「遅かった、ですね、キルシュ」
ベットに上体を起こしていたソフィアの肩からふわりと飛びあがり、ベスティアがそう呟く。いや、話しかけているのに『呟く』というのも変だが、ぼそぼそっとした口調といい声量といい、話しかけるというよりは呟くといった方がしっくりくるようなものだったのだ。意識的にやっているわけではなく、これが多分彼女本来の口調なのだろうが。
「私、より、先に、戻っていると、思ってましたが」
「やー、ちょっとトラブルがあってね。文句はあの勇者二人に言ってよ……って、それより、ベス! 何であなたがこんな所にいるのよ!?」
「もちろん、ムース様に、言われた、からです。そもそも、アウロスは、あなたに、三人を救えと、命じた、はず。結果と、して、私が彼女を、助けたから、いいような、ものですが」
淡々とした口調でベスティアがキルシュに向けてそう呟く。うーと呻くキルシュへと助け船を出したのは、意外というか彼女に見殺しにされかけたはずのソフィアだった。
「まぁまぁ、ベスティアさん。私はあの程度では死にませんから。気にしていません」
「制御を失い、崩壊する、塔の中に、おきざりにされたのに?」
「私を殺そうと思ったら、まずは心臓に白木の杭を打ち込み、口にニンニクを詰めた上で首を切りはなし、胴と頭を別々に燃やした上で灰を川にばらまく、ぐらいはしないと無理ですから」
「姉さん、それ、ヴァンパイアの滅ぼし方だってば……」
呆れたようにそう言ってクリフが首を左右に振る。キルシュも同じく呆れ顔だ。ベスティアは、最初からずっと変わらぬ無表情で、ソフィアのこの台詞に対しても表情は動いていない。
「えーと、じゃあ、昼でも夜でもない時間に……」
「姉さん! ふざけてると話が進まないから!」
「あら、だって、急いで進めなきゃいけない話なんてないでしょう? シルディ様と私は無事に帰ってこれたわけだし、勇者カトルという強大な戦力も手に入ったわ。加えてエンゲル族のお二人が協力してくださるんですもの、当面、慌てて対策を立てなきゃいけないようなことは何もないと思うけど?」
クリフの言葉に、ソフィアが軽く小首を傾げながらそう問いかける。クリフより先に、キルシュの方が反応した。
「ちょっとちょっと、あんた何言ってんのよ。私は勇者たちを助けに来ただけよ。用はもう済んだんだから、帰るわよ」
「でも、天界への、門は、閉ざされて、いますから。帰るのは、無理だと、思いますよ」
キルシュへと相変わらずのぼそぼそっとしたしゃべり方でベスティアがそう言う。えっと動揺したような表情をキルシュが浮かべた。
「何よそれ!?」
「地上は、ゲオルグの、せいで、瘴気が、満ちていますから。長く、扉を開けて、おけば、天界にまで、瘴気が流れ、込みます。少なくとも、彼が地上に、いる限り、帰ることは出来ない、と、ムース様は、おっしゃって、ましたから」
「えええぇっ!?」
信じられないというように、キルシュが大声を上げる。数度首を左右に振ると、ベスティアは彼女へと視線を向けた。
「私は、予定通り、アドレア軍に、力を貸します。あなたは、どうします?」
「うー、うー、うー……」
「選択の余地は、あまり、ないと思い、ますけど」
「うー」
相変わらず唸っているキルシュに、軽く肩をすくめるとベスティアはふわりと再びソフィアの肩の上に戻った。
「ええい、しつこいわ!」
苛立ちを隠そうともしないミルキーの叫びと共に、彼女の放った氷の刃が下級兵士たちを引き裂く。彼女の左右ではカムカム姉妹とジャンがそれぞれに剣を振るって奮戦していた。
「単純計算で二倍、いや、シルディを相手に減った分を考えると二倍以上、か、相手の戦力は」
ブラウンがそう呟く。逃げ場のない塔の中で包囲されるよりはましだが、周囲が起伏に乏しい広野とあっては逃げ出すのも難しい。数に勝る相手を前にジャンの率いるベオウルフ隊はかなりの被害を受けていた。空を飛べればいいのだが、あいにくこのメンバー中で飛べるのはブラウンだけで、それも決して得意とは言えない。飛行は風か土に属する魔法で、一応全系統でかなりのレベルに達しているとはいうものの、やはりブラウンは水を主とする魔術士だ。他人を抱えて高速飛行、などというのは飛行術の中でも最高位に属するから、流石に使えない。
「どうするのさ、ブラウン! このままじゃ……!」
「……しかたないな。アンジェ、パルフェ、五分ほど、時間を稼いでくれ」
「何か秘策があるのか!? ブラウン」
首だけ捻ってミルキーがそう叫ぶ。一瞬彼女の意識が逸れたところを狙って兵士の一人が切りかかってくるが、すかさずジャンが割り込んでその剣を弾き、逆に切り伏せる。満月の光の下にいるせいか、塔の中にいた時よりも僅かとはいえ動きがいいような気がする。カトルに潰された目も、再生していた。
「幸い、今晩は満月ですから」
そういうと懐から取り出した五本の銀の針を自分の周囲の地面に突きたてる。ちょうど自分を中心とした五紡星を描く位置だ。
「ただ、準備に時間がかかる上にここから動けなくなります。申し訳ありませんが、ガードをよろしくお願いしますね」
「ふむ、よかろう。ジャン、おぬしもよいな!?」
「……ミルキー様の命とあれば」
今一つ釈然としない表情ながらも、ジャンが生き残った配下にブラウンを守るように指示する。カムカム姉妹は、自分たちがブラウンを守るのは当然とばかりに無言のまま次々に襲いかかってくる兵士の相手をしている。
ブラウンが口の中で呪文を唱えるに従い、中天に浮かぶ月から、細い光の糸が彼の周囲へと振り注ぎ始めた。ゆっくりと、だが確実に彼を中心とした銀の光の魔法陣が描かれていく。
「ふふふ……反逆者、ジャン・バラヤを捕らえるだけのつもりが、ミルキー様まで一緒とはな。俺達は運がいい。なぁ、そうだろう、ルーエン」
「部下も見てるんだ、ちょっとはしゃきっとおしよ、まったく。ああ、でも、あんたの言う通りさね。しがない下っぱの将軍から、いっきに大将軍への昇格だって夢じゃない」
オルドバの言葉に悠然と頷くとルーエンが視線を広野の彼方へと向けた。ジャンの率いるベオウルフたちは個人の戦闘力で言えば彼らの率いる兵士たちを凌いでいる。だが、二倍の数の差を覆すことは流石に不可能だ。視界の開けたこの場では、逃げられる恐れも皆無に等しい。負ける要素は、何一つとしてないはずだった。
「くくく……圧倒的ではないか、我らが軍は」
満面の笑みを浮かべてオルドバがそう言う。その瞬間、中天に浮かぶ満月から光の柱が地上へと突き立った。何事かと身構える暇もなく、その光が突き刺さった辺りから迸った白い光が世界を染め上げる。悲鳴を上げるどころか、何が起きたのかを理解する間もなく、二将軍はこの世から消滅していた。彼らが率いていた軍勢のほとんどと共に。
「凄い……」
圧倒的なまでの破壊力に、ぺたんとその場にパルフェが座り込む。他の面々も、座り込みこそしていないものの似たような表情を浮かべて呆然としていた。
「な、何じゃ、今のは……?」
「月の魔力を収束し、その力で時の黄金律を一時的に崩壊させ、それによって認識可能になった無限に広がる事象平面より連結可能な事象を選択的に取り込むことによってあらゆる因果律を無効化、存在の意味を消失させる……と説明したところで分かってはもらえないでしょうが、要するに絶対に防御が不可能な必殺技のようなものです。使えるのが満月期に限られる上に準備に時間がかかる、消耗が激し過ぎるなど、弱点の方もたくさんありますが」
そういうブラウンの身体がぐらりと揺れた。倒れそうになるブラウンを慌ててアンジェが抱きとめる。
「ちょ、ちょっと……!?」
「言っただろう? 消耗が激しい、と。多分、二、三日は目を覚まさないと思うが……俺が眠っている間のことは、よろしく頼んだぞ」
力のない声でそう言うと、そのままブラウンが意識を失う。ふうっとミルキーが溜息をついた。
「凄まじいばかりの威力じゃな。月光の下でしか使えんという弱点がなければ、四天王戦にも使えるのじゃが……むっ!?」
不意に表情を鋭くしてミルキーが空を見上げる。巨大な城のような物体が、彼女たちの頭上を飛びすぎていく。
「空飛ぶ城? まさか、あれが魔王城か?」
「違う! 妾はあのようなものは見たことも聞いたこともない!」
ミルキーの言葉に、皆が顔を見合わせた。意外な高速で飛び去っていったそれが何なのか、誰も分からなかったのだ。もしもブラウンが意識を保っていたら、あるいは、答えを導き出せたかもしれないのだが。
「ブ、ブラッド様がお見えになりました!」
狼狽した衛兵の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ばたんと勢いよく謁見の間の扉が開く。左右に立ち並ぶ将軍たちの視線を平然と受けとめ、ブラッド・レノ・テンプルは玉座に座るゲオルグの前に進み出た。鎧を身につけ、腰には剣をつるしたままだ。確かに彼はゲオルグの配下というわけではないが、それにしても非常識なのは間違いない。
「久しぶりだな、ブラッド。何用だ?」
「五十年振りに訪ねてきた親戚に対して、あまりに冷たいお言葉。このブラッド、悲しみのあまり胸が張り裂けそうでございマス」
道化師を思わせる人を食った口調でそう言うとブラッドはおおげさに一礼してみせた。とんとんと肘掛けを指で叩きながらゲオルグがかまわずに言葉を続ける。
「盟約に基づき、救援に来た、というわけでもあるまい。察するところ、妹の敵討ちか」
「ゲオルグ様の慧眼、恐れいりマス。ゲオルグ様の前で申し上げるのも失礼ながら、武人たるもの力及ばず敗れ倒れるのは覚悟の上。ご子息、グライア殿が倒されたのは本人の未熟故といってもよろしいでショウ。
けれど、我が妹は戦いの心得もなく、他者の命を奪うなど考えもしない優しい娘でしタ。しかも、グライア殿の子供を身ごもっていたとあっては、戦いを挑むはずもございません。アドレア軍は、シルディは、無抵抗の妹を殺したのデス。そのような行い、許すわけにはいかないとは思いませんか?」
言っていることはまともながら、どこか薄っぺらい印象を受ける口調と態度でブラッドがそう言う。ゲオルグがその問いに答えないために、奇妙な沈黙が周囲を満たした。その沈黙が、甲高い笑い声によって破られる。
「きゃはははは。ブラッドおじさんらしいなぁ、それ。単に強い相手と戦ってみたいだけでしょう? わざわざ理由をつけるのに持ちだされたら、フロートさんも可哀想だよぉ」
「おや、これはこれはティアラ殿。しばらく見ぬうちに、随分と大きくなられましたネ」
開きっぱなしになっていた扉から姿を現したティアラへと振り返りながらブラッドがそう言う。ティアラが裾がいくつもに分かれた上に先端にボンボンが付いた道化師風の衣装をまとっているのを見て将軍たちの間に軽いどよめきが走る。ゲオルグに仕えるようになって五百年以上になる老将たちはその衣装の意味を知っているが故に驚愕し、それ未満のーー同時に、大多数のーー将軍たちからは『ああ、またあんな格好をして』と呆れて溜息を付いている。
「きゃはは、ありがと。身体も凄くなったんだよ。見せてあげよっか?」
ブラッドから十歩ほどの間合いをおいてティアラがそう言う。すっとほんの僅かに腰を沈めてブラッドが頷いた。
「それは、ぜひ見てみたいものですナァ」
「きゃはっ、おじさんのエッチィ。でも、特別サービス、私の裸、見せてア・ゲ・ル」
ティアラがそう言った瞬間、びゅるるっと音を立てて彼女のまとっていた衣装が裂けた。首の少し下から裾までが裂け、無数の触手状になって空中へと振り上げられる。
「おおっとぉ」
ブラッドの右手が腰の剣の柄へと走った。ばしぃっと弾けるような音が響く。
「二人とも、その辺にしておけ。余興にしては血が流れ過ぎる」
「はーい」
元気よくゲオルグの言葉にそう答えると、ティアラの服が元に戻る。ふうと息を吐いてブラッドが右手を剣の柄のそばから離した。
「一本、抜けましたか。こりゃ一本取られましたネ」
そう言って軽く肩をすくめるブラッドの、肩当てに付いていた刺状の突起が一本、根元から折れている。
「二つ、かぁ。お気に入りだったんだけどなぁ、この服」
そうぼやくティアラの服のうち、裂けた裾が一つ切り取られたようになくなっており、その横の裾はついていたボンボンがなくなっている。
不意に、二人のちょうど中間地点の床が、見えない巨人が殴りつけたかのように陥没した。動揺する将軍たちのうち数人の頭や胸、腹といった辺りが弾ける。一瞬にして死体になった不幸な将軍たちの身体が床に倒れ込むのとほぼ同時に、彼らとは反対側に並んでいた将軍たちの首がコロンと床に転がった。
目にも止まらぬ早さで襲いかかったティアラの服を、ブラッドが居合抜きの要領で迎撃したのが見えたものが果たして何人いたか。弾かれたティアラの服がたまたまその先にいた不幸としかいいようのない将軍たちの身体を鎧もろとも弾けさせ、振り抜かれたブラッドの刃が空気どころか空間すらも切り裂いて同じく不幸だった将軍たちの首をはねたのだ。二人の間の床が陥没したのは、両者の間で拮抗した力が逃げ場を求めて下に走った結果に過ぎない。床を作っていたのは、魔界でも十本の指ぐらいには入る硬い鉱物だったのだが。
「ブラッドよ。わざわざ居城もろともに来てくれたことには感謝する。だが、アドレアのシルディ王子と戦いたいのであれば、彼がここまでたどり着くのを待ってもらおう。私にも、都合というものがあるのでな」
「ふぅむ。しかたありませんネ。結構、私は居城に戻らせていただきマス。勝手に動くようなまねはしませんのでどうぞご安心を」
軽く肩をすくめると、意外とあっさりとブラッドが退く。信用していないような表情でゲオルグが彼のことを見つめたが、結局は何も言わなかった。
「はっ」
軽い気合と共にくるりとカトルの身体が回転する。木刀の先から迸った『気』が、半ば物質化した光となって襲いかかる北斗の刃のことごとくを弾き飛ばした。ガードががら空きになったシルディの元へと瞬時に駆けより、カトルが木刀を振るう。慌ててそれを受けようとするものの間にあわず、胴を打たれてシルディがその場に膝をついた。
「あくっ」
「あ、ゴメン。大丈夫?」
心配そうな表情を浮かべてカトルがシルディにそう声をかける。少し離れた場所で樹にもたれかかっていたクリフが呆れたように首を左右に振った。
「シルディ、君には学習能力というものがないんですか? 北斗の刃、七枚全てを攻撃に使うな、と、何度言えば分かるんです。それに、あいかわらず完璧に制御しようと気負い過ぎてますよ。もっと肩の力を抜きなさい」
「う、うん……」
「……やれやれ。カトルさん、申し訳ありませんが、もう少し付きあっていただけますか?」
「かまいませんよ。僕もいい修行になりますし」
ひゅんと木刀を振るっていったんシルディとの間合いを取る。ぎゅっと唇を噛み締めるとシルディは木刀を捨てて立ちあがった。
「シルディ?」
「……これだけ実力差があるんなら、武器でハンデをもらってもいいよね?」
そう言いながら右腕を振る。シルディの手の中にまず剣の柄が現れ、更にもう一振りすると一本の長剣に姿を変えた。彼女の周囲を飛びまわっていた北斗の軌跡が、僅かにぐらつく。
「あの……使うのは、かまわないんだけど、大丈夫なの?」
北斗の動きが鈍くなったのを見やり、カトルが心配そうにそう問いかける。僅かに重心を下げてシルディが怒鳴った。
「大丈夫に決まってるだろう!? いくよっ!」
ひゅんと風を切って北斗の刃がカトルへと襲いかかる。クリフに言われたばかりだからなのか、それとも昂を出したせいで制御がきつくなったのか、攻撃に使ったのは四枚だけだ。軽く肩をすくめながらカトルが襲ってくる北斗の刃をその場から動くことなく迎撃する。
「えーと、クリフさん?」
「かまいませんよ。昂は、サイズ自体は精神力の消費とはあまり関係ありませんから。ああ、ただ、切れ味自体は並の剣を遥かに凌ぎますから、気をつけてくださいね。あと、魔力の刃を飛ばして遠距離攻撃も出来ますから」
「はぁ、そうですかって、おととっ」
クリフとの会話の間に、シルディが間合いを詰めてきている。間合いが剣で切りあう距離まで近づくと、防御に回った北斗が同時に攻撃にも参加するようになるからなかなか厄介だ。もっとも、魔法使いではないカトルであれば北斗に切られても打撲がちょっと痛い程度のダメージしか負わないはずだが、だからと言って平然と受けてしまっては互いに訓練にならない。
「ま、これか」
小さくそう呟いてカトルが回転切りを放つ。使っているのがクリスタルソードではないために威力は低いが、襲ってくる北斗の刃を弾きつつシルディ自身に攻撃を加えられるから効率がいい。
「同じ手でっ!」
シルディが気合と共に昂を振り降ろす。迸った魔力の刃が、回転切りの気の刃とぶつかりあって対消滅する。そのまま一気に間合いを詰めたシルディの一撃を、ちょっと慌ててカトルが弾いた。木刀でもやりようによっては人を殺せるが、シルディの腕力と技量では一撃必殺は難しい。だが、武器が昂となると話は別だ。
昂を弾かれたせいで一瞬シルディの胴ががら空きになるが、即座に北斗がカトルに襲いかかって攻撃をさせない。舌打ちをしつつカトルは更に間合いを詰めた。ほぼ密着するようなこの間合いでは互いに剣は使えない。北斗も、自爆の可能性を考えると使いにくいだろう。
ふっと、一瞬シルディが笑った。彼女の手の中で昂が一瞬にして長剣からナイフサイズへと姿を変える。この間合いで一番有効な武器へと。ぞくっとカトルの背中に悪寒が走った。ナイフのサイズで相手の身体に突き刺し、長剣サイズにしたらどうなる?
「ち、いっ」
考えるより先に身体が反応していた。突き出されたシルディの昂を身をひねってかわしつつその勢いを殺さずにその場で一回転する。回転切りに似た形だが、剣は腰の辺りにつけられたままで気の刃も発生しない。木刀に鞘があれば、ちょうど抜刀術の形で一回転したことになる。遠心力を十分に乗せた一撃が、シルディの胴に吸い込まれ、吹き飛ばした。
声もなくシルディが仰向けに倒れる。ふっと北斗が姿を消した。我にかえったカトルと、流石に慌てたクリフが彼女の元へと駆け寄った。
「シルディ!?」
「ああ……空が青いや」
ぼそっと訳の分からないことをシルディが呟き、がくっと二人がこける。軽く反動をつけて起きあがるとシルディが苦笑を浮かべた。
「やっぱり、駄目かぁ。結構いいアイデアだと思ったんだけどなぁ」
「いや、かなり慌てさせられたよ。とっさだったから手加減できなかったけど……大丈夫?」
「うーん、あばらの二、三本はいかれてるかも。後でソフィアにでも治してもらうから平気だけど」
痛そうに顔をしかめながらも、意外とサバサバした口調でシルディがそう言った。軽くクリフが肩をすくめる。
「昂の方は、ほぼ完璧に使いこなせてるみたいですね。後はあなた自身の剣技の問題ですか。
北斗に関しては……無理に制御しようとするな、と、あと何回言えば聞いてくれるんです? 大体、昂で一撃を入れるつもりなら、北斗で牽制の攻撃など考えなくてもいいでしょうに。最後の瞬間、北斗も攻撃に使おうとしたでしょう? しかも全部」
「つい……カトルが相手だと、昂だけの攻撃は避けられそうな気がして」
「それで意識が昂から逸れたんでは本末転倒ですよ。そもそも、無理に七枚の刃の軌道を制御しようとするからそんなに消耗するんです。本来なら、昂も北斗もほとんど体力の消耗はないはずの武器なんですから」
「う……ゴメン」
遠慮のないクリフの言葉に、シルディが身を縮める。軽く溜息をつくとクリフが二人に背を向けて歩きだした。
「シルディは姉さんに怪我を治してもらってから北斗の練習です。意識しないで動かせるようになるまで、ね。カトルさんは、少しお話があるので、つきあってもらえますか?」
「あ、はい」
怪訝そうな表情を浮かべながらもカトルは頷いた。
「まず、最初におうかがいしたいのは、あなたにアドレアの国王となる気があるのか否か、ですね。どうです?」
人払いをしたクリフの天幕の中で、カトルに向かってクリフがそう問いかける。困ったような表情をカトルが浮かべた。
「僕が王様に? 考えたこともないですよ」
「あなたらしい答えですね、といえるほどにはまだ付き会いは深くありませんが。しかし、残念ながら、だとすればあなたが取った行動は軽率だったとしかいいようがないですね」
「軽率……?」
「シルディのこと抱いたんでしょう?」
さらっと言われ、一瞬飲んでいた紅茶を吹き出しそうになってカトルがむせる。
「え? なっ!?」
「別にシルディから聞いた訳ではありませんよ。まぁ、あれも初めてだった訳ですし、注意してみれば分からなくもないですけど。神剣があなたを使い手として認めたということは、つまりはそういう事なんでしょう?」
「う……ま、まぁ」
正直、あの場で終わりだと思っていたから、シルディの願いをむげに断る訳にもいかなかったという事情は、ある。とはいえ、一国の王女であるシルディを抱いたという事実は消えようもない。
「……強要するつもりも、ありませんが、一応の責任は、取ってもらえるものと思ってますから」
「う……」
普通、貴族の世界において純潔を奪うということの意味は重い。極端なことを言えば、その相手の所有権を獲得するに等しいのだ。実際にはアドレアではそれほど気にはされないのだが、もちろんカトルはそんなことは知らない。世界各地を放浪し、その風俗にも詳しいカトルだが、かなり特異な文化を持つアドレアについては流石に詳しくないのだ。
「まぁ、それはゲオルグを倒した後の話として、二つ目の質問、よろしいですか?」
「どうぞ」
とにもかくにも話題が逸れるのは歓迎なのか、額に浮かんだ汗をぬぐいながらカトルが即座に頷く。軽く頷き返して、クリフが真面目な表情を浮かべるとカトルに問いかけた。
「以前あなたと会った時、あなたは魔王の娘の一人と行動を共にしていましたね。彼女とは一体どういう関係です?」
「関係って……単に、襲われたのを返り討ちにして、戦意喪失した相手にとどめを刺す訳にもいかないから逃がそうと思ったら部下にならないかって逆に勧誘されて、ゲオルグの城の手掛かりが得られるならそれでもいいかなって行動を共にしてただけ、だけど?」
実際には、行動を共にするうちに好意を持ってはいたのだが、クリフがどうやらミルキーに好感情を持っていないのは明らかなようなので、それは伏せておく。
「ふむ……甘い、ですね」
「甘い?」
「戦意喪失しようが、そもそも最初から戦闘力自体なかろうが、魔族は魔族です。将来の禍根を立つためには、とどめを刺すことをためらうべきではなかった、ということです。
これは、アドレアでは有名な話ですが。先々代国王、ウィルナ様がある魔族と戦い、打ち倒した後、命乞いをするその魔族を哀れに思って命を助けてやったことがあります。その後、その助けられた魔族が何をしたと思います?」
「何をって……」
「まず彼はーーああ、男だったらしいんですが、その魔族は、近隣の村を三つ、滅ぼしました。責任を感じたウィルナ様は生き残った村人たちを王城に集め、生活の保証を約束しようとしたそうです。しかし、生き残りの村人たちをウィルナ様が謁見の間に招きいれた途端、魔族によって村人たちの身体の中に埋め込まれていた魔法弾が爆発、北斗と神剣・皇によって守られウィルナ様ご自身は無傷でしたが、その場にいあわせた文官や武官たちはほぼ全滅。もちろん村人たちも助かりはしませんでした」
そこまで言っていったん言葉を切り、紅茶を口に含むとクリフが軽く首を左右に振った。
「もちろん、全ての魔族がここまで非道の限りを尽くすというわけではないのでしょう。しかし、今目の前にいる魔族が同じような行動をしないと言う保証はどこにもないんです。そして、そんな行動を取られた時、巻き添えになって死んでいった人たちにどんな償いが出来るというのです?」
「それは……」
「魔族の中には、人間と分かりあえるようなものもいます。それは認めます。しかし、同時に、どうしても分かりあえないような非道なものも珍しくないと言うことは、覚えておいてください、勇者と呼ばれる人間ならば」
クリフの言葉に、カトルはじっと沈黙していた。