しかし、三人は村の中で呆然としていた。活気に溢れた村、行き交う人々には笑顔も見える。シモンは通り掛かりの男性に声を掛ける。
「おい、どうしたんだ?」
「え?……」
「せっかくこのオレ様が村を解放しにきてやったてのに、なんでこう平和なんだ?」
「おや、旅の戦士さんかい。それは一足遅かったね。ここは一昨日、ジャノンの次男を討ち取った勇者カトルによって解放されたんだよ」
「な、な、何!? そいつはどこにいる!?」
「ああ、確かそろそろゲオルグの居城に向かうかとで、向こうの出口の方にいると思うけど……」
「くっそ〜! オレ様の出番を潰しやがって……ブチ殺してやる」
「ちょ、ちょっと、シモン!?」
村の通りを猛ダッシュで駆け抜ける。やがて見えた門の前で、人々の見送りを
うける鎧姿の少年がいた。年齢は自分よりやや幼いか。赤毛の少年だ。
「この偽勇者が!! このシモン様の前にひざまづけ!! 『烈火爆豪拳』!!」
走りながら右手の皮グローブを締め直す。そして拳を構えると真っ赤な炎に包まれた。シモンの突進に気付いたカトルは身をひるがえすと剣を抜く。
半透明に輝く美しい刀剣だ。
「フム……この世に二つと無い、伝説の名剣、クリスタルソードか……。
それ一本あれば国ぐらい買えるな……」
「…もしかしてあのシモンさんですか? お噂は聞いています。とすると、仲間じゃないにしても、敵ではないと思いますけど……」
「黙れ! この世に太陽は一つ! そして世界を統べる覇者も一人! 我が野望の前に散れ! 真空……んがっ!?」
魔法を唱えようとしたシモンの口をレディが塞ぐ。耳元でおもいっきり怒鳴った。
「ちょっと、そんなの使って、この村ごと消し飛ぶじゃない!?」
「うるさい、オレ様の覇業の前には、少々の犠牲はやむを得ん!」
「そんなこと言ってるから、いつまでたってもガキだって言ってんのよ!」
「何だと、17になっても大して胸も無い癖に?」
「何ですって、この変態が!?」
「……もしもし?」
クラウドが二人を止める。そして村の外を指差した。
「カトル殿、行ってしまわれましたけど……」
既に彼の姿は小さくなっている。シモンが走り出す。
「待ちやがれ、この野郎!?……がッ!?」
その腰に後ろからレディが鞭を巻き付ける。シモンは思いっきり後方にコケた。
「……少し落ち着きなさいってば……」
カトルは森の中へと入った。街道を進んでも魔人の砦が幾つもあるようだ。
だからといってこちらに近道があるのかといえばそれは分からない。前方にそびえる山岳のどこかに、目指すゲオルグの居城があるのだけは確かだ。
「……まっすぐ進めば何とかなるか」
歩み出そうとしたその時、右から氷の波動が飛んできた。剣を振るい、衝撃波で打ち消す。甲高い、女の子の声が響く。
「偽善に満ちた愚かな神の作った人形の割りにはやるではないか、勇者とやらよ。
しかし、それもここまでだ!」
四匹、狼の顔をした獣人が取り囲む。そして木陰から自分と同い年ほどの少女が姿を現す。犬歯が長い他は自分たちとさほど変わらない。
「いけ、ベオウルフよ!!」
少女の号令に、狼人間が一斉に襲いかかる。しかし、カトルは剣を両手に持つと
一気に回転した。波動が円を作り、狼人間はすべてその胴を切り払われる。
「なっ!?」
狼狽する少女にカトルは駆け寄る。少女は逃げようとして腰を崩した。
その鼻先に剣を向ける。
そよ風が吹いて木洩れ日を揺らす。少女がおびえながらも口を開く。
「どうした、何故切らぬ?」
「……僕が切るのは悪しき心だ」
そう言ってカトルは剣をしまう。少女は逃げようとせず、顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
「私は敵だぞ!?」
「無抵抗のものは敵じゃないよ」
カトルはリュックを降ろして、水を飲む。黙っていた少女は唐突に泣き出した。
「うう……屈辱じゃ……姉上たちに讒言され、父上には誤解され、そして人間ごときに情けをかけられるとは……うぅ……」
意に介さずカトルは地図を広げている。そして少女に問うた。
「ねえ、お嬢さん、お城って正確にはどこにあるの?」
「え?」
「だって、ゲオルグの娘なんでしょ?」
少女は再びうろたえる。対照的にカトルはいたって平然としていた。
「な、何故、私の素性を?」
「だって、ジャノンの紋章が服に付いてるから」
少女は胸の印を見る。確かに、王族だけに許された紋章だ。彼女は振り返って袖で涙を拭くと、立ち上がって威圧的に話しはじめる。
「人間よ、なかなか見所があるな。特別に魔族の王、ゲオルグが三女、このミルキー様の手下にしてやろう」
「……何をするの、それで?」
「ん? まずは二人の姉上を討つのじゃ! 二人とも、私より遥かに年上だからと私の意見を聞くどころか、いつもいつもイジメおって。勇者を討ち取れば父上も私を認めてくれようと思ったが・・・やめた! あの二人さえいなければ、兄上たちも亡き今、跡取りは私だけじゃ! 積年の恨み、ここに晴らそうぞ!
さ、人間。行くぞ!」
「……どこに?」
「無論、姉上たちの居城にだ。ま、本城にいってることも多いから、どうなるかは知れんがな」
カトルは考えた。ゲオルグの城に行けるみたいだな。
「なら、いいか。さてと……」
カトルはリュックを背負う。ミルキーが初めて口元をほころばす。 なかなか可愛い。
「うむ、聞分けのよい者は出世するぞ! そうだ、わらわが王となった暁には将軍にしてやろう!」
「……それは、ありがとう……」
長い回廊を、タニアが不機嫌そうな表情で歩いている。数歩遅れて付き従いながら、彼女の教育係でもあった老ダニエルが彼女へと問い掛けた。
「陛下は、何と?」
「私の側からは一切干渉してはならない、と。勇者たちだけでなく、ミルキーの事も放っておけ、と」
「それは……」
流石に驚いたような表情を浮かべると老ダニエルは首をかしげた。
「困りましたな。アドレア王国軍は既に我が領内に布陣を終えておりますぞ。
指揮を取るシルディ王子はグライア様を倒したほどの腕の持ち主。放置しておいては、いささかまずいことになると思われるのですが」
「しかし、父上の命は絶対。逆らうことは……」
きりっと親指の爪を噛みながらタニアがそう呟く。ふぅむと腕組みをして老ダニエルが考え込んだ。
「要するに、我々とは直接の関係のないものが動けばよいのですな?」
「ダニエル?」
「裏の世界に、噂を流しましょう。シルディ王子の首に、賞金がかかったと。
我々とは関係のない無責任な噂ですが、それに踊らされるものも出て参りましょう。
無論、それでシルディ王子を倒せるとは限りませんが、周囲を信用できなくなれば自滅の道を辿るのは目に見えておりますからな」
魔族の支配を受けながら、楽に生きようとする人間もいる。そう言った連中を
相手に『勇者様』がどう動くか。僅かに口元を綻ばせるとタニアは頷いた。
「悪くない、考えね」
「どう思う? ティアラ」
「タニアちゃんのこと? お馬鹿さんだから、人間を使って勇者を倒そう、
とか考えてるんじゃないかなぁ。まぁ、放っておいても平気だと思うよ。 流石に父様の命令に背いて自分から出向いたりはしないだろうし、それにしょせんはこっちに本体を持ってこれちゃう程度だもん、タニアちゃんだって。
一応、勇者たちってグライアやアローン、ディザードにガイラム辺りには勝ってきたんだし、タニアちゃんにも負けたりはしないと思うなぁ、あたし」
くすくすと笑いながらティアラがそう言う。軽く肩をすくめるとゲオルグは視線をあらぬ方へとさ迷わせた。
「そう、だな」
「心配し過ぎだって。どうせしばらくは『北の勇者』の相手で手一杯だよ。あれは、
どっちかっていうとイレギュラーな存在だし。
それに、ミルキーちゃんは『西の勇者』と一緒なんでしょ? 一番真面目そうだし、いい相手だと思うよ、あたし。ま、そりゃ、何かの間違いでそばにいる『南の勇者』と一緒になったりしたら大変だけど」
「あれはあれで、面白い存在だがな」
意外と真面目な父親の口調に、ティアラは軽く首をかしげた。
「そーかなー? ま、もっとも、北や東の可能性だってあるわけだしね。それと比べれば……うーん、どっちもどっち、かなぁ?
父様は誰が一番だと思ってるの?」
「さて……」
薄く笑っただけで、ゲオルグは答えない。別に答えを期待していなかったのか、
んーと大きく伸びをしてティアラは立ち上がった。
「とりあえず、あたしは東と遊んでくるね」
「あまり調子に乗るなよ? それと、彼女との遊びに夢中になって、時間を忘れることのないようにな」
「はーい。分かってまーす」
無邪気な笑みを浮かべると、ティアラは姿を消した。ふうっと軽く息を吐いて
ゲオルグが苦笑を浮かべる。
「北や東の可能性、か。あまり、好ましくはないのだがな。まぁ、その手の趣味はミルキーも持ってはおらんが……」
「凄いな……秘密の地下道って奴? いざという時の脱出用なのかな?」
松明の明りを頼りに、地下通路を歩きながらカトルが感心したようにそう問い掛ける。彼の前を歩くミルキーが不愉快そうに頷いた。
「うむ。ティアラ姉上が、『城っていうのはこういう物なんだよ』などと言ってな、わざわざ作らせたものじゃ。まったく、妾たち魔族には『移送の扉』があるゆえ、こんなものは不要じゃというのに。まぁ、お陰で楽に侵入できるわけじゃから、文句を言うべきではないのかもしれんがな」
「そうだね。ああ、そうそう、一つ確認したいことがあるんだけど」
「何じゃ?」
「この城にある『移送の扉』を使えば、ゲオルグのいる本城とやらに行けるの? ほら、君の城からここに来る時、座標がずれてて酷い目にあったじゃない」
カトルの問いに、ますます不機嫌そうな表情になるミルキー。
「あれは……タニア姉上がこちら側の扉を閉じていたせいじゃ。本城のほうでこの城との扉を閉じていれば、どうなるかは妾にも分からん」
「それって、やってみないと分からないって事?」
「まぁ……そうとも言うな」
「ふぅん。ま、いいか」
あまり気にしていないカトルの様子に、ミルキーが拍子抜けしたように肩をすくめる。会話の続きといった軽い口調でカトルが更に言葉を続けた。
「ところで、さ、この通路、どこにつながってるの?」
「……確認したいことは一つだけではなかったのか?」
「ああ、うん。別にこれは、答えてもらわなくてもいいから。城のどっかに出るのは確かなんでしょう?」
「それは、そうじゃが……おぬし、よくもまぁそんないい加減というか適当なやり方でここまでこれたな」
本気で呆れているらしいミルキーに、カトルがくすりと笑う。
「結構、何とかなるもんだよ、人生って」
「まったく……。城の地下倉庫じゃ。アドレア軍との戦闘に突入しているというならともかく、そうでなければそれなりに警備は厳しいはずじゃからな。気を抜くでないぞ」
「大丈夫、何とかなるよ」
カトルの言葉に、ミルキーは僅かに口元を綻ばせた。
「何!? アドレア軍が総攻撃をかけてきた、ですって!?」
謁見の間の王座から立ち上がり、タニアがそう叫ぶ。ひざまずいたまま、老ダニエルが頭を下げた。
「は、はい。現在正門の兵で防がせておりますが、相手の勢いは思ったよりも盛んで……このままでは門を破られるのは時間の問題かと」
「何てこと……。他の門からも兵を回し、死守するのです。人間ごときに侵入を許したと会っては、私の面子に関わります!」
「はっ、早速」
「ダニエル、あなたに指揮は任せます。ガズアルとガズエル以外の私の護衛も連れていきなさい。いいですね、一兵たりとも城内に入れるんではありませんよ!?」
「は、ははっ」
平伏するダニエルには目もくれず、王座に座り直すとタニアは爪を噛んだ。
(そうよ……これはチャンス。シルディ王子を討ち取れば、功績になる。そうすれば、父上も少しは私のことを見て下さるはず……)
キリっと爪を噛みながら、タニアはそう、自分に言い聞かせた。
こんな所で、つまずくわけにはいかない、と。
「始まったようだね、シルディ」
風に乗って届く戦いの音に、クリフがそう呟いた。シルディより一つ年上で、乳兄弟ということもあってか彼だけはシルディのことを呼び捨てにする。もちろん、公式の場では臣下としての礼はきちんと守るが。
「注文通り、全兵力を正門に集中させたようですね。こちらに残っているのは、見張りのあの二人だけみたいですわ」
目を閉じたまま、ソフィアがそう言う。クリフの双子の姉であり、アドレア王国の守護神でもある大地母神・ムースの神官、それも次期神殿長間違いなしとまでいわれる実力者だ。常に笑みを絶やさないが、親しい者はその笑顔の裏で怖い事を平気で考えているということを熟知している。この四人の中では一番敵に回したくない相手かもしれない。
「それじゃ、ボクたちも始めよう。頼むよ、三人とも」
シルディの言葉に、緊張した表情でエクレアがクロスボウを構える。同時にクリフが胸の前で印を結んで呪文を唱えた。
エクレアの放った矢が、見張りの一人の首を貫く。同時に、クリフの操る真空の刃がもう一人の首を胴から切り離した。悲鳴すら上げずに二人の見張りが崩れ落ちる。
しばらく様子をうかがい、他の見張りがいないことを確認するとソフィアが地面に両手を着けた。彼女が小さく何かを呟くと、音もなく城壁へと向けて階段状に大地が盛り上がる。顔を見合わせ、小さく頷くとシルディたちはその階段を駆け上がった。
「ふぅん、隠し扉か。なるほどねぇ」
何の前触れもなしに突然響いた声に、タニアがギョッとしたように左手の壁を見る。ピッと壁に長方形の線が走り、重い音を立ててこちら側へと開く。
「ミ、ミルキー!?」
「久し振りじゃな、姉上。何かに気を取られると他のものが一切目に入らなくなるのが姉上の悪い癖じゃ。ここに来るまで、誰とも会わないとは流石に思ってなかったわ」
傲然と胸を張り、ミルキーがそう言う。その背後から姿を現したカトルがだらりとクリスタルソードをさげたままタニアへと呼び掛けた。
「ねぇ、悪いことは言わないから、おとなしく降参してくれないかな。無益な殺生はしたくないんだ」
「な、何を……! ええい、ガズアル、ガズエル! この二人を殺しなさい!」
王座から立ち上がりつつタニアがそう叫ぶ。長く伸びた彼女の影の中から、二人の魔人が姿を現した。二人とも切れ味の良さそうな曲刀と鎧で武装している。
兜の奥に赤い光がともる。がちゃりと鎧を鳴らして二人が曲刀を構えた瞬間、ばんっと広間の扉が開いた。慌ててタニアがそちらへと振り返る。
「はぁ、はぁ……何とか、間に合ったみたいだね」
「ば、馬鹿な……シルディ王子!? 正門がもう破られたというの!?」
驚愕を隠そうともせずにタニアがそう叫ぶ。乱れた息を整えながら、シルディが口元を歪めた。
「あれはね、囮なんだ。相手の注意を正面に引きつけておいて、横や背後からボクたち四人がこっそりと忍び込む。グライアを倒した時にも使った手なんだけどね。まさか、城内が完全に無人状態になってるとは思わなかったなぁ。
お陰でボクらは楽をできたけど、その分ジェイドに負担が掛かってるからね。手っ取り早く勝負をつけさせてもらうよ」
ぱちんと剣を鞘に収めながらシルディがそう言う。彼を守るようにエクレアとクリフが前に一歩踏みだし、ソフィアがそっとシルディに寄り添った。
「え、ええい! ガズアル! お前はカトルを殺せ! ガズエルはシルディを! 私はミルキーの相手をする」
「やれやれ……仕方ないなぁ」
タニアの指示に、カトルがクリスタルソードを構える。ピンと空気が張り詰めた。鋭い踏み込みから放たれたガズアルの一撃を、カトルが弾く。その斬撃の重さにカトルが僅かに表情を改めた。
「結構強いな……なら」
ひゅんと風を裂いてクリスタルソードが舞う。逆袈裟の軌道から、唐突に跳ね上がっての袈裟切り。カトルのスピードでこれをやられると、受けられるものはほとんどいない。そう、ほとんど。
ギャリッと耳障りな音を立ててガズアルの曲刀とクリスタルソードが噛み合う。愕然とした表情をカトルが浮かべた。
「まさか。飛燕を受けた?」
「ザコとは違うのだよ、ザコとは! ロイヤルガードが一人、このガズアルを舐めてもらっては困るな!」
ガズアルがクリスタルソードを弾きつつ鋭い斬撃を繰り出す。大きく跳び下がりながらそれを避けたカトルの甲冑を、僅かに曲刀が掠めていった。
「強いな……本当に。僕だけじゃ、勝てないか」
大きく息を吐くと、カトルは左手で甲冑の胸に埋め込まれた赤い宝玉に触れた。
「ごめんね、マリオン。僕に力を貸してくれるかい?」
カトルの呟きに、宝玉がカッと赤い光を放つ。次の瞬間、カトルの姿が消えた。
「なっ……!?」
今度はガズアルが驚愕の表情を浮かべる。ドンという衝撃と共に彼の鎧が大きく裂けた。視界を黒い影のようなものが幾度も横切り、その度に鎧が裂け、血が飛び散る。
「ば、馬鹿なっ。動きを……捕らえられないだと!? この私が、ロイヤルガード・ガズアルが、手も足も出ないなどと……そんな馬鹿なことがあって、たまるかぁ!!」
ふっと目の前に現れたカトルを、ガズアルが真っ二つに切り下げる。やった、と、彼が思った瞬間、背後からカトルがクリスタルソードで彼の胸を貫いた。二つに分かれた残像が、揺らめいて消える。
「流石に……これをやると、反動が、キツイな……」
表情を歪めてそう呟くと、カトルは大きく息を吐いた。
「貴き血の流れに継承されし聖なる剣よ、親愛なるムースの名に於いて我は願う。正当ならざる使い手に、しばしその身を委ね給え」
シルディの背後から肩へと右手を回し、左手を胸に当ててソフィアがそう呟く。淡い光がシルディの胸とソフィアの手の間に生まれる。ソフィアがゆっくりと手を胸から離していくと、それにつられるように光も長く伸び、一振りの剣へと姿を変えた。
剣、といっても普通の剣ではない。刀身だけでも人の背丈ほどの長さもある大剣な上、L字型をした添え刃が交互に七つ生えている八支剣(やつさやのつるぎ)だ。本来、この様な多支剣は儀礼用の剣であって、実戦で使える代物ではない。事実、この剣も切っ先は丸くなっているし、側面にも刃はない。
空中で八支剣の柄を握り、シルディが構える。華奢な身体つきをしているせいで、どう見ても剣に振り回されそうな印象だ。
「クリフ、エクレア。ここはボクに任せて。ボクがやらなくちゃいけないことだから」
「やれやれ。止めても無駄だろうね。いいよ、邪魔はしない」
シルディの言葉に、あっさりとクリフが頷く。一瞬不満そうな表情をエクレアが浮かべるが、クリフに肩を叩かれてしぶしぶとシルディに前を譲った。
「そのような玩具で、この私の相手をすると? 舐められたものですね……」
「玩具かどうかは、やってみればすぐに分かるよ。……いくよ!」
ガズエルへと向かってシルディが突っ込む。ガズエルもシルディへと向かって走った。二人の影が交錯する。
「つっ……」
シルディの左肩の辺りで血がしぶいた。対して、ガズエルの鎧には傷一つ付いていない。
「ふふっ。やはりそんな玩具では、この魔界最硬の金属メタ・チルテニウム製の鎧を斬ることなど不可能ということですね」
「……こいつは寝起きが悪くてね。本当は、僕の兄さんが使うべき剣だから、仕方ないんだけどさ。次は、ちゃんと起きてくれると思うよ、多分ね」
「期待しておきましょう。もっとも、次は、あなたの首をいただきますが……」
そう言いつつガズエルが剣を構え直す。自分の手の中で鈍い輝きを放っている八支剣をシルディは軽く睨んだ。
「だってさ。ちゃんとお仕事、しておくれよ」
ほんの僅かに、八支剣に宿る光が強くなる。小さく笑うとシルディは再びガズエルへと突進した。
「馬鹿の一つ覚え、ですか。その首、いただきましょう!」
ガズエルが横薙ぎに剣を振るう。その剣を、シルディは八支剣で受けた。ほとんど何の手応えもなくガズエルの剣が斬れ、ガズエルの上体が泳いだ。
「なっ……!?」
「もらうよ!」
返す刃でシルディがガズエルに切り付ける。崩れた体勢から、何とか右腕でその一撃を受けるガズエル。熱したナイフでバターを切る時のようにあっさりと鎧もろとも彼の腕が切断され、床に落ちる。
「ば、馬鹿な……くっ」
呻きながらガズエルが左腕をシルディへと振る。指の先から鋭い爪が伸びているのを認め、シルディが慌てて後ろに跳んだ。だが完全には避け切れず、ぱっと胸元から鮮血が飛び散る。僅かに表情を歪め、シルディは八支剣を構え直した。
「シルディ!?」
「シルディ様!?」
「大丈夫、単なる掠り傷だから……」
「いや、そーじゃなくて、お前、胸、見えてる」
冷静に指摘するクリフに、がくっとエクレアがこける。苦笑しているようなムッとしているような、微妙な表情をシルディは浮かべた。大きく裂けた胸元から、幾重にも布で巻かれ、押さえ付けられた微かな膨らみが見えている。
「何の心配してるのさ、何の」
「き、貴様、女!?」
信じられないというように叫ぶガズエルに、フッと笑うとシルディが三度突っ込む。
「女で悪いか!?」
「に、人間の、しかも女が、そんな玩具の剣でこの私を傷つけるだと……? 認めはせん、認めはせんぞー!!」
立て続けに身体の周囲に魔力球を生み出し、シルディへと放つガズエル。だがその全てが途中で軌道を変え、八支剣の刀身へと吸い込まれ、いや、喰われる。
ドンっとガズエルの胸を八支剣が貫く。愕然とした表情のまま、ガズエルが崩れ落ち塵へと変わった。溜め息と共に額に浮かんだ汗をぬぐう。
「残念だったね。八支剣は、普通の物は何一つ切れないけど、『魔』に属するものならばどんなものでも切断できる剣なんだ。……グライアを倒してるんだもの、警戒ぐらいはしなくちゃ」
そう呟くシルディの手の中で八支剣が光に戻り、消える。はぁっと辛そうに息を吐くとシルディは言葉を続けた。
「兄さんが死んでさえいなければ、ボクがこの剣を振るうことも、男として、王子として育てられることもなかっただろうに、な……」
ふらりと倒れかかるシルディを抱き留め、ソフィアが優しく微笑む。一瞬出遅れたクリフとエクレアが顔を見合わせた。
「あーあ、美味しいとこ、持ってかれちゃったか」
ミルキーの放った氷柱が、鈍い音を立ててタニアの胸を貫く。信じられないというように目を見開いて膝を着いた姉を見下ろし、呆れたようにミルキーが口を開いた。
「動揺の余り、魔力がちっとも収束しておらんではないか。普段あれだけ大きな口を叩いておいていざ実戦になるとさっぱりとは情けない」
「ミ、ミルキー……」
「頭を床に着け、今までの非礼を詫びるというのなら生命だけは助けてやるぞ、姉上。妾は、優しいのでな」 <挿し絵>
傲然と言い放つミルキーに、ギリっとタニアは奥歯を噛み締めた。音を立てて背中が裂け、肉が盛り上がる。眉をしかめるとミルキーは右手をかざした。
「この期に及んでまだ悪足掻きとは……心底呆れ果てたわ」
ミルキーの放った冷気がタニアを凍り付かせる。だが、タニアの身体を覆った氷はすぐに内側から砕けた。次々に肉が盛り上がり、異形へとタニアが変じていく。
大気を貫いて幾本もの触手がミルキーへと襲いかかる。すうっと滑るように後退しつつ、ミルキーが口の中で咒を唱えた。床の上を青い光が走り、タニアを取り囲んで魔法陣を描き出す。ぱちんとミルキーが指を鳴らした。
次の瞬間、床から生えた無数の逆さ氷柱がタニアの身体を貫いた。耳障りな断末魔の声と共にタニアが動きを止める。前髪を払いながらふっとミルキーが笑った。
「最後の手段に巨大化した悪役は、絶対に勝てないものなのじゃよ、姉上」