹。どちらも放置しておくわけには……」
「キャハハハハ。タニアちゃん、それ、本気で言ってるのぉ?」
 玉座の前の床に直接座り込み、父の膝に頭を預けていた幼女が甲高い声で笑う。 少しムッとしたようにタニアは彼女のことを睨んだ。
「ティアラ姉上。もう少し威厳というものを持っていただきたいと、 常日頃から……」
「タニアよ」
 ぺろっと舌を出す姉へと更に言葉を続けようとしたタニアを、ゲオルグの低い声が遮る。慌ててタニアは姿勢を正した。
「は、はい」
「一切の手出しは無用だ。お前自身が動くことはもちろん、正規軍に所属するものも動かしてはならん」
「ち、父上!?」
「タニアちゃんはまだ子供だからわかんなくてもいいんだよ。ね、父様」
 外見的には、タニアは二十代の半ば過ぎ、ティアラは五、六歳といったところだ。 だが、実際に生きてきた年齢では数百年、二倍近い差がある。魔族の年齢と外見は必ずしも一致しないが、それでもティアラのように長い時を生きてきながら 幼い外見をしているのは珍しいといえた。
「キャハハ、楽しみだなぁ。ねぇ、父様。あたし、ちょっと遊びにいって きていい?」
「羽目を外し過ぎるなよ。……タニア、お前は自分の城に戻れ。勇者やミルキーが自分から来たのであれば、どう扱っても構わん。だが、お前の側から干渉することは禁じる。よいな?」
 長女の頭を撫でてやりながらゲオルグがそう言う。不満そうではあったが、 逆らうわけにもいかずにタニアは頭を下げた。
「……はい、父上」

 長い回廊を、タニアが不機嫌そうな表情で歩いている。数歩遅れて付き従いながら、彼女の教育係でもあった老ダニエルが彼女へと問い掛けた。
「陛下は、何と?」
「私の側からは一切干渉してはならない、と。勇者たちだけでなく、ミルキーの事も放っておけ、と」
「それは……」
 流石に驚いたような表情を浮かべると老ダニエルは首をかしげた。
「困りましたな。アドレア王国軍は既に我が領内に布陣を終えておりますぞ。 指揮を取るシルディ王子はグライア様を倒したほどの腕の持ち主。放置しておいては、いささかまずいことになると思われるのですが」
「しかし、父上の命は絶対。逆らうことは……」
 きりっと親指の爪を噛みながらタニアがそう呟く。ふぅむと腕組みをして老ダニエルが考え込んだ。
「要するに、我々とは直接の関係のないものが動けばよいのですな?」
「ダニエル?」
「裏の世界に、噂を流しましょう。シルディ王子の首に、賞金がかかったと。 我々とは関係のない無責任な噂ですが、それに踊らされるものも出て参りましょう。 無論、それでシルディ王子を倒せるとは限りませんが、周囲を信用できなくなれば自滅の道を辿るのは目に見えておりますからな」
 魔族の支配を受けながら、楽に生きようとする人間もいる。そう言った連中を 相手に『勇者様』がどう動くか。僅かに口元を綻ばせるとタニアは頷いた。
「悪くない、考えね」

「どう思う? ティアラ」
「タニアちゃんのこと? お馬鹿さんだから、人間を使って勇者を倒そう、 とか考えてるんじゃないかなぁ。まぁ、放っておいても平気だと思うよ。 流石に父様の命令に背いて自分から出向いたりはしないだろうし、それにしょせんはこっちに本体を持ってこれちゃう程度だもん、タニアちゃんだって。
 一応、勇者たちってグライアやアローン、ディザードにガイラム辺りには勝ってきたんだし、タニアちゃんにも負けたりはしないと思うなぁ、あたし」
 くすくすと笑いながらティアラがそう言う。軽く肩をすくめるとゲオルグは視線をあらぬ方へとさ迷わせた。
「そう、だな」
「心配し過ぎだって。どうせしばらくは『北の勇者』の相手で手一杯だよ。あれは、 どっちかっていうとイレギュラーな存在だし。
 それに、ミルキーちゃんは『西の勇者』と一緒なんでしょ? 一番真面目そうだし、いい相手だと思うよ、あたし。ま、そりゃ、何かの間違いでそばにいる『南の勇者』と一緒になったりしたら大変だけど」
「あれはあれで、面白い存在だがな」
 意外と真面目な父親の口調に、ティアラは軽く首をかしげた。
「そーかなー? ま、もっとも、北や東の可能性だってあるわけだしね。それと比べれば……うーん、どっちもどっち、かなぁ?
 父様は誰が一番だと思ってるの?」
「さて……」
 薄く笑っただけで、ゲオルグは答えない。別に答えを期待していなかったのか、 んーと大きく伸びをしてティアラは立ち上がった。
「とりあえず、あたしは東と遊んでくるね」
「あまり調子に乗るなよ? それと、彼女との遊びに夢中になって、時間を忘れることのないようにな」
「はーい。分かってまーす」
 無邪気な笑みを浮かべると、ティアラは姿を消した。ふうっと軽く息を吐いて ゲオルグが苦笑を浮かべる。
「北や東の可能性、か。あまり、好ましくはないのだがな。まぁ、その手の趣味はミルキーも持ってはおらんが……」 


by 中村嵐
3rd SCENE 集結
 ティアラは一人、山を下る。単独行動に臣下たちはうるさいが、現実として彼女の身に何か起きるというのは考えにくい。むしろ、騒ぎを起こされる方を心配されるのだ。
 雀の群れが眼前で群れる。ティアラが近付くとバサバサと列を崩す。
「キャハハ・・・」
 くるりと一回転すると、両手を広げてゆっくりと滑空する。ティアラと平行する鳥もいた。彼女は鼻を動かして何かを感じ取ると、一気に急降下した。そのまま町並みへと影を落とし、ある家の屋根を突き破って着地した。
「アハ・・・会いに来たよぉ?・・・って、あれ?」
 シモンと、レディとクラウドが食事をしている。無論、3人とも唖然として固まっている。ティアラは苦笑いを浮かべた。
「やだぁ、ティアラちゃんたら、場所間違えちゃったあ、アハ」
「・・・貴様、このシモン様の食事を邪魔しておいて間違えたで済むと思うのか! その死を持って償え!」
「いや〜ん!」
 逃げるティアラをシモンが追う。窓から飛び出ていった彼女をシモンもそのまま追った。レディが窓に駆け寄る。
「ちょっと、シモン!?」
 彼は家の屋根を走っていった。クラウドは穴の空いた屋根から青空を覗いた。
「・・・どうしましょうかねえ、この屋根・・・」
 
「もお、どうしてここにあいつがいるわけぇ?」
「こら、待て! 空を飛ぶな!」
 低空で飛ぶティアラを必死に追うシモンだが、段々と距離は離れていく。ティアラは辺りを見回す。彼女に気付いた通行人が空を見上げている。魔人だと気付いた者は家の中に逃げ込んでいる。しかし、彼女はそんな様子など気にも留めない。
「ここにいるはずなんだけどなあ・・・あ、いたあ!」
 宿屋の二階の窓から部屋に飛び込む。ティアラはうやうやしくお辞儀をした。
「はじめまして、勇者殿。・・・あれ?」
 そこには二重代半ば程の男性が席についてやはり食事をしていた。それが恐らく勇者。しかし、ティアラが首を傾げたのは左右に控える女性だ。長髪の美しい女性。男性の食事の世話をしているように思える。状況を把握していない三人の前でティアラは半べそをかく。
「うぇぇぇん・・・話が違うぅ」  <挿し絵>
「待てぇぇい!」
 ティアラが振り返ると道の向かいの建物の屋根の上にシモンが立っていた。彼はティアラを指差す。
「とうとう追いつめたぞ! せいっ!」
 助走をつけてシモンが飛ぶ。しかし、部屋に飛び込むには段々と軌道が下がっていく。なんとか窓の縁に手がかかり、うめきを上げながら這い上がった。
「ハアハア・・・覚悟しろ・・・うん?」
 シモンはその部屋の美女に気付く。そのうち男性の左手にいる女性がようやく言葉を発する。
「ねえ、ブラウン。なんなの、この人たち?」
「・・・黒の皮手袋にバンダナ、腰に差した魔法剣・・・噂通りなら勇者シモンだろうな」
「はぁん、あれがあの、まだ魔族の方がましだっていうシモンかよ?」
「ちょっとパルフェ。そういうことは本人の前で言っちゃ駄目でしょう?」
「はん、よく言うね。アンジェだって散々言ってたくせに・・・」
 二人の女性は口々にシモンの悪口を連ねる。ブラウンは緑のマントを羽織ると立ち上がる。パルフェは胸元に差していた丸眼鏡を取るとブラウンにかけてあげる。
「・・・さて、それで魔族の娘と勇者殿がこのわたしに何の用でしょうか?」
「何の用だと? 決まったことよ、この魔族の首級を挙げて、そして貴様を倒してその美人姉妹も我が手中にするのだっ!」
「あら、よくわかったわね?」
「ヌハハ・・・この俺様に不可能はない。・・・ん、貴様、どこに行く気だ?」
 こっそりと窓に近付いていたティアラにシモンが気付く。ティアラは振り返って笑顔を作った。
「キャハ、なんかティアラちゃん、邪魔物みたいだから帰ろうかなあって・・・アハ」
「・・・死ねぃ!」
 シモンの拳から炎が弾ける。ティアラは慌てて外へ飛び出した。その部屋の窓は完全に吹き飛んだ。
「フンだ! こんなイジワルするんなら、ティアラちゃん、もう知らないもん!」
「チッ、逃がしたか・・・まあいい。今度は貴様の番だ!」
 シモンは魔法剣を構える。すると姉妹も武器を取り出して構えた。アンジェが長槍、パルフェが大剣を構える。慌ててシモンがブラウンを指差して非難する。
「き、貴様・・・女に戦わせて恥に思わないのか!?」
「あら、ブラウンは魔法使いだもの。戦士である私たちが戦うのは当然でしょ?」
「女は後ろに控えてろってか? そういう時代錯誤な奴は気に食わないね」
 ブラウンは冷静な表情のままシモンを見つめている。彼に焦りの色が浮かぶ。
「か、かくなる上は・・・一撃必殺・真空……んがっ!?」
 バタンと扉が開いてシモンは壁に挟まれる。入ってきたのはレディだった。
「ちょっとシモン? あなた宿屋の窓壊したわね! どうするのよ!?」
「お、俺様の野望の前に・・・」
「ほら、宿屋の御主人の頭下げるのよ! 早く来なさい!」
 シモンはレディに引っ張られていった。
 
「シルディ様? シルディ様!」
 白馬に乗った女性が森の中を進む。陣地からはだいぶ離れている。深い森の中だった。
「シルディ様・・・あっ!?」
 王子の馬を見つける。同じ気に手綱をくくりつけると馬から降りる。右手の方に王子の姿があった。
「シルディ様、勝手に本陣を離れられては困ります!」
「ああ、エクレア。こんなところまで来なくても・・・」
「こんなところって・・・既に魔人タニアの居城へ対する布陣は終わっているのです。それに魔族どもが王子に賞金を懸けられたとの噂もあります。心無い者たちに襲われる可能性もあるのですからね?・・・王子、聞いているのですか!」
 シルディは草むらの中にしゃがみこむ。立ち上がると白い花をエクレアに差し出した。
「はい、確かエクレア、この花が好きだったよね?」
「・・・王子、お願いですからそのようなことで森に入るのはおやめください。さあ、帰りましょう」
 王子の手を取って馬の方へ歩む。すると突然、その馬が嘶いた。
「・・・賊!?」
 囲まれている。その数は・・・十は下らない。シルディはゆっくりと剣を抜いた。エクレアも抜刀し、二人で背中を合わせる。
 盗賊たちが襲い掛かってきた。二人はその剣戟を受け止めていくが多勢に無勢。助けを待とうにも本陣からは離れすぎている。エクレアは王子からもらった花を胸元に差した。
「シルディ様、私が突っ込みます。その隙にお逃げください」
「エクレア?」
 制止しようとした王子を振り切り、エクレアは盗賊の輪に躍り掛かる。二人切ってよろけた。これで王子は逃げれるはず・・・。
「くっ・・・!」
 シルディがエクレアに切りかかった賊の剣を受け止める。そして彼女を守るように盗賊たちに剣を向ける。
「シ、シルディ様!」
 答えはない。エクレアも立ち上がる。じりじりと迫る盗賊たち。その刹那、盗賊たちの中心で爆発が起きる。シルディは爆音に思わずよろけた。
「爆弾?・・・助けなの?」
「いや、我が軍は爆弾など・・・あっ!?」
 森の奥から、銀の甲冑を纏った剣士が躍り出る。次々に賊を切り倒していく。彼らの顔に焦りが出る。頭の合図で弓を持った兵が前に出て構えた。しかし、剣士は素早く腰にかけた麻袋を投げつける。先程と同じ爆発。そして彼は賊の中心に飛び込んだ。
「え?」
「む、無茶な!?」
 アドレア国の二人が驚いた刹那、青白い円が光り輝く。剣士の回りにいた盗賊たちが倒れ、残りの賊たちは逃げていった。
 剣士は剣を鞘に収める。よく見ればシルディと変わらぬ年齢に見える。それでいて、我が軍の誰よりも優れた剣技。
「君は・・・一体・・・」
「カトル! どこに行ったのじゃ、カトル!」
 魔族の少女が低空で飛んできて剣士の横に立つ。思わず身構える二人だが、その少女は二人を気に留めるでもなく、カトルの手を取ると森の奥へと歩き出す。
「まったく、おぬしはわらわの家来なのだから勝手に動くんじゃない!」
「いや、人の叫び声が聞こえたから・・・」
「タニア姉はアドレア国に対して布陣しておる。城が手薄な今がチャンスなのじゃ! 早く搦め手に行かないと簡単には中に入れないんじゃからな?」
 二人は森の奥に消えていく。エクレアはぽかんとしていた。
「シルディ様・・・今の二人は・・・」
「さあ・・・でも、搦め手とか言ってたよね?」
「・・・信用できるのですか?」
 エクレアのその言葉に、シルディはにっこりと笑った。
「大丈夫だよ、だって助けてくれたじゃないか?」

by 夢☆幻
4th SCENE 攻城戦
「シルディ様! 単独での行動はお控えくださいと私があれ程……。賞金に目のくらんだ者に御生命を狙われたらどうなさるおつもりですか!? 大体シルディ様は……」
 本陣へと戻ったシルディを、ジェイドが怒声で迎える。齢既に七十に差し掛かろうという老騎士ながら、シルディのお側役として、腹心としてまだまだ現役である。戦いの腕でも、若者にそうひけはとらない。ただ、年のせいか元からの性格なのか少し口うるさいのが玉に傷かも知れなかった。
「ごめん、ジェイド。お説教なら後で幾らでも聞いてあげるから、取り敢えず今はボクの話を聞いてくれないかな?」
 いつになく真剣な表情でシルディがジェイドの言葉を遮る。怪訝そうな表情を浮かべてジェイドが口を閉ざした。
「……何でしょう、王子」
「これから、魔人タニアの城を攻める。すぐに準備をさせて」
「王子!? 城下町へと放った密偵はまだ帰ってきておりませんぞ? 相手の城の構造も戦力もはっきりとは掴めてはいないというのに……」
 目を剥いたジェイドに、ゆっくりと首を左右に振るとシルディは言った。
「もう、時間がないんだ。さっき、森の中でボクは刺客に襲われた。ここは敵地のど真ん中なんだ。時間をかければかけるだけ、こちらが不利になる」
「襲われた? エクレア、それはまことなのか!?」
「はい。危うい所を、通りすがりの剣士に助けられました。私が付いていながら、王子を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ございません」
 謝罪の言葉と共にエクレアが頭を下げる。僅かに唸りながらジェイドが顎に手を当てた。
「むぅ……本陣近くにまで刺客が出没するとは。エクレア、その通りすがりの剣士というのは、一体何者なのだ?」
「いえ、言葉を交わす間もなく立ち去ってしまったので素性までは……。ただ、連れらしい娘が『カトル』と呼んでおりました。銀の甲冑をまとった、シルディ様と同い年くらいの少年剣士です」
「銀の甲冑に、カトル? 王子、それはもしかして、『西の勇者』として名高いカトル殿では? 彼もまた、魔王を倒すためにこの島に渡っていると聞いておりますが……」
 ジェイドの言葉に、エクレアがハッとした表情を浮かべる。小さく頷くとシルディは肩をすくめた。
「確認したわけじゃないけど、その可能性は高いと思う。それに、彼が勇者と呼ばれているにせよいないにせよ、腕前は確かだった。
 そして、連れの娘の言葉によれば、彼もまたタニアを倒すつもりらしいんだ。搦め手から侵入するとか言っていたから、ボクたちが正面から攻撃を仕掛ければいい援護になるとは思わないかい?」
「それは……確かに。ですが、初めて会う相手に、打ち合わせもなしに連係プレーを期待するのは危険すぎますぞ。最悪、兵を無駄死にさせるだけということにも……」
「うん、そうだね。それに、ボクだって他人にタニアの首をやりたいわけじゃない。
 だから、さ。ジェイド、攻撃の指揮は君が取ってよ」
 軽い口調で言われ、思わず頷いてしまいそうになってジェイドが目を剥く。
「王子!? まさか……」
「二匹目のドジョウ、掴まえてみたいとは思わない?」
「なりません! 前回はたまたま上手くいったようなものの、私はあれで寿命が十年は縮まったんですぞ! 危険すぎます!」
 ジェイドのあげる大声に、眉をしかめながらもシルディは引かない。
「危険は承知さ。でも、ボクがタニアの首を取るにはこれしかないんだ。グズグズしてたら、『カトル』に持っていかれちゃうもの。
 アドレアの『王子』として、それを許すわけにはいかないんだ、絶対に」
「む……しかし……」
「ジェイド」
 左手を胸の辺りに当て、シルディが静かにジェイドの名を呼ぶ。しばし見つめあい、ふぅとジェイドが溜め息をついた。
「あー、もう、分かりました! 私の負けです、王子。どうぞ御自由になさってください。その代わり、後でたっぷりとお説教ですからな!」
「ありがとう、ジェイド。それに……ごめん」
「諦めるしかないでしょう? そんな顔をされては。クリフとソフィアには私の方から指示を出しておきます。エクレア、分かっているな」
「はい。この一命に代えましても」
 一礼するエクレアに、ふと疎ましそうな視線をシルディは向けた。ほんの一瞬だけ。

「凄いな……秘密の地下道って奴? いざという時の脱出用なのかな?」
 松明の明りを頼りに、地下通路を歩きながらカトルが感心したようにそう問い掛ける。彼の前を歩くミルキーが不愉快そうに頷いた。
「うむ。ティアラ姉上が、『城っていうのはこういう物なんだよ』などと言ってな、わざわざ作らせたものじゃ。まったく、妾たち魔族には『移送の扉』があるゆえ、こんなものは不要じゃというのに。まぁ、お陰で楽に侵入できるわけじゃから、文句を言うべきではないのかもしれんがな」
「そうだね。ああ、そうそう、一つ確認したいことがあるんだけど」
「何じゃ?」
「この城にある『移送の扉』を使えば、ゲオルグのいる本城とやらに行けるの? ほら、君の城からここに来る時、座標がずれてて酷い目にあったじゃない」
 カトルの問いに、ますます不機嫌そうな表情になるミルキー。
「あれは……タニア姉上がこちら側の扉を閉じていたせいじゃ。本城のほうでこの城との扉を閉じていれば、どうなるかは妾にも分からん」
「それって、やってみないと分からないって事?」
「まぁ……そうとも言うな」
「ふぅん。ま、いいか」
 あまり気にしていないカトルの様子に、ミルキーが拍子抜けしたように肩をすくめる。会話の続きといった軽い口調でカトルが更に言葉を続けた。
「ところで、さ、この通路、どこにつながってるの?」
「……確認したいことは一つだけではなかったのか?」
「ああ、うん。別にこれは、答えてもらわなくてもいいから。城のどっかに出るのは確かなんでしょう?」
「それは、そうじゃが……おぬし、よくもまぁそんないい加減というか適当なやり方でここまでこれたな」
 本気で呆れているらしいミルキーに、カトルがくすりと笑う。
「結構、何とかなるもんだよ、人生って」
「まったく……。城の地下倉庫じゃ。アドレア軍との戦闘に突入しているというならともかく、そうでなければそれなりに警備は厳しいはずじゃからな。気を抜くでないぞ」
「大丈夫、何とかなるよ」
 カトルの言葉に、ミルキーは僅かに口元を綻ばせた。

「何!? アドレア軍が総攻撃をかけてきた、ですって!?」
 謁見の間の王座から立ち上がり、タニアがそう叫ぶ。ひざまずいたまま、老ダニエルが頭を下げた。
「は、はい。現在正門の兵で防がせておりますが、相手の勢いは思ったよりも盛んで……このままでは門を破られるのは時間の問題かと」
「何てこと……。他の門からも兵を回し、死守するのです。人間ごときに侵入を許したと会っては、私の面子に関わります!」
「はっ、早速」
「ダニエル、あなたに指揮は任せます。ガズアルとガズエル以外の私の護衛も連れていきなさい。いいですね、一兵たりとも城内に入れるんではありませんよ!?」
「は、ははっ」
 平伏するダニエルには目もくれず、王座に座り直すとタニアは爪を噛んだ。
(そうよ……これはチャンス。シルディ王子を討ち取れば、功績になる。そうすれば、父上も少しは私のことを見て下さるはず……)
 キリっと爪を噛みながら、タニアはそう、自分に言い聞かせた。
 こんな所で、つまずくわけにはいかない、と。

「始まったようだね、シルディ」
 風に乗って届く戦いの音に、クリフがそう呟いた。シルディより一つ年上で、乳兄弟ということもあってか彼だけはシルディのことを呼び捨てにする。もちろん、公式の場では臣下としての礼はきちんと守るが。
「注文通り、全兵力を正門に集中させたようですね。こちらに残っているのは、見張りのあの二人だけみたいですわ」
 目を閉じたまま、ソフィアがそう言う。クリフの双子の姉であり、アドレア王国の守護神でもある大地母神・ムースの神官、それも次期神殿長間違いなしとまでいわれる実力者だ。常に笑みを絶やさないが、親しい者はその笑顔の裏で怖い事を平気で考えているということを熟知している。この四人の中では一番敵に回したくない相手かもしれない。
「それじゃ、ボクたちも始めよう。頼むよ、三人とも」
 シルディの言葉に、緊張した表情でエクレアがクロスボウを構える。同時にクリフが胸の前で印を結んで呪文を唱えた。
 エクレアの放った矢が、見張りの一人の首を貫く。同時に、クリフの操る真空の刃がもう一人の首を胴から切り離した。悲鳴すら上げずに二人の見張りが崩れ落ちる。
 しばらく様子をうかがい、他の見張りがいないことを確認するとソフィアが地面に両手を着けた。彼女が小さく何かを呟くと、音もなく城壁へと向けて階段状に大地が盛り上がる。顔を見合わせ、小さく頷くとシルディたちはその階段を駆け上がった。

「ふぅん、隠し扉か。なるほどねぇ」
 何の前触れもなしに突然響いた声に、タニアがギョッとしたように左手の壁を見る。ピッと壁に長方形の線が走り、重い音を立ててこちら側へと開く。
「ミ、ミルキー!?」
「久し振りじゃな、姉上。何かに気を取られると他のものが一切目に入らなくなるのが姉上の悪い癖じゃ。ここに来るまで、誰とも会わないとは流石に思ってなかったわ」
 傲然と胸を張り、ミルキーがそう言う。その背後から姿を現したカトルがだらりとクリスタルソードをさげたままタニアへと呼び掛けた。
「ねぇ、悪いことは言わないから、おとなしく降参してくれないかな。無益な殺生はしたくないんだ」
「な、何を……! ええい、ガズアル、ガズエル! この二人を殺しなさい!」
 王座から立ち上がりつつタニアがそう叫ぶ。長く伸びた彼女の影の中から、二人の魔人が姿を現した。二人とも切れ味の良さそうな曲刀と鎧で武装している。
 兜の奥に赤い光がともる。がちゃりと鎧を鳴らして二人が曲刀を構えた瞬間、ばんっと広間の扉が開いた。慌ててタニアがそちらへと振り返る。
「はぁ、はぁ……何とか、間に合ったみたいだね」
「ば、馬鹿な……シルディ王子!? 正門がもう破られたというの!?」
 驚愕を隠そうともせずにタニアがそう叫ぶ。乱れた息を整えながら、シルディが口元を歪めた。
「あれはね、囮なんだ。相手の注意を正面に引きつけておいて、横や背後からボクたち四人がこっそりと忍び込む。グライアを倒した時にも使った手なんだけどね。まさか、城内が完全に無人状態になってるとは思わなかったなぁ。
 お陰でボクらは楽をできたけど、その分ジェイドに負担が掛かってるからね。手っ取り早く勝負をつけさせてもらうよ」
 ぱちんと剣を鞘に収めながらシルディがそう言う。彼を守るようにエクレアとクリフが前に一歩踏みだし、ソフィアがそっとシルディに寄り添った。
「え、ええい! ガズアル! お前はカトルを殺せ! ガズエルはシルディを! 私はミルキーの相手をする」
「やれやれ……仕方ないなぁ」
 タニアの指示に、カトルがクリスタルソードを構える。ピンと空気が張り詰めた。鋭い踏み込みから放たれたガズアルの一撃を、カトルが弾く。その斬撃の重さにカトルが僅かに表情を改めた。
「結構強いな……なら」
 ひゅんと風を裂いてクリスタルソードが舞う。逆袈裟の軌道から、唐突に跳ね上がっての袈裟切り。カトルのスピードでこれをやられると、受けられるものはほとんどいない。そう、ほとんど。
 ギャリッと耳障りな音を立ててガズアルの曲刀とクリスタルソードが噛み合う。愕然とした表情をカトルが浮かべた。
「まさか。飛燕を受けた?」
「ザコとは違うのだよ、ザコとは! ロイヤルガードが一人、このガズアルを舐めてもらっては困るな!」
 ガズアルがクリスタルソードを弾きつつ鋭い斬撃を繰り出す。大きく跳び下がりながらそれを避けたカトルの甲冑を、僅かに曲刀が掠めていった。
「強いな……本当に。僕だけじゃ、勝てないか」
 大きく息を吐くと、カトルは左手で甲冑の胸に埋め込まれた赤い宝玉に触れた。
「ごめんね、マリオン。僕に力を貸してくれるかい?」
 カトルの呟きに、宝玉がカッと赤い光を放つ。次の瞬間、カトルの姿が消えた。
「なっ……!?」
 今度はガズアルが驚愕の表情を浮かべる。ドンという衝撃と共に彼の鎧が大きく裂けた。視界を黒い影のようなものが幾度も横切り、その度に鎧が裂け、血が飛び散る。
「ば、馬鹿なっ。動きを……捕らえられないだと!? この私が、ロイヤルガード・ガズアルが、手も足も出ないなどと……そんな馬鹿なことがあって、たまるかぁ!!」
 ふっと目の前に現れたカトルを、ガズアルが真っ二つに切り下げる。やった、と、彼が思った瞬間、背後からカトルがクリスタルソードで彼の胸を貫いた。二つに分かれた残像が、揺らめいて消える。
「流石に……これをやると、反動が、キツイな……」
 表情を歪めてそう呟くと、カトルは大きく息を吐いた。

「貴き血の流れに継承されし聖なる剣よ、親愛なるムースの名に於いて我は願う。正当ならざる使い手に、しばしその身を委ね給え」
 シルディの背後から肩へと右手を回し、左手を胸に当ててソフィアがそう呟く。淡い光がシルディの胸とソフィアの手の間に生まれる。ソフィアがゆっくりと手を胸から離していくと、それにつられるように光も長く伸び、一振りの剣へと姿を変えた。
 剣、といっても普通の剣ではない。刀身だけでも人の背丈ほどの長さもある大剣な上、L字型をした添え刃が交互に七つ生えている八支剣(やつさやのつるぎ)だ。本来、この様な多支剣は儀礼用の剣であって、実戦で使える代物ではない。事実、この剣も切っ先は丸くなっているし、側面にも刃はない。
 空中で八支剣の柄を握り、シルディが構える。華奢な身体つきをしているせいで、どう見ても剣に振り回されそうな印象だ。
「クリフ、エクレア。ここはボクに任せて。ボクがやらなくちゃいけないことだから」
「やれやれ。止めても無駄だろうね。いいよ、邪魔はしない」
 シルディの言葉に、あっさりとクリフが頷く。一瞬不満そうな表情をエクレアが浮かべるが、クリフに肩を叩かれてしぶしぶとシルディに前を譲った。
「そのような玩具で、この私の相手をすると? 舐められたものですね……」
「玩具かどうかは、やってみればすぐに分かるよ。……いくよ!」
 ガズエルへと向かってシルディが突っ込む。ガズエルもシルディへと向かって走った。二人の影が交錯する。
「つっ……」
 シルディの左肩の辺りで血がしぶいた。対して、ガズエルの鎧には傷一つ付いていない。
「ふふっ。やはりそんな玩具では、この魔界最硬の金属メタ・チルテニウム製の鎧を斬ることなど不可能ということですね」
「……こいつは寝起きが悪くてね。本当は、僕の兄さんが使うべき剣だから、仕方ないんだけどさ。次は、ちゃんと起きてくれると思うよ、多分ね」
「期待しておきましょう。もっとも、次は、あなたの首をいただきますが……」
 そう言いつつガズエルが剣を構え直す。自分の手の中で鈍い輝きを放っている八支剣をシルディは軽く睨んだ。
「だってさ。ちゃんとお仕事、しておくれよ」
 ほんの僅かに、八支剣に宿る光が強くなる。小さく笑うとシルディは再びガズエルへと突進した。
「馬鹿の一つ覚え、ですか。その首、いただきましょう!」
 ガズエルが横薙ぎに剣を振るう。その剣を、シルディは八支剣で受けた。ほとんど何の手応えもなくガズエルの剣が斬れ、ガズエルの上体が泳いだ。
「なっ……!?」
「もらうよ!」
 返す刃でシルディがガズエルに切り付ける。崩れた体勢から、何とか右腕でその一撃を受けるガズエル。熱したナイフでバターを切る時のようにあっさりと鎧もろとも彼の腕が切断され、床に落ちる。
「ば、馬鹿な……くっ」
 呻きながらガズエルが左腕をシルディへと振る。指の先から鋭い爪が伸びているのを認め、シルディが慌てて後ろに跳んだ。だが完全には避け切れず、ぱっと胸元から鮮血が飛び散る。僅かに表情を歪め、シルディは八支剣を構え直した。
「シルディ!?」
「シルディ様!?」
「大丈夫、単なる掠り傷だから……」
「いや、そーじゃなくて、お前、胸、見えてる」
 冷静に指摘するクリフに、がくっとエクレアがこける。苦笑しているようなムッとしているような、微妙な表情をシルディは浮かべた。大きく裂けた胸元から、幾重にも布で巻かれ、押さえ付けられた微かな膨らみが見えている。
「何の心配してるのさ、何の」
「き、貴様、女!?」
 信じられないというように叫ぶガズエルに、フッと笑うとシルディが三度突っ込む。
「女で悪いか!?」
「に、人間の、しかも女が、そんな玩具の剣でこの私を傷つけるだと……? 認めはせん、認めはせんぞー!!」
 立て続けに身体の周囲に魔力球を生み出し、シルディへと放つガズエル。だがその全てが途中で軌道を変え、八支剣の刀身へと吸い込まれ、いや、喰われる。
 ドンっとガズエルの胸を八支剣が貫く。愕然とした表情のまま、ガズエルが崩れ落ち塵へと変わった。溜め息と共に額に浮かんだ汗をぬぐう。
「残念だったね。八支剣は、普通の物は何一つ切れないけど、『魔』に属するものならばどんなものでも切断できる剣なんだ。……グライアを倒してるんだもの、警戒ぐらいはしなくちゃ」
 そう呟くシルディの手の中で八支剣が光に戻り、消える。はぁっと辛そうに息を吐くとシルディは言葉を続けた。
「兄さんが死んでさえいなければ、ボクがこの剣を振るうことも、男として、王子として育てられることもなかっただろうに、な……」
 ふらりと倒れかかるシルディを抱き留め、ソフィアが優しく微笑む。一瞬出遅れたクリフとエクレアが顔を見合わせた。
「あーあ、美味しいとこ、持ってかれちゃったか」

 ミルキーの放った氷柱が、鈍い音を立ててタニアの胸を貫く。信じられないというように目を見開いて膝を着いた姉を見下ろし、呆れたようにミルキーが口を開いた。
「動揺の余り、魔力がちっとも収束しておらんではないか。普段あれだけ大きな口を叩いておいていざ実戦になるとさっぱりとは情けない」
「ミ、ミルキー……」
「頭を床に着け、今までの非礼を詫びるというのなら生命だけは助けてやるぞ、姉上。妾は、優しいのでな」  <挿し絵> 
 傲然と言い放つミルキーに、ギリっとタニアは奥歯を噛み締めた。音を立てて背中が裂け、肉が盛り上がる。眉をしかめるとミルキーは右手をかざした。
「この期に及んでまだ悪足掻きとは……心底呆れ果てたわ」
 ミルキーの放った冷気がタニアを凍り付かせる。だが、タニアの身体を覆った氷はすぐに内側から砕けた。次々に肉が盛り上がり、異形へとタニアが変じていく。
 大気を貫いて幾本もの触手がミルキーへと襲いかかる。すうっと滑るように後退しつつ、ミルキーが口の中で咒を唱えた。床の上を青い光が走り、タニアを取り囲んで魔法陣を描き出す。ぱちんとミルキーが指を鳴らした。
 次の瞬間、床から生えた無数の逆さ氷柱がタニアの身体を貫いた。耳障りな断末魔の声と共にタニアが動きを止める。前髪を払いながらふっとミルキーが笑った。
「最後の手段に巨大化した悪役は、絶対に勝てないものなのじゃよ、姉上」


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