王道勇者
 
<表紙> <配役紹介> <用語解説> <目次>

by 中村嵐
5th SCENE 女ごころ 
 ミルキーは右手を刃化させるとタニアの首を切り落とす。そしてシルディの手前に蹴り飛ばした。血の跡を床に付けながら、不格好に転がるそれを睨みながら、ソフィアに腕を借りてシルディは片膝を立てる。ミルキーは先刻の可愛らしさなど微塵も無いほど異形に変化していた。
「・・・何のつもりだ?」
「フン、首が欲しいのではないのか? 人間はそのようなものを祭り上げて戦果を示そうとする・・・まったくもって悪趣味じゃ」
 ミルキーの肉体が収縮し始める。翼や牙が縮み、一回り小さくなっていつもの姿に戻る。もっとも、あちらの方が本来の姿なのかもしれないが。ミルキーはすわりこんでいるカトルの方に向き直る。
「さあ、カトル。行くぞ!!」
「・・・どこに?」
「何を言っておる。本城に決まっておろう」
「・・・次はゲオルグ?」
「おぬし、何を血迷って・・・ん?、そうか・・・」
 キッとなってカトルに詰め寄ろうとしたミルキーだったが、何かに気付いて表情を曇らせる。
「後はティアラ姉さえ倒せば私が王位後継者だが・・・あの姉上は自分の城を持っておらんのじゃった・・・フラフラとどこかに行っては帰ってこぬし・・・基本的には本城住まいなのだが・・・」
「本城行って暴れればいいんじゃないの?」
「いや、さすがに父上の御前を汚すわけにはいかぬ・・・。我らの一族は決闘をすること自体は禁じられておぬが、基本的にはきちんと場所日時を指定せねばならぬ。今回はなんとかごまかしもきくが、さすがに本城で不意討ちするわけにはいかぬし・・・」
「じゃあ、その人に決闘を申し込んで・・・」
 訥々とそう意見するカトルをミルキーは一喝した。
「バカモノ! 貴様はティアラ姉の実力を知らぬからそう言えるのじゃ! 老臣の中には既に父上を越えていると言うものもあるのじゃぞ?」
「じゃあ、どうするの?」
「ど、どうするって・・・そ、それを考えるのが臣下というものであろう?」
 二人のやり取りをアドレアの面々は見守っている。背中を向けてさらしを締め直しているシルディにエクレアがささやく。
「何を相談しているのか知れませぬが・・・あちらの娘の方は紛れもなく魔族。勇者ともあろうものが・・・」
「訳あって協力しているのであろう? 現に今こうしてタニアを倒したし、彼女がいなければ、こう搦め手に回り込むことも出来なかったわけだから」
「しかし、やり取りからして魔王の三女、ミルキーに間違いありません。いつかは倒さねばならぬ相手です」
 ソフィアの言葉にクリフが立ち上がる。シルディは制止した。
「やめろ、クリフ!」
 彼は剣を抜いて歩み寄る。ミルキーはクリフに視線を向けると、動じることもなく鼻で笑った。
「フン、虫けらが・・・場当たり的にしか物事を考えられぬのだから、ダニ以下の知能じゃな」
「ほざけ! 覚悟を決めろ!・・・何っ!?」 
 カトルが立ち上がってミルキーの前に出る。クリフは激情した。
「貴様・・。人でありながら魔族に加担するというのか!? 勇者の名が聞いて呆れる!」
「違うよ。君を助けたのさ」
 平然とした口調でカトルが言う。再び鼻で笑うミルキー。眉をしかめたクリフにシルディが声をかける。
「剣を引け、クリフ。足元を見てみろ」
 地面にいつのまにか氷の線で陣が描かれている。言葉を失うクリフの横を、身支度を整えたシルディが前に出る。
「シルディ!?」
「大丈夫・・・」
 シルディはカトルの前に立つ。右手を差し出した。
「先刻はどうもありがとう。勇者カトル。礼を言うよ」
「いや、通りかかっただけですから・・・ところで、どちらの姫君ですか?」
 何気ないカトルの質問。一瞬表情を失った後、シルディは狼狽してあとずさる。カトルはきょとんとしている。
「・・・どうしましたか?」
「み、見たのか?」
「・・・別に、顔を見ればわかるけど・・・」
「まったく、本当に人間の趣味はわからぬのう。ほんに、しょうもない生き物じゃ・・・」
 ミルキーの言葉に、思わずシルディは剣に柄に手をかける。
「お、女が戦っておかしいか!?」
「え?」
 緊迫した空気に間抜けな声。ミルキーも目をパチクリさせている。
「・・・おぬしな、わらわは格好のことを言ったのに、何故に戦いの話になるのじゃ?」
「あ・・・」
「別に、男だろうが女だろうが、戦士である以上は何の代わりも無いと思うけど・・・強いものは強いでいいと思うし。何でそんな格好しているの?」
「え、いや、それは・・・」
「まあ、別にいいけど・・・」
 あっさりと引き下がるカトル。ミルキーを見ると、彼女は奥の通路の方を顎でしゃくる。振り返りながら、ミルキーはシルディの足元に緑色の宝玉を投げた。
「本城に攻め込むつもりなのであろう? 本状の周りには結界が張られておって、入ることはおろか、黙視することさえ出来ぬ。しかし、結界を制御しているのは東西南北に1つずつある塔の最上部じゃ。その磁場を乱せばなんとかなるやも知れぬぞ?」
「・・・僕にそんなものを渡してもいいのか?」
「フン・・・それぞれの塔には異形の化け物が門番として住み着いておる。貴様らは愚か、わらわでもかなわうかわからん。ま、せいぜいわらわの陽動をしてたもれ。アッハッハッ・・・」
 ミルキーはカトルと共に城の奥に消えていく。エクレアが駆け寄った。
「王子?」
「ジェイドに道を調べさせる。それで先が無いのであれば・・・」
 シルディは足元の宝玉を拾う。拳大はあろうかという、大きな宝玉だ。
「・・・言われた通りにするしか、ないね」
 
 タニアが討ち取られたことに、魔王城は騒然とする。ミルキーが加担したことも、臣下たちを動揺させた。
「タニア様までこうなるとは・・・ミルキー様は何をお考えなのか?」
「しかし、今までは7番目で到底王位継承は無理・・・しかし、兄上4人がお亡なりになられ、ここぞとばかりに勝負に出られたのであろう・・・」
「かといってティアラ様に勝てるとはとても思えぬし・・・何より、よりによって勇者とやらが侵入しているこの時期に・・・」
「いやいや、だからこそ、混乱しているこの時期だからこそ行動を起こしたのであろう。現にタニア様もこのような状況でなければ、ミルキー様に負けることは考えられぬ・・・」
 将軍たちの会議は、意見が錯綜してまとまらない。すると末席の狼の顔をした騎士が立ち上がった。
「おい、ジャン。どうした?」
「俺は今よりミルキー様の元に参る」
「ジャン?」
「ミルキー様が王位を継げば、俺はあんたら老いぼれを全員追い抜かして一気に大将軍だ。俺も勝負に出てみるさ・・・」
 そう言い残して、ジャンは議場を後にした。
 
アドレア軍が野営を張っている。それを繁みから見つめるシモンたち。レディは不安げな視線を向ける。
「ねえ、どうするわけ?」
「フッフッフ・・・無論、アドレア国の王子を討ち取るに決まっている!」
「・・・はあ?」
「そうすればアドレア国はオレの物。労せずして一国手に入るわけだ。ハッハッハッ・・・」
「・・・そうしたら、立て替えたガラス代、倍にして返してもらうわ・・・」
「フン、未来の王に対して礼儀を知らぬ宿屋など取り潰してくれるわ。そうと決まれば、いざ行かん!」
 シモンが陣地に向かっていく。レディはクラウドにたずねた。
「・・・どうするの?」
「まあ、二人の勇者が合流するということじゃないんですか?」
「・・・毎回毎回、そう上手くいくものかしら・・・」
 
 テントの中で、シルディは水浴びをしていた。ソフィアが背後から濡れたタオルで背中を擦る。
「今日はやけに無口じゃございませんこと?」
「え?・・・べ、別に・・・」
 ソフィアが桶でタオルを絞る。シルディは天井を見上げる。
「カトル、今どこにいるんだろうね?」
「お気になりますか?」
「い、いや、ただ僕は・・・あっちがどういうふうにゲオルグの元に行くのかと・・・」
「・・・私はそのつもりで申しましたが」
「あ・・・」
 真っ赤になってシルディは下を向く。ソフィアは手を止めた。
「・・・姫様も、そろそろ殿方がお気になるお年頃でありますものね・・・」
「僕は王子だ。その呼び方はやめろ」
「でも、いつまでお続けになるつもりですの?」
シルディは答えない。再びタオルが動き出す。
「姫様が御世継ぎを残さねば、アドレアの血は絶えます。アドレアの国のために王子をなさっているのであれば、御子を授かるのも大切なことでございます・・・」
「そんなこといわれたって・・・わかんないよ、どうしたらいいかなんて・・・」
「私は、今回はいい潮時だとは思います。今のところ、他に魔王も見当たりませんし・・・ジェイド様は何と申されるかわかりませぬが、将軍もわかってはおいででしょうし、勝手に縁談を進められるよりは、今から良い人を探しておいた方がよろしいかと・・・」
「こ、こら。勝手に話をどんどん進めるな・・・」
「私見ですが、そういう意味ではカトル様は悪くありませんね。本人自体が勇者ですから、側近たちも悪い顔はしないでしょう・・・」
「・・・ちょっと変わった奴だから気にしただけだ。変に煽るんじゃない」
「ウフ・・・申し訳ありません」
 突然手前の天井が破れた。仰天するシルディ。とっさにソフィアが前に出る。
「何奴!?」
「フフフ・・・女と行水とはうらやましい限り・・・。しかし、そんな生活も今日で終わりだ! この世に太陽は1つ。勇者も一人、このオレ様で充分! そして全ての女はオレのものだ! シルディ、貴様の命とハーレムは、このシモン様がもらった!」
「シモン?」
 ソフィアは首を傾げる。剣を取ったシルディが前に出る。
「僕はそんなもの持っていない!」
「フン、そんなわけが・・・うん?」
 シモンはシルディを見つめる。ローブを身に纏ってはいるが、肩の曲線、肌艶、なにより自分の嗅覚が反応している。
「お、お、お・・・女!?」
「クッ・・・」
「誰か、誰か!?」
 動揺したシモンの隙を見てソフィアが助けを呼ぶ。なだれ込む兵士たち。
「し、しまった!?」
 
 陣地がざわめき始める。クラウドが首を傾げる。
「・・・どうやら、見つかってしまったようですね」
「私たちも危ないわね。逃げた方がいいんじゃないの?」
「・・・そうですね。取り敢えずもう少し後退しますか・・・」
 身を低くして二人は森の奥へと入っていく。すると木の上からシモンが降ってきた。
「き、貴様ら、見殺しにするつもりか!?」
「・・・見つかった自分が悪いんじゃないの・・・」
「だったら助けに来い。まったく・・・」
 シモンは地面に座り込んで水を飲む。クラウドが質問する。
「それで、アドレアの王子殿には会えたのですか?」
「そ、それが実は・・・女・・・女なんだよ、シルディの奴!?」
「女ぁ? どうせまた、女のテントにでも入り込んだだけでしょう?」
「いや、間違いなくあれは王子のテントだ。しかし、さすがのオレも女を討つわけには・・・ん、待てよ?」
 シモンがぽんと手を叩く。きょとんとするレディとクラウド。
「あの女が王子をやっているということは、アドレアの王家には男児がいないというわけだな?」
「まあ、そうでなければ説明がつきませんね」
「ということは、あの女がオレ様に惚れて結婚してやれば、何の問題もなくオレ様は一国の主・・・フハハハ、何も戦うだけが能ではないからな、ハハハハ・・・」
「・・・とうとう壊れたわ、この人・・・」
 レディが頭を抑える。シモンは立ち上がって闇夜に叫ぶ。
「待っていろ、シルディ〜〜!!」
 不敵に笑うシモン。陣地の方を見ていたクラウドが、ぽつりと言った。
「・・・見つかりましたよ、今ので」 
by 夢☆幻
6th SCENE 溜息の嵐
「・・・面白い人ですねぇ、南の勇者殿は」
 苦笑を浮かべながらクリフはそう言った。テントの中から出てきたソフィアが軽く首を傾げて問いかける。
「どうしたの?」
「風の精霊たちが、伝言ゲームで教えてくれたんですけどね、どうやら彼、シルディと結婚してアドレアの国王におさまるつもりらしいですよ」
「あらあらあら。それも、面白いかもしれないわね。もっとも、堅苦しい王宮の生活が似合う性格とも思えないけれど」
「それは、確かに」
 千年を越える歴史を持つだけに、アドレアは格式にはうるさい。もちろん、対魔族の国家という性格上、実力を重視している面もあるが、国王ともなれば実力と品位の双方を兼ね備え
ていることが要求される。
 ただ、アドレアの王位継承において第一位王位継承者−−つまりは、神剣・八支剣スメラギの使い手−−が死亡していたという前例はない。神剣・八支剣は大地母神ムースより授けられたものであり、その使い手のみがアドレアの国王となれるのだ。その性格上、第二位以下の王位継承者を定めない特殊な継承制度をとるアドレアの次期国王が誰になるのか、実
際問題として誰にも分からない。
 今の所、次期国王候補として目されているのは三人。第一候補は無論シルディ。第二候補は−−シルディの夫候補の筆頭でもあるが−−クリフ。そして第三候補が現国王ウェルズ
と王妃ミーシャの息子であるアーサー。だがそれぞれに問題点を抱えている上に、そもそも千年もの長い間王位継承にまつわる争いとは無縁だったせいで誰もがどう動けばいいのか分らないというのが現状だ。
 シルディは女だし、姫宮−−神剣をその身に宿す女子をそう呼ぶのだが−−としての責務もある。彼女が産んだ子供が次代の国王と姫宮になるのは確定であるが、彼女自身が国王と姫宮を兼ねてもいいものかどうかは少し疑問だ。
 ちなみに、姫宮が最初に産む子供は『必ず』男女の双子である。そして、男子は神剣の使い手として次代の国王となり、女子は神剣の鞘として次代の姫宮となる。これは建国の当初
から−−守護神でもあるムースによって−−定められたことであり、通常であれば王太子と呼ばれるハズの国王と王妃の間に出来た子供にも王位継承権は与えられない。過去に何度か、王位継承のさいにまだ王太子が幼いという理由で代理の王が立ったことがあるが、そういう時にも姫宮の夫が王になるのが慣例だった。だから、今回もその慣例に従ってシルディ
の夫となる人間がとりあえずの国王になるのでは、といわれている。
 その、シルディの夫第一候補であるクリフは、家柄も実力も問題ない。ただ、子供の頃からずっと一緒に育ってきたせいか二人とも互いに対して恋愛感情を持てずにいるのが難であ
る。それに、過去に何度かシルディから神剣を『抜く』ことが出来ないか試してみて、一度も成功しなかったというのも問題だとされている。
 アーサーは、アドレアの慣例上王位継承権を持たない。また、そもそも本人に継承の意思がない。とはいえ、他国であれば間違いなく第一位王位継承者である彼が−−シルディが子供を産むまでのつなぎとして−−国王になるべきだという意見も重臣たちからは出ている。
 もっとも、色々な意見は出ているものの、最終的な結論は一致している。すなわち、『ムース様からの神託があるに違いない』というものだ。
「・・・それはそうと、この間はごめんなさいね、クリフ」
 不意に話題を変えられ、一瞬きょとんとした表情をクリフが浮かべる。
「この間? ああ、例の件ですか。別にいいですよ。道化を演じるのは好きじゃありませんけど、ま、舞台が回ってきた以上はしかたないですからね。脚本を書きかえざるをえない状況で
したし」
 カトルやミルキーとの出会いは、正直予想外だった。まぁ、目的が同じ以上はいつかははちあわせするとは思っていたが、こんなに早い時期に会うとは思っていなかったし、そもそも勇者と魔王の娘が一緒にいるなどと一体誰が想像するだろう?
「いざという時のためには、今はたかが人間風情と侮っていてもらった方がいいですからね。ま、その『いざという時』がこなければそれにこしたことはないですけど。うてる手はうっておかないと」
「そうね。・・・あの二人、お似合いだと思わない?」
「興味はありますよ。無責任な好奇心ですけど。魔族と人間が結ばれたって例、ないわけじゃないですからね。もっとも、それで勇者カトルが人間の敵にまわったりしたら面白がってもい
られないでしょうけど」
 そう言って軽く肩をすくめると、クリフは少し悪戯っぽい笑いを浮かべた。
「ああ、そうそう。無責任な好奇心といえば、面白い人をみつけましたよ」
「面白い人?」
「クラウドさんですよ。勇者シモンのパーティに加わっているみたいですね」
 クリフの言葉に、きゅうっとソフィアが眉をよせた。
「まさか、こんな所まで追いかけてきたの? しつこい人ねぇ、本当に。あれだけきっぱりと振ってあげたのに・・・」
「まぁ、10歳以上年下の相手に大真面目にプロポーズするような人ですからねぇ。いろんな意味で只者じゃないんでしょう」
 ちなみに、最初にソフィアがプロポーズされたのはもう6年も前、まだ10歳の誕生日を迎えていない頃の話だ。ついでに、私に勝てたらと条件をつけたソフィアにクラウドが瞬殺されたというオマケがそのエピソードにはついている。
「姉さんも自分のことを好きだけど素直になれないだけだと思ってるとか、実は冷たくされたり苛められるのが好きだとか・・・」
「クリフ。あなた、楽しんでるでしょう」
「ええ、もちろん」
 じろりと横目で睨む姉へと、クリフはあっさりと頷いた。ソフィアがはぁっと溜息をつく。
「厄介なことにならなければいいのだけれど・・・」
   
「だいたいねぇ、シモン。あなたはいちいち考えが甘いのよ。さっきので警戒は厳重になっちゃったし、大体、どうやってシルディ王子・・・じゃなくて、王女? ともかく相手に惣れさせるつ
もりなのよ?」
 額のあたりを指で押さえ、レディがそう問いかける。ちなみに、さっきのシモンの大声のせいで陣地からアドレア兵がわらわらと出てきたせいで、今は逃げている最中だ。
「はぁっはっはっは。そんなもの、このオレ様の魅力をもってすれば造作もないことよ!」
「大声ださないの! ったく、なんでこんなのに・・・」
 小さな声でシモンの高笑いを遮り、レディが溜息をつく。普段ならば一緒になって止めてくれるクラウドが、何故か今回はシモンの『夜這い作戦』に協力的なのでますます頭が痛い。
「とにかく! こんなところで捕まったりしたら格好悪いでしょ!? いいから今は逃げることに専念しなさい!」
「馬鹿者! 勇者シモン様の辞書に逃げるなどと言う言葉はない!」
「あー、はいはい。じゃ、戦略的撤退。女の子はジラすのも手なんだから・・・ね?」
 なげやりな口調になってレディがそう言う。いっそ捕まってしまって頭を冷やさせるのも一つの手かもしれない、などと、物騒なことを考えてしまい、慌ててレディは首をふった。仮にも一
国の王子−−いや、シモンの言葉を信じれば王女らしいが−−の天幕に夜忍び込んだのだ。暗殺が目的といわれれば−−ま、最初の予定がそぅだったという噂もあるが−−首が飛ぶかもしれない。
(その辺、全然分ってないんだから・・・)
 はぁっともう一度、レディは溜息をついた。

 びっくりした、びっくりした、びっくりした。
 頭の中を同じ単語が回っている。いくらローブを羽織ったとはいえ、裸も同然の姿を見られたのだ。とっさの事態につい『王子』として対応してしまったが、今思いだせば顔が真っ赤になるほど恥ずかしい。
(やっぱり・・・女なんだな)
 普段どんなに頑張っていても、こういう時に思いしらされる。ちゃぷんと桶の中の水に手を入れ、シルディは苦笑した。
「結婚して、子供を産んで・・・想像できないんだけどな、まだ」
(ムース様がね、ちゃぁんと一番いい相手を選んでくださるの。王族の結婚ていうと、普通は感情の入る余地なんてないものらしいけど・・・私たち姫宮は、神剣を守るっていうお役目があるでしょう? 大切で、大変なお役目だから、せめて好きな人と結ばれてその人の子供を産むっていう幸せぐらいは手にできるようにってお考えになられたのね、きっと)
 母が子供の頃に話してくれたことをふと思いだす。あまり自由はなかったみたいだけど、それでも充分に幸せそうな母の姿に子供ながら憧れたものだ。自分もそうなりたいと。
(・・・だけど、今のボクは、王子だ。ゲオルグを倒すまでは)
 勢いよく顔を水で洗い、そう心に呟く。それまでは、女としての幸せなんて求めている暇はない。
 桶に張られた水に映る自分の顔が、泣いているように見えてシルディは溜息をついた。
(もっと、強くならなくちゃ・・・)


by 中村嵐
7th SCENE 思惑 
「ふう・・・なかなかいい眺めじゃない? 故郷を思い出すわね」
 アンジェが眼下を見下ろす。ヴァルボリ島は中央を頂点にした山形の地形である。つまり奥に行けば行くほど標高があがっていく。ちょうど三人がこの島に上陸した村が見下ろせる位置にいた。
「何言ってんだよ、ハゴスはずっとずっと高いぜ? 多分この島の最頂部よりもっと上だろ」
「もう、高いところに登ったからちよっと感慨にふけっているだけでしょう。そうやってパルフェったら頭が固いから、いつまでたってもブラウンと・・・」
「バ、バ、バ、バカ! 何を言い出すんだよ!?」
 パルフェは真っ赤になって振り返る。ブラウンは少し離れたところで島の中央の山を見上げていた。
 不思議なことに、魔族が支配するこの島において、島民の誰も魔王城の場所を知らないのである。いくつか城はあるものの、全て配下たちのいる支城であり、魔王ゲオルグの居城はわからないのである。
 無論、正確な場所を島民が知る由はないが、大体の見当とか、城のある方角などは知れているものだ。しかし、ことゲオルグに関しては・・・まったくといっていいほど情報が無い。どこにあるのか、まったく知れないまま、取り敢えず島の中央部に向かって歩いているというのが、今のブラウンたちの状況である。
「ん?」
 ブラウンは肌に感じるざわめきに眉をしかめる。神経にチリチリと触れる、妙な波動であった。感性の赴くまま、その波動を感じる方へと足を向ける。森の中に入ろうとしたところでパルフェが追いついた。
「おい、いきなりどうしたんだよ?」
「・・・何かある。・・・いや、何かではない。大きな魔力を感じる」
 ブラウンの言葉に姉妹の表情も険しくなる。さらに進もうとするブラウンの前にパルフェが立つ。
「こら。オレが前行くってば。それが役目なんだから・・・」
 大剣を抜き、前に構えたままゆっくりとパルフェが歩む。アンジェもブラウンの後ろについた。彼はゆっくりと前方を指差す。
「よし、私の言う通りに進んでくれ」
 
先に進むにつれ森は深くなり、こぼれる日差しの他は非常にじめじめしている。魔力を持たないアンジェにも、空気の異様な振動が感じられて表情が強張る。小枝を踏む音にもパルフェの心臓は縮んだ。ブラウンだけは表情を変えずにパルフェに進行方向を指差している。
「・・・あそこだな」
 すっとブラウンが左手を指差す。深い森の中で、そこだけがぽっかりと緑が消えている。そこそこの広さだ。用心しながら近付いてみると、石畳が敷いてある円形の広場だった。他には何も無い。
「止まれ」
 広場の一歩手前の繁みでパルフェの肩をつかむ。彼女は振り返るが、ブラウンは上空を凝視したまま黙っている。
「な、何よ、あれ?」
 空気は透明だ。しかし、その広場の上空に大きな塊があるのが見える。水ではない。竜巻の様に渦巻いているわけではない。まさに空気が歪んでいるとでも言うべき、異様な光景でにパルフェの足は震える。
「大丈夫だ。あれは恐らく、転移魔法の発動だ」
「て、転移魔法?」
 後ろから優しく抱きしめるブラウンに体を預けるようにしながら、少しほっとしながらその歪みを見上げる。
「・・・転移魔法って、要するに場所を移動するわけよね。そんな魔法、本当にあるわけ?」
「俺には出来ん。基本的には何かしらの施設を使ってやるものだが・・・」
 アンジェの疑問に答えるブラウン。しかし、突如の先行に三人はよろける。ブラウンが叫んだ。
「来る!」
「な、何がだよ!?」
「そんなもの、来るまでわからん!」
 雷の落ちたかのような轟音。 木々が激しく揺れ、埃が巻き上がる。
「・・・どこ、ここ?」
 間の抜けた声。ゆっくりと目を開けると、そこにいたのは少年と少女。激しく地団太を踏んで少女の形相が怒りに染まった。
「チッ! やはり本城への通路は閉じられておるか!」
「どうするの?」
「ど、どうするって・・・おぬしが考えんか!」
「そうは言ってもねえ・・・あ、こんにちわ!」
 ビクッと震えるパルシェ。彼はこちらに向けてにこやかに手を振っている。アンジェが眉間に皺を寄せてブラウンをうかがう。
「誘っているの?」
「・・・もしくは、ただのバカかもな」
 
山の中腹で野営する。カトル・ミルキーも一緒だ。近くに村があるわけでもなし、成り行き上同行しているわけだ。焚き火を囲んで、しかしお互い反対に陣取って会話はない。
「すいません、お皿一つ貸して頂けません?」
「あ、ああ、いいぜ」
 カトルだけは別だった。パルシェはまだ警戒を解いてはいない。ミルキーは粗末な保存食にずっとブツブツと文句をたれている。
「・・・魔族と一緒に行動してていいのかよ?」
「いいんじゃない、別に。ブラウンは魔族を倒すのが目的なわけじゃないし・・・」
 アンジェの答えはのんきなふうにしか思えない。ちらっと反対側をうかがうと、ちょうどミルキーと目が合った。キッとなるパルフェに、ミルキーは鼻で笑うようにして小競り合いをしかけてくる。
「おぬしらは一体どういうつもりなのじゃ?」
「は?」
「姉妹なのは先刻聞いたが、二人揃って同じ男に仕えるとはどういうことなのじゃ?」
「そ、それは・・・」
 口篭もるパルフェ。するとアンジェが笑いながらミルキーに答えた。
「別にいいのよ、夫婦だから」
「は?」
「バ、バカ! 言うなよ!?」
 ぽかんとするミルキー。恥ずかしそうに真っ赤になるパルフェ。カトルは飛んできた蚊を殺す。
「ふ、ふ、ふ・・・夫婦!? そ、そんな不潔な!?」
「あら、魔族って一夫一妻なの?」
「そ、そういうわけではないが・・・し、姉妹揃ってなど・・・」
「どこの御出身ですか?」
 唐突にカトルが話に加わる。混乱しているミルキーは怒らなかった。
「ハゴスの出身よ」
「はあ。なるほど」
「・・・何がじゃ?」
「うんと、確かハゴスって姉妹で同じ人に嫁ぐ習慣があったよなって・・・」
「習慣って・・・何故そのようなことを?」
「確か、ハゴスは凄い高地だからほとんど畑が無くて、相続で畑が分散しないように、家督を継ぐ男以外の兄弟はみんな家主に仕えて、それと女の子供しかいない家は、迎えた婿に全員嫁ぐっていうことだったと思うけど・・・」
「あら、ほとんどその通りよ。よく知っているわね」
「ええ、一年ほど前に訪れたことがあるもので」
「へえ、行った事があるの。私たちは四年前にブラウンについてきて以来、帰ってないのよね・・・何しに行ったの?」
 カトルが故郷を知っていたので、アンジェは完全に警戒を解いている。パルフェも興味津々だが、話に加わるにはもう一歩足りない。
「はい、僕は十四のときに剣の修行に出て以来、武者修業でいろいろなところを旅していますので・・・ハゴスにもそれで」
「・・・モンブ様とは勝負したか?」
 パルフェは控えめに言う。モンブは自分の師匠である。女性の彼女が大剣を扱うのも師匠の手ほどきを受けたからだ。
「えっと・・・確か王宮の剣士長さんでしたっけ。御相手はしてもらいました」
「ふーん・・・強かったろう?」
「はい、そうですね。なかなか隙が無い人だったので苦労しました」
「え?」
 今度はパルフェがぽかんとした。そんな彼女の反応にカトルは小首を傾げる。
「どうかしました?」
「か、勝ったのか?」
「まあ、一度だけですし、もう一度やってまた勝てる相手ではないですけれど・・・」
 ミルキーとパルフェが無口になって、会話が途切れる。するとそれので、暖の明かりで本を読んでいたプラウンが、唐突にミルキーに話し掛ける。
「あなたは魔法が使えるのですか?」
 機嫌を損ねないように丁寧な言葉遣いで尋ねていた。ミルキーも途端にシャキッとして受け答える。
「魔法? 魔法というのはおぬしらが使うような手品のことを指すのか?」
「はい、左様で」
「ならば使わぬ。わらわは、わらわ自身が氷の元素を生み出すことが出来るのでな、人の様に愚かな神々どもの力を使わぬとも、わらわ自身の力で使うことが出来る。まあ、その分人間はいろいろなものが使えるがな。わらわは炎は使えぬからの。それは無節操な人間の数少ない長所であろう」
 やはり魔族であって、しかも王族であるから人間を見下している。パルフェはブラウンの方を見て嫌な顔を見せているが、それでもブラウンは腰を低くして話を続ける。
「しかし、新しい魔法・・・あなたからすれば、技といったほうがいいのかもしれないですが、そのようなものは研究しておられないのですか?」
「ん〜、確かそのような部署もあったような気がしたの・・・ま、興味が無いからよくわからぬ」
「そうですか・・・いや、実を言うと魔法の研究にこの島に来たものでして、よく勉強になりました」
 先程の自己紹介では、この島に来た目的などは言っていない。無論、あちらのカトルの名声は聞いているので勇者とすぐわかった。しかし、こちらが尋ねなかったからなのかこちらの事情を聞かないので何も言っていないのだ。恐らく先日あったシモンも、自分がディザードを倒した事はわかっていないはずだ。ブラウンも名のある魔族を倒したのはディザードが最初で最後なので、この島に来ているという四人の勇者の中ではもっとも無名なはずだ。この島に来てからも特に何も言っていないので、今現在自分の素性を知っているのは、シモンに会ったときに急襲してきた魔族の女だけであろう。ミルキーはブラウンの態度にすっかり上機嫌で、それ以上は聞いてこなかった。
 
 焚き火を消す。ミルキーはカトルのシュラフを奪って、彼はその横で毛布に包まっている。アンジェがブラウンの耳元でささやく。
「どうなの?」
「あの娘・・・といっても年上だろうが・・・何も知らないみたいだな。やはり、本城に潜り込むしかないな」
「本当にあるんの、その、「天星砲撃陣」は?」
「さあな。実のところ、それさえわからん。結局ディザードの城の書物庫にも何も書いてなかったわけだし・・・」
「そのおかげで、勇者なんて面倒な名札もつけられてしまったものね」
「・・・ちょっと忍び込んだぐらい、見過ごしてくれたっていいものを」
 ブラウンの言葉にアンジェは笑う。しかし、次の瞬間、少し真顔になった。
「その魔法・・・知ってどうするの?」
「さあ、もしかしたら一生使わんかもな。相当恐ろしい魔法の様だし・・・」
「本当にあるのかしら?」
「無ければ別の系統の魔族たちを調べるだけさ」
「それにしても・・・妙なパーティになったものね・・・」
「ま、利害が一致しているからいいんじゃないの?」
 
 アドレアの陣地。夜もふけてシルディの天幕の周りには大勢の見張りが立つ。それを横目に見ながら、クリフは姉の天幕に向かう。中に入ると、ソフィアはびっくりした顔で振り返る。無言のままクリフは入り口に椅子を広げる。
「シルディ様の護衛はよろしいの?」
「あっちはエクレアもいるし、その他大勢で守っているからさ。こっちには誰もいないんだろ?」
「まあ、ムースの神官に夜這いをかけるなどと、そんな大それた事をするものはいませんもの、アドレアには」
 どこが楽しんでいるようにも見える姉が少し腹立だしい。
「物見の精霊によれば、クラウドもシモンに同調しているようだし・・・実際近くの森からこちらをうかがっているみたいだけど、何時どうやって仕掛けてくるまでは定かではないからな」
 ソフィアからすれば、落ち着きの無い弟が少しかわいらしい。そわそわしながら外を覗いている。
「ちょっと辺りの様子を見てくるかな・・・」
「もう、クリフったら、少しは腰を据えて・・・」
「姉上が呑気すぎる・・・うん?」
 陣地の先方が騒がしい。次いで悲鳴の様な声が上がる。
「て、敵襲だぁぁぁぁ!!」
 その声にクリフが飛び出す。慌ててソフィアも続く。
「敵!? 敵って魔族なの!?」
「シモンが攻めてくるわけないだろう! 斥候は何をやっているんだ!?」
「私がシモン殿の方に・・・いや、私事に気を取られていなければ気付いていたのに・・・シルディ様に申し訳が立たないわ・・・」
「そんなの、敵を止めてからにしろよ!」
 不意をつかれたアドレア軍は完全に浮き足立っている。大剣を片手で振り回しながら、ジャンが叫ぶ。
「行け、我がベオウルフ軍よ! ミルキー様の元に勇者シルディの首を捧げるのだ!」
 剣を振るうシルディ。その彼の背後を守りながら、エクレアが腕を引く。
「王子、ここは引きましょう! このままでは防ぎきれません!」
「ここでボクが引くわけには・・・」
「しかし、我が軍は完全に押されて・・・」
「ソフィア、ソフィアさえ来てくれれば・・・八支剣があれば・・・」
「貴様ぁ! 貴様がシルディ王子だな?」
 一際大きな狼男がシルディの前に立ち塞がる。こちらの身の丈はありそうな幅広の剣の先を眼前に向ける。
「その首、この魔選将軍、ジャン・バラヤがもらった!」
「皆のもの、王子をお守りするのよ!!」
 エクレアの合図に、アドレアの兵士が一斉に躍り掛かる。しかし、左手の爪で薙ぎ払い、さらには剣を振り回してあっというまに数人の兵を斬る。ジャンの周りにぽっかりと輪が出来る。
「王子!」
 クリフとソフィアが駆けつける。その声に嬉々としてシルディが振り返った。
「・・・! 小僧、隙を見せるか!?」
 ジャンがシルディめがけて踏み込んだ。振り下ろされた大剣を、地面を転がるようにして必死にかわす。下っ端のベオウルフたちが兵士に躍り掛かり、シルディを守るものはない。
「でやぁぁぁ!」
「キェェェェ!」
 クリフが走り込み、それに呼応するようにエクレアも飛び掛かる。しかし、ジャンはまずクリフを右足で思い切り蹴飛ばした。身の丈が違うから、圧倒的にリーチが違う。エクレアは剣じりを合わせるが、片手のジャンに吹き飛ばされた。
「ハア!」
 返す刀でシルディにも切りかかる。よけきれず剣で受けるが、圧倒的な衝撃に、両手の指が砕けるかのように痺れる。落とさないように、必死で体に預けるようにする。
「そんなものかっ!」
「あっ!?」
 シルディの剣を叩き落とすようにジャンが打ち込む。後ろによろけ、背中から倒れる。顔を上げると、ジャンが剣先を地面に向けて仁王立ちしていた。息を飲むシルディ。
「死ねや!」
「王子!?」
 ソフィアが短刀を持ってジャンの左脇腹に突っ込む。その隙にエクレアがシルディを引きずり起こして距離を取る。
「チッ!」
 ジャンが左肘をソフィアの後ろ首に落とす。声も無く崩れ落ちる彼女を、ジャンは左腕でつかむと高々と掲げる。
「ハッハッハ・・・さあ、どうするんだ、勇者よ!?」
「ソ、ソフィア・・・」
 エクレアの肩を借りながら立ち上がったシルディはソフィアを見上げる。口の端から血を流し、ぐったりと目を閉じている。
「さあ!」
「ひ、卑怯者が!」
 クリフが前進の痛みを堪えながらも、ジャンに剣を向けて間合いを詰める。ジャンの口元が笑う。
「フン、グライア様もタニア様も、不意討ちして倒したおまえらの言葉とは思えんな?」
 身動きの取れないシルディ。ジャンの目が笑う。しかし、陣の後方で爆発が起こってベオウルフたちの断末魔が響く。表情を歪めるジャン。
「何事!?」
「死にたくない奴はぁ、どきやがれっ!!」
 兵士をかき分けて姿をあらわしたのはシモン。ジャンが剣先を向けた。
「誰だ、貴様!?」
「挨拶は無し! くらえ、爆裂豪火弾!」
 巨大な火の玉がシモンの両手から生成され、ジャンめがけて放たれる。シルディから血の気が引く。
「バ、パカ、ソフィアが!?」
 しかし、火の玉はジャンの手前で破裂して、辺り一帯が激しい閃光に包まれる。思わずひるむジャン。
「ソフィア殿!」
 クラウドがジャンの後方から飛び掛かる。彼の発した真空の刃に、ジャンの腕から鮮血をほとばしる。
「ガ!?」
 ソフィアがジャンの腕から落ちる。それに駆け寄るクラウド。
「ソフィア殿!?」
 ガシャ! ジャンが左腕を高々と振り上げる。その指の先の、爪から滴る血。クラウドはばったりと後方に倒れる。
「邪魔をしおって・・・」 
 ジャンが口笛を吹くとベオウルフたちが引いていく。ソフィア右肩に抱えて立ち去ろうとするジャン。
「シルディよ、「東の搭」で待っている。但し、一人で来ることだ。一人でも仲間を連れてくれば・・・この女の命はない!」
「ソ、ソフィア!」
 シルディの言葉にジャンは振り返らない。シモンはクラウドを抱きかかえていた。
「こら、貴様が助けたいって言うから、しかたなく引き立て役に回ってやったんだろ!? オイ、しっかりしろ!?」
 その横では、エクレアががっくりと膝を落としていた。呆然とつぶやく。
「八支刀が、奪われた・・・」
 
「おお、よしよし。御苦労じゃな。主人の元にお帰り・・・」
 小悪魔が空へ飛び立っていく。手紙を広げるミルキーを横からカトルが覗き込む。
「何が書いてあるの?」
「ふむふむ・・・「勇者シルディの首を献上いたしますので、御側路ですが東の搭までお越しください」とある。差出人は・・・ベオウルフの将軍じゃな」
「あの子、やられちゃったの?」
「まあ、生け捕りかもしれぬし、行って損はなかろう。ささ、皆のもの、行くぞ!」
 揚々と歩き出すミルキー。アンジェがブラウンを見る。
「なんか、家来にされてるんだけど・・・」
「ま、ミルキー様が王になわれた暁には、魔道書庫の管理人にでもさせてもらうか・・・」
「そのようなケチ臭いこといわず、宮廷魔術師にでもしてやろう! アッハッハッ・・・」
「なんかなあ・・・」
 パルシェは納得行かない顔で頭を掻く。が、彼女についていく以外に当面することがないというのもわかる。アンジェと顔を見合わせると、お互いに苦笑いを浮かべた。


by 夢☆幻
7th SCENE 新たなる力
「やれやれ……大失態ですね」
 短いながらも激しい戦闘が終り、クリフが溜め息をつく。何気なく視線を周囲に巡らした彼は、シモンとクラウド、そしてレディの三人組に目を止めた。
「余計なことに、気を取られ過ぎましたか……」
「クリフ!」
 背後からかけられた声に、クリフがゆっくりと振り返る。
「ジェイド将軍。被害のほうは、どの程度です?」
「十数人はやられた。怪我人も多い。王子が無事なのは不幸中の幸いだが……ソフィアが」
「姉さんのことなら御心配なく。予定通りですから」
 内心で苦笑を浮かべつつ、それをかけらも表情や口調には出さずにクリフがそういう。眉をしかめたジェイドに向かってクリフは更に言葉を続けた。
「敵の本拠地から何から、情報が少なすぎますからね。次の戦闘で、上手くいきそうなら私か姉さんのどちらかがわざと敵に捕らえられ、情報収集をしようと話し合っていたところなんで
すよ。まぁ、そんな話を二人でした直後に襲撃があったのは、流石に予想外でしたけど」
「わざと……だと?」
「双子の間には、不思議な感応力が備わっているというのはご存じでしょう? 私と姉さんは、どんなに離れていても互いの場所が分かるんです。今はまだ移動中のようですが……じきに敵の拠点の一つの場所は分かるでしょう。
 それに、本気になった姉さんをどうこう出来るだけの力を持つ者なんて、それこそ魔王本人ぐらいでしょうから。心配は無用です」
 自信たっぷりにそう言い放つと、クリフは軽く笑ってみせた。
「ですから、将軍。何時でも動けるよう、軍団の再編成を宜しくお願いします」
「う、うむ。それは無論のことだ」
「では、これで。私はシルディ殿下と少し話をしなくてはなりませんので」
 そう言って一礼すると、内心で溜め息をつきつつクリフはジェイドに背を向けた。
 正直な話、不意をつかれて為す術がなかったのも事実なのだ。だが、それを正直に言う必要はどこにもない。むしろこれもこちらの策のうちと余裕を見せることで、味方側の動揺を防ぐ
努力をしなくてはならないのが現在の状況だ。なにしろ、ソフィアは神剣を抜くことができる(今のところ)唯一の存在であり、同時に高位の神官でもある。アドレアの『力』を象徴する存在の一人であるのだ。それが為す術もなく敵の手に落ちたなどと、間違っても言うわけにはいかない。
 もっとも、と、内心で苦笑しつつクリフは思った。
 姉さんが本気になっていれば、捕らえられることはなかったはずだ。確かにあの敵の将軍は強い力を持っていたが、かといって魔王の子供達を遥かに上回るというレベルでは決してない。対処できない敵ではなかったはずだ。
(となると、何か狙いがあったわけだけど……さて、それがなんなのか、それが問題というわけか……)
 ともあれ、ゆっくりと考えている時間はない。
 シルディと今後のことを話し合わなければ、と、そう思った彼の視界に、タイミング良くというか悪くと言うか、シルディが入り込んできた。ただし、彼女が向かう先はクリフではなく、シモ
ンのほうだ。
「……勇者、シモン様ですね?」
 無理やり感情を押し殺したような平坦な口調でシルディがシモンにそう問い掛ける。ふっと口元に笑みを浮かべるとシモンが立ち上がった。
「その通り! 天下無敵、真の勇者とはこのシモン様のことだ!」
「……お願いしたいことが、あるんですが」
 シルディの背後まできたクリフが、シルディの言葉に僅かに動揺の表情を浮かべる。彼の感覚からすると、シモンに向かって協力してくれるようお願いしなければならない必然性は何
もない。というよりむしろ、出来れば関わりあいたくない相手と言えた。
「ふん、お願いか。大方捕らわれたあの女神官を助けるのを手伝ってくれという辺りだろう? 条件次第じゃ……ぐえ」
 後ろから首を締められ、シモンがくぐもった声を上げる。普段ならばレディの鞭が巻き付いているのだろうが、今回はクラウドの腕が彼の喉に回っている。
「無論、ソフィア殿を助けるためとあれば協力は惜しみませんぞ! このクラウド、ソフィア殿のためなら例え火の中水の中」
「グ、グラウド、チョークチョーク……」
 完璧にきまっているのか、自分の首に回ったクラウドの腕を叩きながらシモンが呻く。口の端に白い泡が浮かんでいた。おお、と、今更気付いたような声を上げてクラウドが手を離すと
ドサッとシモンが地面に座り込む。
「お、お前、オレ様を殺す気か……!?」
「……シモン様。私の話を聞いて頂けませんか?」
 思い詰めたようなシルディの言葉に、ひらひらとシモンが手を振ってみせる。
「分かってるって。嫌だっていうとこいつにまた首を締められるからな。乗りかかった船だ、格安で手助けしてやる」
「……そこでしっかり報酬を要求する辺りがシモンよねぇ」
「何を言う! ただ働きなど、そんな人の道から外れた行いができるわけないだろうが!」
「シモン様!」
 レディの呟きに怒鳴り返したシモンに、我慢の限界といった感じでシルディが怒鳴る。びくっと思わず身体をすくませてシモンはシルディの顔を見上げた。
「あ、ああ、悪い。何だ?」
「ボク、じゃない、私のことを、抱いてほしいんです、いますぐ」
「へ!?」
 シルディの言葉に、誇張ではなしに空気が凍った。言われたシモン本人を含め、クラウド、レディ、そしてクリフも咄嗟には何の反応もできずに立ちすくんでいる。
「……あ、あはははは、失礼。シルディ様は少々動揺しているようですね。シモン殿、詳しい話は後ほど。まずはそこの天幕でのんびりとお茶でも召し上がっててください。それでは」
 一番先に我に返ったクリフが、シルディの口を塞ぎながら引きつった笑いを浮かべてそう言う。まだ呆然としているシモンたちには構わずに彼はそのままシルディを少し離れた木の影
まで引きずっていった。
「……な、何だったの、今の?」
「さ、さぁ……?」
 呆然と呟いたレディに、同じく呆然としたままでクラウドが答える。少しの間を置いて、シモンがドンっと両の拳で地面を叩いた。
「いくら意表をつかれたとはいえ、抱いてくれといわれて反応できずにいるとは……これはシモン、一生の不覚〜〜〜〜!!!!」
「馬鹿なこと大声で叫んでんじゃない!」
 間髪入れずにレディの拳がシモンの後頭部に炸裂し、顔面からシモンが地面に突っ込む。はぁっと溜め息を付くとレディが肩をすくめた。
「まったく……何でこんな男が、ねぇ」

「シ、シ、シルディ! さっきのは、一体……!?」
「だ、だって仕方ないじゃないか! ソフィアがさらわれて、ボク一人で来るように要求されて、八支剣が必要なんだから……!」
 顔を真っ赤にしてシルディがクリフに怒鳴り返す。混乱しかけた頭を必死に整理し、クリフは一つの可能性に気付いて眉をしかめた。
「シルディ……お前、もしかして彼を……?」
「他にいないだろう!? クリフは使い手にはなれないんだし……他に手段がないじゃないか!」
「馬鹿なことを……。姉さんからどんな話をされたのかは知らないけど、そんなことをしても何の意味もない。シルディが本当に彼のことを愛しているというのならばともかく、そんな不純な動機で契りを交わしたところで、神剣は決して彼を使い手とは認めはしないだろう」
 クリフの言葉に、シルディが沈黙する。自身でもそれは分かっていたのだ。ただ、万分の一、億分の一でも可能性があるのならば賭けてみたかった、それだけだ。
「でも……」
「大体、男に抱いてくれなんて言うのは、ちゃんと子供が産める身体になってからすることだね。子供が無理に背伸びをするもんじゃない」
「……ボクだって、来月には十六だ。もう、子供じゃない」
「年月を重ねれば大人になれるというものでもないよ、シルディ。少なくとも、さっきのお前の行動は、分別のある大人のすることじゃなかった」
 クリフの言葉に、シルディが涙を浮かべる。苦笑を浮かべながらクリフはシルディの頭を抱いた。
「だって……ボクには何もないじゃないか。ソフィアを助けるために必要な力が……八支剣がなければ、ボクは単なる未熟な剣士にすぎないんだから!」
「やれやれ……」
 頭の中でピースが組み合わさるのを感じながら、クリフは一旦シルディから身を離した。
「姉さんは、シルディに何も話していないんだね。神剣のことも、その添え刀のことも」
「添え……刀?」
「神剣・八支剣は使い手に強力な攻撃力を与えるけれど使い手本人、そして、鞘たる女−−姫宮の身を守る機能は持っていない。まぁ、姫宮の体内にあるうちは強力な結界として作用
するけれど、剣の形を取って実体化すればその効果もなくなってしまう。
 だから、使い手と共に最前線にでなけばならない姫宮の身を守るための防御のための武器というものが存在するのさ。姫宮の身を守る七つの翼−−『北斗』と、使い手の補助をするもう一つの牙−−『昴』が」
 自分の存在を、一時的に消したかったのだ、ソフィアは。シルディに神剣を、『皇』を使わせないために。神剣に頼りっきりのシルディを鍛えるために。
「それならそれで、一言ぐらいあってもよさそうなものだけど……」
「え?」
「ああ、何でもない。それより、添え刀の呼び出し方は私も知っているから、今教えよう。使いこなせるかどうかは、シルディ次第だけど、ね」
 意地の悪い表情を浮かべると、クリフはそう言って小さく笑った。

「たーだいま〜」
 呑気な声を上げながらティアラが謁見の間の扉を開ける。いつものように王座に腰を下ろしていたゲオルグが僅かに視線を上げた。
「早かったな、ティアラ」
「アドレアにちょっかいかけようと思ったら、邪魔されちゃったんだもん。あれ?」
 とことことゲオルグの側に駆け寄ったティアラが、彼の前に置かれていた遊戯盤を見て軽く首をかしげた。
「これ、違ってるよ、父様。こうなってこうなってこうだよ」
 遊戯盤の上に置かれていた駒をいくつか移動させ、最後にぽんっと駒の一つを指で叩いて色を変えるティアラ。最初から置かれていた駒は、青、赤、緑の三色だったのだが、ティアラ
が色を変えた駒はどれでもなく黄色だった。ちなみに、盤の上に置かれている駒は半分が青、残り半分が赤で、緑は最初から一つだけ。黄色に変わったのはもとは青かった駒だ。
「どういう事だ?」
「知らないの? 父様。ジャンくんがねぇ、反乱起こしたんだよ。東の塔を占領して、しかもアドレアに喧嘩売ってソフィアをさらってきたの」
「ほぅ」
 ティアラの言葉に、ゲオルグが僅かに感心したような声を上げる。
「無知とは、幸せなものだな。とはいえ、東の塔か。放置しておくわけにもいかんが……」
「アタシはヤだかんね、父様。あんな人妖(ばけもの)の相手なんてしたくないもん」
「とはいえ、将軍程度では相手になるまい」
「やだってば。彼女と戦っても楽しくないもん。ミルキーちゃんが余計なことしたお陰で、グライアだけじゃなくてタニアちゃんの力まで吸収しちゃったわけでしょ? 負ける気はないけど、
確実に勝てる気もしないし……それにアタシ、ああいう人嫌いだし」
 ぷうっと頬を膨らませるティアラに、ゲオルグは苦笑を浮かべた。
「仕方ない、か。他の塔の守りを固めさせれば済む話、でもあるしな」
「うん。……ああ、そうそう。ジャンくんが反乱起こしたって聞いた途端、ルーエンちゃんとオルドバくんが東の塔に兵を向けたみたいだよ。もしかしたら、二人が塔を取り戻してくれるかも」「ふむ?」
 僅かに苦笑をゲオルグが浮かべる。
「なるほど……。反乱といわれるのは、ジャンとしては不本意かもしれんな」
「へ? どーゆーこと?」
「ジャンに限らず、ルーエンやオルドバにしてもそうだろうが、彼らがやっているのは要するに跡目争いだ。王位継承権を持つのがお前とミルキーの二人だけになり、なおかつミルキーは
勇者たちを配下に引き入れて戦力を増している。もしもミルキーがお前を倒して唯一の王位継承者となるとすれば……」
「そっかー。当然自分に協力した将軍を取り立てて、逆らった将軍を首にするだろうから、出世につながるってわけかぁ」
「そういう事だな。ルーエンやオルドバは、逆にお前の側につく意思を行動で表明してみせたというわけだ」
 ゲオルグの言葉に、ミルキーがくすくすっと笑った。
「そっかー。ミルキーちゃんは私と王位継承権を争いたいんだ。あはは、面白い遊び、考えついちゃった」
「遊び?」
「うん。遊びっていうか、楽しみのタネというのかな。ミルキーちゃんが苦労してアタシのところまでたどり着いたとき、いってあげるの。『アタシは別に王様になんてなりたくないから、ミル
キーちゃんがなれば?』って。どんな顔するか、楽しみじゃない?」
「それも、面白そうだが、ティアラ。お前は、『あの部屋』にミルキーを誘い込んで遊ぶつもりではなかったのか? あそこを通った後でなお、ミルキーが王位を望むとも思えないのだがな」「あ、そっか。んー、どうしよっかなぁ……」
「まぁ、うまくあの部屋に誘い込めると決まったわけでもないがな」
「そだね。その場の状況次第でりんきおーへんにってやつだね」
 くすくすと笑っているティアラの頭を撫でてやりながら、ゲオルグがぽつりと呟いた。
「それに、『天星砲撃陣』が先に完成すれば、全ては終わるわけだしな」
「あ、そっかぁ。父様、最近ずっとアレにかかりっきりだもんねぇ。それでこれ、旧い情報だったんだ」
 納得したようにそう呟くと、ティアラはぴんっと指で緑の駒を弾いた。

「少し、お時間はよろしいですか?」
 ぼんやりと焚き火を眺めていたカトルが、ちょっとびっくりしたような表情を浮かべて振り返る。ニコニコと笑いを浮かべながらブラウンが何時の間にか背後に立っていた。
「え、ええ。かまいませんけど……あ、どうぞそこ、座ってください」
「では、失礼して。……カトルさんは、何故お一人でこの島に?」
 カトルの横に腰を下ろしたブラウンが世間話のような口調でカトルにそう問い掛ける。同じく世間話のように軽い口調でカトルが答えた。
「別に、理由はありません。今までずっと気ままに一人で修行の旅をしていましたから、特に仲間と呼べるような人は居なくて」
「しかし、まずいでしょう。シルディ王子が軍を率いてやってきているというのに単独で行動するというのは。しかも昼間の話によるとシルディ王子がピンチに陥ってるそうじゃないですか。
のんびりしていてもいいんですか?」
 ブラウンの台詞に、カトルが怪訝そうに眉をしかめる。
「あの……ブラウンさん? 僕は別に、アドレアとは何の関係もないんですけど……?」
「え?」
 完璧に意表をつかれた表情でブラウンがまじまじとカトルの顔を見つめる。同じくびっくりしたような表情を浮かべているカトルと、しばらくの間互いに見つめあうことになった。はたで見
ていると間抜けとも危ないとも見える状況だ。
「あ、そう、ですか。私はてっきり……いや、失礼。私の早とちりだったみたいですね」
「はぁ。あの、ブラウンさん? 何でまたそんな勘違いを?」
「いえ、ね。あなたの着ているその鎧」
 焚き火の炎を移して鈍い輝きを放っている銀の甲冑を指差し、ブラウンが苦笑を浮かべる。
「それがいかにも『アドレアっぽい』鎧だったもので、つい、ね。よろしければそれをどこで手にいれたのか、教えてはもらえませんか?」
「これは、昔修行の途中で立ち寄った遺跡で見つけたものですけど……。お師匠様のいうには、持ち主を選び、それに合わせたサイズに変わる魔法の鎧だそうです。実際、もう十年ぐら
い使ってますけど、サイズは常にぴったりですよ。ちゃんと人並みには成長してるんですけどね」
 後半は苦笑混じりになってカトルがそう言う。ああ、と、納得したように頷くとブラウンも苦笑を浮かべた。
「遺跡からの発掘物ですか。それなら納得です」
「……あの、それで、ブラウンさん。さっき言ってた『アドレアっぽい』ってどういう意味ですか? デザインとかが似てるってことじゃ、ないですよね?」
 カトルの言葉に、僅かに迷うような表情をブラウンが浮かべた。
「まぁ……ごまかしても仕方ないんで言っちゃいますけど、要するに『半カースドアイテム』って事です。持ち主に強大な力を与えるけれどその代償を要求する、というね。分かりやすい単
純な例を挙げれば、寿命と引き換えに高レベルの攻撃呪文を使えるようになる杖、みたいな感じですか」
「呪われた武具……ですか?」
「その代償は必ずしも本人とは限らないそうですがね。持ち主の愛する人を死に追いやり、その魂を昇天させる事なく現世に呪縛して力の源とする、とか。もっともこれは、適切な手段を
取ればその相手を復活させることも……カトルさん?」
 自分の言葉ではっきりとカトルの表情が強張ったのに気付いてブラウンが言葉を途切らせる。無理やりといった感じでカトルが笑みを浮かべる。
「別に気を悪くしたわけじゃないですから、ご心配なく。なんだかんだいっても十年近く役に立ってきてくれた鎧ですからね。そういう話を聞いたとしても手放す気にはなれませんよ。それ
に、師匠が着るように勧めてくれた鎧ですし」
「そうですね。私の勘違いの可能性も高いですし。何しろ、文献でチラッと見ただけの知識ですから……」
 何となく気まずそうな表情を浮かべてブラウンが立ち上がる。
「変なことをいってしまってすみません。今の話は、忘れてください」
「気にしていませんから。……そうだ、参考までにお聞きしますけど、ブラウンさんはその適切な方法とかもご存じなんですか? ずいぶんと博識なようですけど」
「……残念ながら。知っているとすれば、アドレアの大神官かそれに近しいものぐらいでしょうね。これからアドレアの王子の救出に向かうわけですし、恩を売っておけば聞き出すこともできるんじゃないですか?」
「あはは、別に無理に聞きたいわけじゃないですよ。ちょっとした興味を覚えただけです」
 恐らくは無意識にだろうが、鎧の胸元の赤い宝石に触れながらカトルが笑う。同じようにぎこちなく笑い返すとブラウンはカトルに背を向けた。
「……そうか、魔族じゃなくて、アドレアの方だったんだ」
 小さく、自分自身にしか聞こえないぐらいの大きさでカトルはそう、呟いた。

「はぁぁぁぁぁっ!」
 腹の底から絞り出すような気合いと共に胸の前で交差させていた腕をシルディがばっと広げる。同時に、彼女の身体から七つの黒い影が四方へと飛び散った。ひゅんひゅんと風を切る音を立てながら人の腕ほどの長さのブーメラン上の刃が彼女の周囲を回転しつつ旋回する。パチパチパチとクリフが軽い拍手を送った。
「まずは、召還には成功ですね。後はコントロールですけれど……それじゃ、シモンさん、お願いしますね」
「ふっ。シルディに直接・魔法問わず一撃入れれば金貨十万枚の約束、忘れるなよ!? 大怪我しようが死のうが関係なしといったのはお前だからな!」
「……これが勇者の名を持つ男の台詞とは……」
 額を押さえ、呆れ果てたというようにレディが呻く。既に突っ込む気力もないらしい。彼女とは対照的ににこやかな笑みを浮かべてクリフが頷いた。
「忘れてはいませんよ。ただ、あなたも忘れないでくださいね。こちらも、あなたが大怪我をしようが死のうが関与しないということを」
「ふんっ、このシモン様が女子供一人に不覚を取るはずがない! ちゃっちゃと金貨十万枚、もらってやるぜっ。食らえ、紅蓮黄竜破!」
「あ、あの馬鹿……っ」
 レディが呻く。紅蓮黄竜破は大人三人がかりでも抱えられないほどの巨木すら一瞬で灰にする大技だ。並大抵のことでは防ぐことも躱すことも不可能。そして人間相手に直撃すれば
待つのは確実な死だ。
 シルディは全く動かない。ただ、彼女の周囲を不規則な軌跡を描いて飛び交っていた七つの刃のうちの三つが、クルクルと回転しながらシルディとシモンの間に制止する。その回転に
巻き込まれるようにすうっとシモンの放った火炎竜が消えた。
「なっ……!?」
「危ないですよ?」
 余裕たっぷりのクリフの言葉に、シモンが何か怒鳴り返すよりも早く、さっき防御に回った三つを除いた四つの刃が一斉にシモンへと襲いかかる。ちぃっと舌打ちをしつつシモンが拳と
蹴りを繰り出して刃の側面を叩き、刃を弾き飛ばす。だが、すぐに反転して再び襲いかかってくる刃たちに、つうっとシモンの頬を汗が伝った。魔導士としてだけでなく格闘家としても十分な鍛練を積んでいる彼だが、不規則な軌跡を描きつつ襲いかかってくる複数の跳び道具などという非常識なものの相手をしたことはほとんどない。敢えていうならば、鳥や蜂の群れを相手にしたときぐらいか。
「このっ、舐めるなぁっ! 疾風炎殺陣!」
 ぶんっと振ったシモンの腕から無数の火球が飛び出した。一つ一つは拳より二回りほど小さいだろうが、数は数十を数える。
「……しかし、あれのどこが『疾風』なんでしょうねぇ」
「……まぁ、魔導士のやることだから。あいつのお父さんの必殺技、炎熱昇竜烈破っていう名前なんだけど、自分の頭上に生んだ無数の氷柱を相手に叩き付けるって技なのよねぇ。あ
なたたちみたいな理論と因果律で魔法を使う魔術士と違って、シモンみたいな魔導士は感覚とノリで魔法を使うわけだし、意味なんてないんじゃないの? せいぜい、格好いいからと
か、その程度の理由でしょ」
「ま、そんな所ですか」
 のんびりと会話をかわすクリフとレディ。放った必殺の火球の群れが刃たちの軌道を変えることすら出来ずに掻き消され、シモンは防戦一方に追い込まれている。
「……ところであれ、やたら強いわねぇ。シルディさん、一歩も動いてないわよ」
 どうでもよさそうな、どこか突き離したような口調でレディがそう言った。ちなみに、最初にシルディの身を守った3つの刃は、相変らず彼女の周囲をまとわりつくように飛びかっていて、
攻撃には参加していない。
「……いや、あれは、多分刃のコントロールに手一杯で動く余裕がないってところでしょう。本当はあの状態から更に『昴』を召還、攻撃に移らなければならないんですけど……流石に一
日では無理ですか。
 北斗は、元々武術の心得などない姫宮を守るための武器ですから、放っておいても自動で攻撃や防御をしてくれるんですけど・・・なまじ技術があるだけに、無理にコントロールしようとしてぎくしゃくしてるみたいですね」
「ふぅん。でも、シモンの負けは決定的じゃない? で、あの馬鹿が負けた場合、私たちは何をすればいいわけ? 金貨十万枚なんて、逆さに振ってもでないわよ」
「別に、何もしなくて結構ですよ。ああやってシルディの特訓に付き合って頂けるだけで充分ですから。……これは、内緒にしといてくださいよ。実はね、あの『北斗』、切れないんですよ、ほとんど。せいぜい割れたガラスぐらいの切れ味ですかね」
 声を潜めたクリフの言葉に、同じく声を潜めてレディが問い返す。
「それって、急所にさえ当たらなければ平気ってこと?」
「人間相手でしたら、そうです。魔族とかが相手だと、相手の持ってる魔力を当たった一点に集めて切り裂くとかできるんですけど、人間が相手では、ね。まぁ、シモンさんは人間として
は非常識なまでに強大な魔力を持ってるみたいですから、もしかしたら裂けるかも知れませんけど」
「……ドライアイス触ると火傷するわけ、みたいな剣ねー」
「あはは、それ、いいですね。原理としては似たようなもんですよ」
 楽しそうにクリフが笑う。真面目な表情を浮かべたままレディが首をかしげた。
「でもいいの? そんなこと私に教えちゃって?」
「あなたは言い触らしたりしないでしょう?」
 悪戯っぽいクリフの笑みに、レディは軽く肩をすくめた。
「外法使いを怒らせると呪い殺されそうだしね。ま、それに、あの馬鹿にはいいお灸になるんじゃない?」
「……よく分かりましたね?」
「私本人は魔法は全く使えないんだけどね。相手の魔力や系統を正確に見極める、『観相術士』の家系なのよ、私」
「……ちなみに、私と彼の階級(レベル)はどの程度ですか?」
「あなたは、そうね、本来の風魔術士としては13階級。外法の力を借りた状態だと……流石に正確には分からないけど、15、6階級ぐらいかしら。
 ちなみにあの馬鹿は、魔力だけなら19階級。ただし制御と技術に難があり過ぎで、総合すると炎魔導士の13階級ってとこね。
 もっとも、階級なんて言葉を使うのは私たちみたいな観相術士ぐらいだけど。私自身はあったことないから知らないけど、普通の国の宮廷魔術士で9か10階級っていうから、ま、あの
馬鹿にも取り柄はあるって事よね」
 肩をすくめながらレディがそう言う。苦笑を浮かべながらクリフがシモンの方に視線を移した。
「風と火でしたら優劣はありませんから、まず負けないと言っていいですか?」
「常識的に考えたら、ね。もっとも、あの馬鹿、魔力だけなら19階級って言ったでしょう? それを正面から叩き付けられて、うまくそらすことができなければ、ね」
「なるほど。……お喋りをしてる間に、シモンさん、血だらけになってますね。19階級の魔力は伊達ではないって事ですか」
「……そろそろドクターストップかな。いい?」
 レディの表情も口調もどうでも良さそうだが、瞳の奥には不安そうな光が僅かに揺れている。もっとも、それを指摘するのはわざわざ逆鱗に触れるようなもの。そんな愚かな真似はもち
ろんせずにクリフは頷いた。
「ええ。クラウドさんに頼んで傷を塞いでもらいましょう」
「……そういえば、彼、姿が見えないけど?」
「天幕で姉さんの無事を祈ってますよ。あれはもう儀式になってますね、半分」
「……何やってんだかなぁ、もぅ」
 呆れたように溜め息をつくと、レディは軽く頭を振った。

 そして、数日の時が過ぎ。僅かに不安そうな表情を浮かべてシルディは一人荒野に立っていた。クリフが空間転移の魔法を使って送ってくれたのだ。風は究めれば空に通じる。それゆえに風を専門に学ぶものは空間そのものの扱いも、最終的には学ぶのだ。とはいえ、流石のクリフといえども人間一人を転送できるだけの魔法陣を描くのに−−裏技を駆使しても−−
丸一日かかってしまったのだが。
 だから、助けは期待できない。アドレア軍も、クリフも、シモンたちも、徒歩では一週間近くかかる距離にいる。地形の関係もあって直線距離では以外と近いのだが、飛行できるのはシモンとクリフの二人だけ。しかもクリフは『助けには行きませんから』と宣言しているから当てには出来ない。シモンはどうするか分からないが、当てにするべきではないだろう。第一、今
回の件は一人で切り抜けなければ自分のプライドが許さない。
「もうすぐ、のはずだけど……」
 シルディがそう呟いたとき、ゆらりと風景がゆらいだ。ゆらゆらと蜃気楼のように頼りなく揺れながら、ゆっくりと塔が荒野へと姿を現し始める。
 魔界、人間界、そしてその間にある『狭間』。三つの次元を一定の周期で行き来する塔、それが、魔王宮を守る結界を作っているのだ。
 シルディたちは知らないが、魔王宮自体は実は常に狭間に位置している。特殊なゲートを通る以外には、行き来は不可能なのだ。だが、狭間は本来不安定な空間。そこに常に位置し続けるためには強大な結界が必要となる。
 そのために、魔界、人間界、狭間に塔を作り、結界を形成している。実用上、塔は三つあれば充分なのだが、それではもしもどれか一つでもトラブルを起こせば結界が壊れてしまう。そのために『四つの』塔が作られたのだ。
 だから、東西南北の四つの塔のうち、二つの機能を停止させれば結界は破れる。結界が破られれば魔王宮を狭間に固定していた力もなくなり、安定のためには魔王宮は魔界か人間
界、どちらかに出現せざるを得ない。
 もしも魔界に出たのならば−−魔界と人間界を直接行き来するにはそれはそれで膨大なエネルギーが必要となるために−−とりあえずゲオルグの脅威はなくなる。
 逆に人間界に現れたのならば、魔王宮に行き、魔王を倒すという当初の目的を果たすために一歩前進できる。
 それに何より、シルディにとってはソフィアを助けるという大目的がある。自分の生命とソフィアの生命がかかっているのだ、負けるわけにはいかない。
 すうっと一度大きく深呼吸すると、シルディは塔に向かって歩き始めた。

「くくく……約束通り一人できたか」
 塔の最上階からこちらに近付いてくるシルディの姿を見下ろし、ジャンが笑う。壁に走る伝声管の蓋を開けるとジャンは怒鳴った。
「シルディは来た! 見事討ち取り、栄誉と財宝を手中にせよ!」
 オォオォとくぐもった返答が帰ってくる。各階に配置された彼の信頼する部下たちの声だ。くくくともう一度笑うとジャンは壁にかけてあった愛刀を手にとった。
「できれば、俺も楽しませてほしいところだがな、くくく……」



<表紙> <配役紹介> <用語解説> <目次> <第九話>