王道勇者
 
<表紙> <配役紹介> <用語解説> <目次>

by 中村嵐
9th SCENE 剣の舞 
 シルディのまわりを、くるくると旋回する北斗。ベオウルフたちは近付くことさえ出来ない。時折とびかかるものもいたが、すぐにバラバラに切り裂かれてしまう。鮮血に染まる床を、一歩ずつ踏みしめるようにして進むシルディ。
「…持つのかな?」
 取り敢えずやられる心配は今のところ無い。ゲオルグの…いや、ソフィアのところまで体力が持つかは自分でもわからない。ゲオルグが相手では、ただ突っ立ているわけにも行くまい。くちびるを噛み締め、ゆっくりと階段を上っていく。やがてベオウルフたちは近付かなくなり、シルディの前に道を開ける。北斗を閉まって先に進む。
 どのぐらい階を重ねたのか、数えるのもおっくうになってきた。やがて天井の高い、ホールの様な場所に来た。その中央に、ジャン・バラヤが仁王立ちしている。
「よく来たな、小僧。本当に一人で来た礼に、一対一で相手をしてやろう。なおかつ勝てたなら、あの女を返してやってもいいがな?」
 にやりと笑う。あまり明るくはないが、まわりにはジャンしか見えない。
「ソフィアはどこだ?」
「ちゃんとそこにいるではないか?」
 ジャンは後方を指差す。広場の端の天井に、ソフィアが荒縄で宙づりにされていた。彼女に声を掛けようと、シルディの視線が自分から外れたのを、ジャンが見逃すはずも無い。
「甘いぞ、小僧!」
 大剣を上段に構え、突進するジャン。シルディは慌てて目を閉じると印を結ぶ。なっていた。シルディは慌てて目を閉じ、印を結ぶ。怪訝に思いながらも、ジャンは思い切り踏み込んで剣を振り下ろす。
 グワッシャ〜ン! 間一髪、召喚された北斗が、大剣をしたから押し返す。そして次々とジャンに襲い掛かっていった。
「チッ!?」
 次々と北斗を叩き落とすものの、傷つくこともなく、すぐに浮かび上がっては再び飛んでくる。ジャンも押されっぱなしではあるものの、なんとか傷はもらわずにいる。
 ある程度間合いが開くと、北斗はシルディの側に戻り旋回し始める。ジャンは剣を正面に構えて息を整える。取り敢えず動かずに策を練るつもりだったが、動かないと思っていたシルディが、唐突にこちらに向けて走り込んできた。
「何!?」
「いけ、昂!」
 薄い青に輝く短剣がシルディの掌から浮かび上がる。散開した北斗がジャンの体勢を崩した。
「ヤァッ!」
 とても短剣の間合いではない、かなり離れた距離から昂を振るう。しかし、その軌道の残像が衝撃波となってジャンの腹部から血飛沫を飛ばす。さらに追い討ちをかける北斗の幾つかが、ジャンの肩口を切り裂き、たまらず後退する。
「…クソッ!」
 攻め手が無く、焦るジャン。しかし、シルディも攻め続けられない。北斗と昂を同時に使い、精神的な消耗が激しい。
「これで決める!」
 再び走り込むが、ジャンは間合いを詰めさせないように…悪く言えば逃げ回っていた。北斗だけを先に攻めさせても弾かれる。大粒の汗が、額に浮かぶ。
「どうした小僧、早くしないとマズイんじゃないのか!?」
 マジックアイテムであることに、ようやくジャンも気付いた。激しくなる呼吸に、体も重くなる。すると、今度はジャンが向かってきた。
「えっ!?」
 不意をつかれて、一瞬反応が鈍くなる。その一瞬のずれが、北斗が襲い掛かる前にジャンを攻撃の間合いに入れてしまう。
「ハッ!」
「うわっ!?」
 横薙ぎの攻撃を、昂で受け止めるが、そのまま後方に吹っ飛ばされる。立ち上がろうとしても、力が入らない。手の中の昂が消え、北斗たちも床に落下してから次々と消えていく。
「小僧、武器は身の程にあったものを使うべきだな?」
「…やはり僕には駄目なのか!?」
「とどめだ!」
 大剣を振り下ろすジャン。目を閉じる。
「何っ!?」
 金属音が弾ける。シルディの前に立った青年が、ジャンの剣戟を受け止めていた。
「カ、カトル?」
「貴様、何奴だ!?」
「…ただの通りすがりだよ」
「フザケルな!」
 ジャンが切りかかる。次々とそれを受け流すカトル。クリスタルソードが、闇を舞う。
「此奴、強い!?」
 剣と剣とがぶつかり合う音。シルディは息を整えながら、ただ呆然とそれを見つめている。ジャンの上段からの攻撃を、下からの切り上げで弾き返すと、その勢いのまま一回転して剣を振るう。光の帯がジャンを襲う。なんとかそれを避けると、踏み込んだカトルが、上から切りかかると見せて、下から切り上げる。防戦一方のジャンが叫ぶ!。
「回転斬りに、飛燕だと!? まさか、勇者カトルなのか!?」
 バチン! と剣尻を合わせる二人。無言、無表情のカトル。少し覚めた目でジャンを見ている。歯ぎしりから、咆哮した。
「ならばね貴様を討ち取って名を挙げようぞ!」
 カトルを押し返して、渾身の一撃で振り下ろす。防御を捨てた、捨て身の一撃。しかし、剣は空しく床を叩く。
「何!?」
 気配を感じて振り返る。宙に飛んだカトルがその体勢から剣を降る。
「ぎぁぁぁぁっ!?」
 剣が左目を切り裂く。傷口を抑えて、ジャンがひざまづく。
「そこまでだ、カトル!」
「ミ、ミルキー様!?」
 シルディの横に、ミルキーが立つ。床に崩れたままのシルディを見下して、ミルキーは吐き捨てた。
「フン、それで勇者とはな?」
「ク…」
 言い返せない。拳を握り締めて、床を殴る。
「ミルキー様、これは如何様な!?」
「たわけ! 何がシルディの首を捧げるじゃ。このような様でよくも文句を言えるものよのう?」
「そ、それは…」
「まあ、今回は許してやろう。今後もわらわの配下として、ベオ・ウルフ一団ともども精進することじゃ」
 ミルキーの後方に控えていたアンジェが、ブラウンにささやく。
「今まで戦わせておいて、よく言うわね、あのお嬢様も」
「ま、それだけ大物だってことじゃないの?」
「アッハッハッハ…これだけの戦力があれば、姉上と言えど恐るるに足らず! それにしてもカトル、四天王を討ったジャンに勝つとは…もしかしたら姉上とやっても勝てるかものう?」
「四天王と?」
 ジャンがぽかんとする。ミルキーは目をパチクリさせた。
「おぬし、この搭を占拠する時、ここにいた化け物を倒したであろう?」
「いや、何もおりませんでしたが…」
 次の瞬間、ミルキーの顔が青ざめる。カトルたちに向かってわめき散らした。
「カ、カトル・ブラウン! 早く逃げるぞ!」
 すると階下からベオ・ウルフが登ってくる。人間には聞き取れない声で何かわめいている。ミルキーの顔がますます険しくなる。
「何、ルーエンとオルドバの軍が搭を包囲してるだと!?・・・と、ともかく下に降りてからじゃ!」
『サワガ…シイゾ?』
 上から響く、不気味な声。微かに天井が震えて、小石がパラパラと落ちている。
「ま、まさか…」
 ドォン! 天井が崩れて、人の三倍はあろうかという化け物が降りてきた。人型ではあるものの、白い肌に、濁った血の様な紅のライン。暗闇の中で、その目が光った。
「ま、ま、ま…魔神キュベレ!?」
 ミルキーはますます青ざめる。それでも必死に指示を出すところは、彼女の器なのか。
「ジャン! 貴様はともかく部下と共に早急に退路を確保しろっ! カトルとブラウンはわらわのまわりに集まるのじゃ!」
 ジャンは階下に降りていく。ミルキーの前にカトルが立つ。パルフェはシルディに手を貸した。
「大丈夫か、アンタ?」
「は、ハイ…」
 キュベレが口から冷気を吐く。ブラウンの作った結界がそれを弾く。カトルが後ろを仰ぐ。
「僕が行くから援護して!」
「パカ! 死ぬ気か!?」
 血相を変えるミルキーに、カトルは真顔で答える。
「生きるためにすることだ」
 アンジェとパルフェがブラウンに振り返る。彼がうなずくと二人が走り出した。
『ムン?』
 平行を保ちながらも広がりつつ…ちょうど私たちの世界のVの字になるように走るカムカム姉妹に、キュベレがどっちを攻撃しようかと考えている。余裕があるからこその行為だ。そこに正面きってカトルが走り込む。
「当たっても知らぬぞ!?」
「ライトニング・ボルト!」
 ミルキーとブラウンの魔法攻撃にキュベレが怯む。カトルが懐に入った。
『クアッ!』
左手で上から叩き付けるが、カトルはそれをよけるとその手を跳ね上がって剣を振る。顔をかばったキュベレの右手の甲を切り裂いた。その隙にカムカム姉妹がそれぞれキュベレの足を左右から斬る。三人はすぐにミルキーの位置に戻る。彼女の顔が紅潮した。
「な、なんかやれているではないか?」
「…しかし、次の攻め手が無い…」
 今度カトルか姉妹かが走り出せば、誰かは確実にブレスの餌食となるだろう。動けないミルキーたち。傷をなめながら動かないキュベレ。すると突然、キュベレが振り返って後方に四つ足で歩いていく。一瞬ぽかんとするメンバー。しかし、後方ですわりこんでいたシルディが叫んだ。
「ソ、ソフィア!?」
 まさに、彼女が吊るされていたのはその奥だった。中央なら、キュベレが落ちてきた時に死んでいただろう。キュベレが手を伸ばし、右手に彼女をつかむ。
「魔神のぶんざいで人質? 名前が泣くわね」
 アンジェのその言葉に、ブラウンが首を振る。
「いや、彼女、相当の魔力の持ち主のようだから、それを補充するんだろう・・・」
「どうやってさ?」
 パルフェの言葉に、言いにくそうにしながらブラウンがつぶやく。
「まあ、普通は…食べて、かな?」
「ソフィア!?」
 シルディがよろよろながらも走り出す。キュベレの視線が、彼女を捉える。吐き出された氷のブレスがシルディを襲う。よけようとして、右に倒れ込む。しかし、まだブレスの範囲内だ。
「くっ!!」
 シルディを腰に抱えてカトルが床を転がる。間一髪ブレスをよけて、しかし大ピンチには変わりない。しかし、キュベレは二人から興味を失って、そのまま上方に飛び上がってしまった。
「ソフィアー!!」
 シルディがぽっかり空いた天井の穴を見つめるが、暗闇が広がるだけ。するとジャンが階下から戻ってくる。
「ミルキー様、まだ敵に囲まれていますが、なんとか搭の外には出れます!」
「皆の者、早く逃げるぞ! キュベレはこの塔の守護者ゆえ、外に出ることはしない!」
 ミルキーはさっさと下に降りていく。カトルは床にすわりこんで呆然としているシルディの側に立って動かない。ブラウンが声を掛けた。
「どうするんだ、カトル君?」
「ブラウンはシルディをつれて外に出てください。僕は上に行きます」
「カトル…?」
 その言葉にシルディが彼を仰ぐ。いつものひようひょうとした顔だが、少しきりっとしているような気がした。
「…はっきり言って、間違いなく死ぬな」
 少し間を置いてから、カトルは違うことを言った。
「ミルキーを頼みます」
「魔族の王女をか?」
「いい娘ですから」
 真顔でそういうカトルに、ニヤリとブラウンが笑った。
「君の遺言、承知した。パルフェ、王子殿に手を貸してさしあげろ」
 ブラウンはアンジェと共に下に降りる。パルフェがシルディに近付いて手を差しのべる。
「さあ、行くぜ?」
「…嫌だ、私も行く!」
 シルディはかぶりを振って言うことを聞かない。困ったパルフェはカトルを見た。
「パルフェも先に行ってください」
「…わかった。死ぬんじゃねえぞ。お前もいい奴なんだからな?」
「そのつもりです」
 パルフェも階下に降りていく。カトルはシルディの腰を抱き寄せる。
「ちょ、ちょっとカトル!?」
「…行くんでしょ?」
「そ、そうだけど…」
「じゃあ行くよ。マリオン!」
 クレリア・アーマーの胸の宝石に手を振れる。二人は光に包まれて、次の瞬間、消えた。
 
 搭の上層部は中央が吹き抜けになっていて、キュベレが自由に移動できるようになっていた。塔の壁には螺旋状に階段が続いている。侵入者がキュベレから逃れる術はほとんどない。キュベレは天上が見える位置まで上昇して、ソフィアをまじまじと見る。
『ウマソウ…』
「くっ!」
 それまで気絶していたかのようなソフィアが、体に力を入れる。光と共に縄を斬るとキュベレの手から逃れる。
「もう、シルディ様の成長わとか言ってられないわね。本気を出しても勝てるの?」
 階段に降りて、印を結ぶ。キュベレの魔法攻撃を結界で弾く。
「例え全ての魔力を注ぎ込んででも、一撃で決めるしか!」
 滑るようにして階段を動く。魔力を使ってなかば飛んでいるのだ。魔力を一点に集中し続ける。しかし、近付いてくるキュベレに表情が歪む。
「キャッ!?」
 直接キュベレが殴り掛かってきたのだ。よけるものの、キュベレの拳が階段を崩していく。さすがにソフィアといえど、肉弾攻撃を弾くのは容易ではない。
「どうすれば…えっ?」
 突如目の前にカトルがその姿を現した。しかもその脇にはシルディが抱えられている。カトルはこちらに向かって一直線に飛んできた。シルディが床を転がるようにしてソフィアの前に来る。
「ソフィア!?」
「王子、何故来たのです!?」
「ソフィアを助けることも出来なくて、何の勇者だ!」
 シルディはそういうものの、ソフィアは動揺を隠し切れない。キュベレは魔法で攻撃してくる。それを階段を上る方に移動して逃げる三人。
「ソフィアは空を飛べる?」
「え?」
「僕がキュベレを引き付けるから、下に!」
「ああ! 落下に浮力を持たせて、着地するぐらいなら…」
 その言葉を聞くと共に、カトルはマリオンを発動させる。カトルが高速でキュベレの方に向かっていく。直線の動きで、時折方向転換しながら移動する。残像が残り、カトルは正確にはよく見えない。
『クエ?』
 淡い光に包まれたカトルがキュベレの左足を斬る。そのまま反対側の踊り場まで飛んでいった。
「さあ王子。早く!」
 ソフィアはシルディの手をつかんで飛び降りようとする。しかしね彼女は抵抗した。
「カトルを残していくなんて!?」
「彼がみずからの…あっ!?」
 ドォン! 二人のいた階段が崩れる。キュベレはカトルには興味を示さなかったのだ。キュベレの右腕から逃れたソフィアが蒼白になる。
「お、王子!?」
 左手に、シルディがつかまっていた。キュベレは二人同時に生け捕りにしようとしていたのだ。
「たあぁぁぁぁ!」
 向こうからカトルが空中を滑って飛んでくる。しかし、今度はキュベレの空いている手で叩き落とされた。彼の体を包んでいた光が消える。
「カトル様!」
 ソフィアが飛ぶ。カトルを抱きかかえると、風の力を借りて向こう側の階段に着地する。
「大丈夫ですか!?」
「な、なんとかね…」
 そこに容赦なくキュベレが攻撃してくる。ソフィアの手を取って、カトルが高速移動で階段を上る。上から攻撃してくるので近付くには登らざるを得ないのだ。しかし、カトルを包む光が段々と薄くなる。
「…もう限界なのか、マリオン!」
「マリオン?」
 どこかで聞いたことのある単語。ソフィアはカトルの胸で光る紅い宝石に気が付いた。何気に手を伸ばす。
「カトル様、これは…ああっ!?」
 彼女の体が光る。カトルの高速移動も止まって、二人は床を転がった。キュベレも首を傾げている。
「いたたた…ソフィア!?」
 カトルは彼女を抱き起こす。頬がこけ、顔色も青い。
「カトル様…シルディ様を、助けて…」
 途切れ途切れの細い声。カトルはソフィアを床によりかからせる。
「大丈夫。シルディも君もつれてかえるから」
 にっこりと笑うソフィア。カトルはキュベレに振り返った。
「マリオン、僕の命を全部吸え!」
 今までより数段激しい光にカトルが包まれる。スピードも比べなら無いほど早い。キュベレは攻撃することが出来ず、カトルが通り過ぎる度に彼女の体は切り裂かれる。
「カ、カトル・・・」
 薄い意識の中で、シルディはその光を見る。やがてカトルが、キュベレの顔の前で静止した。全ての光が、カトルのクリスタルソードに集まっている。
「輝光断絶斬!」
 静止から落下に移るその刹那、カトルが剣を振り下ろす。そのまま一回転するほど強く振る。剣に溜まった光が、衝撃となってキュベレを切り裂いた。シルディがキュベレの手からこぼれおちる。カトルは再び、マリオンを発動させると彼女を受け止めて階段に着地する。ソフィアは反対側だ。しかし、カトルはがっくりと膝を落とす。
「ハア、ハア・・・」
 シルディがソフィアを探そうと身を乗り出す。すると塔が激しく揺れ始める。階段にヒビが入る。
「と、塔が崩れる!?」
「…ここまでやって駄目なのか!?」
 歯を食いしばってカトルが天を仰ぐ。すると光が漏れているのに気付く。よく見ると扉の様だ。
「天井の上に階がある?…賭けるしかないか!」
 カトルはシルディの腰を抱き寄せる。そしてマリオンを手でこすった。
「これで最後だから、頼む!」
 
異様な光景だった。塔の最上部は、周りがバルコニーのようになっていた。しかし、見える風景は、歪んだ七色の空気。シルディの背中に悪寒が走る。カトルは足元でブッ倒れている。取り敢えず息はあった。シルディはよろよろと中央に向かって歩き出す。
 何も無いその広場の中心に、人の頭ぐらいはある無色の宝石が浮いていた。武器が無いので、素手で叩き付ける。宝石は床に落ちると粉々に砕け散った。その途端、塔が揺れてシルディがよろける。顔をあげると、風景はどこまでも続く青い空になっていた。
「制御装置を壊したんだ・・・」
 カトルが後ろに立っていた。顔に疲労が浮かんでいる。彼はバルコニーに立って外を眺める。
「うわっ・・・これを降りるのか」
 シルディも横に並んで下を見下ろす。見渡す限りの一面の緑。ゴマ粒のように見えるのは、もしかして人影なのだろうか。気持ち悪くなってシルディはその場にすわりこんで壁に寄りかかる。
「どうしようか・・・」
 カトルは何も無い広場をうろうろ歩き回る。呆然とそれを見つめるシルディ。やがて彼が戻ってきて正面に立つ。彼を見上げて、異変に気付く。
「カトル、宝石が…」
「えっ?」
 彼がマリオンに触れると、宝石は砂の様になってさらさらと床にこぼれおちる。しばらく黙っていたが、やがてカトルはふっと息を吐く。
「限界を超えちゃったのかな・・・これで僕もただの人か」
 マリオンを失ったカトルが自嘲気味につぶやく。しかし、その一言がシルディの感情に火をつけた。
「ただの人!? 何がただの人だ!? 僕には、僕には何も出来なかった! ソフィアを助けることも、逆に助けられて…そして…」
 その先は言葉にならない。つかみかかってきたシルディに、カトルは何も出来ない。
「なんで!? なんで僕なんか助けたんだ!? ソフィアの方が、よっぽと、よっぽど強いじゃないか!?」
 ボロボロと涙を落とす。するとカトルはシルディの腕を払って彼女の肩をつかむ。
「シルディ。君はどうして勇者をしているんだい?」
「え?」
「…僕が剣を振るうのは、人の想いとなるためだ」
「人の…想い?」
「君を助けたい。それがソフィアの想いだった。だから僕はそれに応えた。彼女の想いを踏みにじるようなことは、言っちゃ駄目だよ、シルディ」
「カトル・・・うう、うう・・・」
 彼の胸にしがみついて、シルディは号泣する。カトルは控えめに、彼女の頭を抱いた。
 
 夜が更けて、筒抜けのこの部屋に冷たい風が吹き込む。シルディはマントに包るようにして壁に寄りかかっている。カトルは鎧を脱いで、彼女の横で仰向けに寝ていた。
「…カトルって、何歳なの?」
「えっと・・・16だよ」
「…同い年じゃないか。なんでそんなに強いんだ。不公平じゃないか…」
「…王家の人が、そういうこと言ったら怨まれるよ」
「こんな惨めな思いをするんだったら、普通の人間に生まれた方がよかったよ」
 不気味なほど静かで、しゃべっていないと恐いのだ。シルディは独り言の様に話し続ける。
「私だって、一生懸命修行して、たくさん戦いにも出て…でも結局、ソフィアにも、カトルにも、シモンにも・・・それにミルキーにもかなわない。・・・もう、嫌だよ、私・・・」
「・・・なんか変だね、シルディ…」
「こういう状況で普通の方がおかしいんだよ」
 これだけ高い塔の最上階。階段はすべて崩れている。二人とも言わないが、死を待つだけの状況なのだ。
「そうじゃなくて・・・言葉遣いが女になってるよ」
 無言のシルディ。カルトは息を吐いて目を閉じる。明日は明日の風が吹くのだ。しかし、急に息苦しくなって目を開ける。シルディが上に乗っかっていたのだ。
「知りたい?」
「え?」
「私は兄さんが好きだった。強くて、優しくて・・・好きだった。そんな兄さんが戦いで死んで、私が兄の代役をすることになって・・・必死だった。きっと、否定したかったの。兄さんが死んだことを。自分がこの役割をまっとうすれば、兄さんを絶対化できる・・・そう思っていたのかもしれない・・・」
「それとこれとが、どういう関係が・・・」
「・・・カトルなら、兄さんのこと、忘れさせてくれるかなって…」
 
 強い光が差し込んでいる。マントに包りながら、シルディはカトルの顔を見る。彼はすやすやと寝ていた。彼女は背中を向ける。
「…子供みたいな顔してさ…」
 何をがっかりしているのだろう。彼だって自分にとっての兄さんみたいな女性がいたっておかしくはない。自分たちは兄妹だったから・・・そこまで考えて頭を振る。
 カトルの顔を見る。かわいい寝顔だ。背中を向ける。
「こんなことしたって、助かるわけないのにさ」
「…何してんの、あんたたち?」
 唐突に響く、幼めの声。シルディは慌てて体を起こす。カトルは寝ていた。
「ムーアのお気に入りだからって助けてきなさいってアウロス様にいわれて来てみれば、ほんと、人間ってのは欲にまみれた生き物よねえ」
 バルコニーの軒先に、羽根を生やした少女が立っている。しかし、身の丈は手でつかめてしまうぐらいしかない。金色のロングヘアーをなびかせて、シルディの前で滞空する。
「こ、こんなとこにフェアリーが?」
「ちょっと、そんな下賎なものと一緒にしないでよ。私は聖母アウロス様に仕える、誇り高きコ・エンゲルのキルシュよ」
「ア、アウロス?」
「まあいいわ。あんたたちの準備が出来次第つれていってあげるから、早く服着なさいよ」
「あ・・・」
 急に恥ずかしくなって、慌てて服を纏う。キルシュはカトルの胸に降りてまじまじと顔を見る。
「ふぅん、あんた、こんな間抜けなのが趣味なんだ」
「う、うるさいよ・・・」
「ふわ〜あ、早起きしてきたから眠くなっちゃた・・・あら、ちょうどいい大きさね」
 キルシュはクレリア・アーマーの、マリオンがあったところの穴に入り込む。
「あたし、ちょっと寝るから、この男が起きたら私も起こしてね」
「ちょ、ちょっと!?」
 反応はない。シルディは困り果てて、すやすやと眠るカトルの顔を見つめていた。

by 夢☆幻
10th SCENE 戸惑い
 ふわり、と、柔らかい色あいをした光球が舞い降りてくる。大きさはそう、ちょうど人間二人を包み込めるぐらいか。大地に触れるか触れないかといった辺りで光球が弾け、内側から二つの人影を吐き出した。それを、さも当然といった表情でクリフが出迎える。
「おかえりなさい、シルディ」
「た、ただいま」
 どこかばつが悪そうにシルディが答える。結局ソフィアの救出には成功しなかった上に、カトルと『ああいうこと』になってしまったのだから、それも当然かもしれないが。軽く肩をすくめるとクリフは言葉を続けた。
「とりあえず、あなたがたの分も天幕は用意してありますから、まずはゆっくりと休んでください。お疲れでしょう?」
「あなた『がた』って……クリフ?」
「姉さんから話は聞いています」
「姉さんって……ソフィアが!? どうやって……!?」
 シルディの驚愕の叫びには答えずに、クリフがカトルへと視線を向ける。いや、正確には、彼の鎧の胸元の穴へ、か。
「ああ、それと、キルシュさん、でしたか。お連れの方がさっきからお待ちですよ」
「え?」
 クリフの言葉に、ぴょこんとカトルの鎧から頭を出してキルシュが首を傾げる。
「連れ?」
「ベスティアさん、とかおっしゃってましたけど」
「げっ、ベスが来てるの? 聞いてないですよぉ、アウロス様ぁ」
 ふよふよとカトルの鎧から抜け出しながらキルシュが頭を抱える。にっこりと笑いながらクリフがシルディへと再び視線を戻した。ただ、その瞳は少しも笑っていないから妙に迫力が有る。
「いろいろと言いたいことはありますが、まずは一眠りしてきなさい。いいですね?」
「う、うん……分かった」
「カトルさんも、それでよろしいですね?」
「あ、うん。僕はそれでかまわないけど」
 どこか居心地が悪そうにカトルが頷く。実際問題として、二人とも疲労は激しい。立っているのもやっと、とまでは流石にいかないが。小さく頷くとクリフがキルシュへと手を差しのべた。「では、こちらへ。ご案内します」
「うーん、気はすすまないんだけどなぁ」
 そう言いつつも、キルシェがクリフの掌に着地する。彼女を自分の肩の上に移しながらクリフが歩き出した。

「遅かった、ですね、キルシュ」
 ベットに上体を起こしていたソフィアの肩からふわりと飛びあがり、ベスティアがそう呟く。いや、話しかけているのに『呟く』というのも変だが、ぼそぼそっとした口調といい声量といい、話しかけるというよりは呟くといった方がしっくりくるようなものだったのだ。意識的にやっているわけではなく、これが多分彼女本来の口調なのだろうが。
「私、より、先に、戻っていると、思ってましたが」
「やー、ちょっとトラブルがあってね。文句はあの勇者二人に言ってよ……って、それより、ベス! 何であなたがこんな所にいるのよ!?」
「もちろん、ムース様に、言われた、からです。そもそも、アウロスは、あなたに、三人を救えと、命じた、はず。結果と、して、私が彼女を、助けたから、いいような、ものですが」
 淡々とした口調でベスティアがキルシュに向けてそう呟く。うーと呻くキルシュへと助け船を出したのは、意外というか彼女に見殺しにされかけたはずのソフィアだった。
「まぁまぁ、ベスティアさん。私はあの程度では死にませんから。気にしていません」
「制御を失い、崩壊する、塔の中に、おきざりにされたのに?」
「私を殺そうと思ったら、まずは心臓に白木の杭を打ち込み、口にニンニクを詰めた上で首を切りはなし、胴と頭を別々に燃やした上で灰を川にばらまく、ぐらいはしないと無理ですから」
「姉さん、それ、ヴァンパイアの滅ぼし方だってば……」
 呆れたようにそう言ってクリフが首を左右に振る。キルシュも同じく呆れ顔だ。ベスティアは、最初からずっと変わらぬ無表情で、ソフィアのこの台詞に対しても表情は動いていない。
「えーと、じゃあ、昼でも夜でもない時間に……」
「姉さん! ふざけてると話が進まないから!」
「あら、だって、急いで進めなきゃいけない話なんてないでしょう? シルディ様と私は無事に帰ってこれたわけだし、勇者カトルという強大な戦力も手に入ったわ。加えてエンゲル族のお二人が協力してくださるんですもの、当面、慌てて対策を立てなきゃいけないようなことは何もないと思うけど?」
 クリフの言葉に、ソフィアが軽く小首を傾げながらそう問いかける。クリフより先に、キルシュの方が反応した。
「ちょっとちょっと、あんた何言ってんのよ。私は勇者たちを助けに来ただけよ。用はもう済んだんだから、帰るわよ」
「でも、天界への、門は、閉ざされて、いますから。帰るのは、無理だと、思いますよ」
 キルシュへと相変わらずのぼそぼそっとしたしゃべり方でベスティアがそう言う。えっと動揺したような表情をキルシュが浮かべた。
「何よそれ!?」
「地上は、ゲオルグの、せいで、瘴気が、満ちていますから。長く、扉を開けて、おけば、天界にまで、瘴気が流れ、込みます。少なくとも、彼が地上に、いる限り、帰ることは出来ない、と、ムース様は、おっしゃって、ましたから」
「えええぇっ!?」
 信じられないというように、キルシュが大声を上げる。数度首を左右に振ると、ベスティアは彼女へと視線を向けた。
「私は、予定通り、アドレア軍に、力を貸します。あなたは、どうします?」
「うー、うー、うー……」
「選択の余地は、あまり、ないと思い、ますけど」
「うー」
 相変わらず唸っているキルシュに、軽く肩をすくめるとベスティアはふわりと再びソフィアの肩の上に戻った。

「ええい、しつこいわ!」
 苛立ちを隠そうともしないミルキーの叫びと共に、彼女の放った氷の刃が下級兵士たちを引き裂く。彼女の左右ではカムカム姉妹とジャンがそれぞれに剣を振るって奮戦していた。
「単純計算で二倍、いや、シルディを相手に減った分を考えると二倍以上、か、相手の戦力は」
 ブラウンがそう呟く。逃げ場のない塔の中で包囲されるよりはましだが、周囲が起伏に乏しい広野とあっては逃げ出すのも難しい。数に勝る相手を前にジャンの率いるベオウルフ隊はかなりの被害を受けていた。空を飛べればいいのだが、あいにくこのメンバー中で飛べるのはブラウンだけで、それも決して得意とは言えない。飛行は風か土に属する魔法で、一応全系統でかなりのレベルに達しているとはいうものの、やはりブラウンは水を主とする魔術士だ。他人を抱えて高速飛行、などというのは飛行術の中でも最高位に属するから、流石に使えない。
「どうするのさ、ブラウン! このままじゃ……!」
「……しかたないな。アンジェ、パルフェ、五分ほど、時間を稼いでくれ」
「何か秘策があるのか!? ブラウン」
 首だけ捻ってミルキーがそう叫ぶ。一瞬彼女の意識が逸れたところを狙って兵士の一人が切りかかってくるが、すかさずジャンが割り込んでその剣を弾き、逆に切り伏せる。満月の光の下にいるせいか、塔の中にいた時よりも僅かとはいえ動きがいいような気がする。カトルに潰された目も、再生していた。
「幸い、今晩は満月ですから」
 そういうと懐から取り出した五本の銀の針を自分の周囲の地面に突きたてる。ちょうど自分を中心とした五紡星を描く位置だ。
「ただ、準備に時間がかかる上にここから動けなくなります。申し訳ありませんが、ガードをよろしくお願いしますね」
「ふむ、よかろう。ジャン、おぬしもよいな!?」
「……ミルキー様の命とあれば」
 今一つ釈然としない表情ながらも、ジャンが生き残った配下にブラウンを守るように指示する。カムカム姉妹は、自分たちがブラウンを守るのは当然とばかりに無言のまま次々に襲いかかってくる兵士の相手をしている。
 ブラウンが口の中で呪文を唱えるに従い、中天に浮かぶ月から、細い光の糸が彼の周囲へと振り注ぎ始めた。ゆっくりと、だが確実に彼を中心とした銀の光の魔法陣が描かれていく。
「ふふふ……反逆者、ジャン・バラヤを捕らえるだけのつもりが、ミルキー様まで一緒とはな。俺達は運がいい。なぁ、そうだろう、ルーエン」
「部下も見てるんだ、ちょっとはしゃきっとおしよ、まったく。ああ、でも、あんたの言う通りさね。しがない下っぱの将軍から、いっきに大将軍への昇格だって夢じゃない」
 オルドバの言葉に悠然と頷くとルーエンが視線を広野の彼方へと向けた。ジャンの率いるベオウルフたちは個人の戦闘力で言えば彼らの率いる兵士たちを凌いでいる。だが、二倍の数の差を覆すことは流石に不可能だ。視界の開けたこの場では、逃げられる恐れも皆無に等しい。負ける要素は、何一つとしてないはずだった。
「くくく……圧倒的ではないか、我らが軍は」
 満面の笑みを浮かべてオルドバがそう言う。その瞬間、中天に浮かぶ満月から光の柱が地上へと突き立った。何事かと身構える暇もなく、その光が突き刺さった辺りから迸った白い光が世界を染め上げる。悲鳴を上げるどころか、何が起きたのかを理解する間もなく、二将軍はこの世から消滅していた。彼らが率いていた軍勢のほとんどと共に。
「凄い……」
 圧倒的なまでの破壊力に、ぺたんとその場にパルフェが座り込む。他の面々も、座り込みこそしていないものの似たような表情を浮かべて呆然としていた。
「な、何じゃ、今のは……?」
「月の魔力を収束し、その力で時の黄金律を一時的に崩壊させ、それによって認識可能になった無限に広がる事象平面より連結可能な事象を選択的に取り込むことによってあらゆる因果律を無効化、存在の意味を消失させる……と説明したところで分かってはもらえないでしょうが、要するに絶対に防御が不可能な必殺技のようなものです。使えるのが満月期に限られる上に準備に時間がかかる、消耗が激し過ぎるなど、弱点の方もたくさんありますが」
 そういうブラウンの身体がぐらりと揺れた。倒れそうになるブラウンを慌ててアンジェが抱きとめる。
「ちょ、ちょっと……!?」
「言っただろう? 消耗が激しい、と。多分、二、三日は目を覚まさないと思うが……俺が眠っている間のことは、よろしく頼んだぞ」
 力のない声でそう言うと、そのままブラウンが意識を失う。ふうっとミルキーが溜息をついた。
「凄まじいばかりの威力じゃな。月光の下でしか使えんという弱点がなければ、四天王戦にも使えるのじゃが……むっ!?」
 不意に表情を鋭くしてミルキーが空を見上げる。巨大な城のような物体が、彼女たちの頭上を飛びすぎていく。
「空飛ぶ城? まさか、あれが魔王城か?」
「違う! 妾はあのようなものは見たことも聞いたこともない!」
 ミルキーの言葉に、皆が顔を見合わせた。意外な高速で飛び去っていったそれが何なのか、誰も分からなかったのだ。もしもブラウンが意識を保っていたら、あるいは、答えを導き出せたかもしれないのだが。

「ブ、ブラッド様がお見えになりました!」
 狼狽した衛兵の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ばたんと勢いよく謁見の間の扉が開く。左右に立ち並ぶ将軍たちの視線を平然と受けとめ、ブラッド・レノ・テンプルは玉座に座るゲオルグの前に進み出た。鎧を身につけ、腰には剣をつるしたままだ。確かに彼はゲオルグの配下というわけではないが、それにしても非常識なのは間違いない。
「久しぶりだな、ブラッド。何用だ?」
「五十年振りに訪ねてきた親戚に対して、あまりに冷たいお言葉。このブラッド、悲しみのあまり胸が張り裂けそうでございマス」
 道化師を思わせる人を食った口調でそう言うとブラッドはおおげさに一礼してみせた。とんとんと肘掛けを指で叩きながらゲオルグがかまわずに言葉を続ける。
「盟約に基づき、救援に来た、というわけでもあるまい。察するところ、妹の敵討ちか」
「ゲオルグ様の慧眼、恐れいりマス。ゲオルグ様の前で申し上げるのも失礼ながら、武人たるもの力及ばず敗れ倒れるのは覚悟の上。ご子息、グライア殿が倒されたのは本人の未熟故といってもよろしいでショウ。
 けれど、我が妹は戦いの心得もなく、他者の命を奪うなど考えもしない優しい娘でしタ。しかも、グライア殿の子供を身ごもっていたとあっては、戦いを挑むはずもございません。アドレア軍は、シルディは、無抵抗の妹を殺したのデス。そのような行い、許すわけにはいかないとは思いませんか?」
 言っていることはまともながら、どこか薄っぺらい印象を受ける口調と態度でブラッドがそう言う。ゲオルグがその問いに答えないために、奇妙な沈黙が周囲を満たした。その沈黙が、甲高い笑い声によって破られる。
「きゃはははは。ブラッドおじさんらしいなぁ、それ。単に強い相手と戦ってみたいだけでしょう? わざわざ理由をつけるのに持ちだされたら、フロートさんも可哀想だよぉ」
「おや、これはこれはティアラ殿。しばらく見ぬうちに、随分と大きくなられましたネ」
 開きっぱなしになっていた扉から姿を現したティアラへと振り返りながらブラッドがそう言う。ティアラが裾がいくつもに分かれた上に先端にボンボンが付いた道化師風の衣装をまとっているのを見て将軍たちの間に軽いどよめきが走る。ゲオルグに仕えるようになって五百年以上になる老将たちはその衣装の意味を知っているが故に驚愕し、それ未満のーー同時に、大多数のーー将軍たちからは『ああ、またあんな格好をして』と呆れて溜息を付いている。
「きゃはは、ありがと。身体も凄くなったんだよ。見せてあげよっか?」
 ブラッドから十歩ほどの間合いをおいてティアラがそう言う。すっとほんの僅かに腰を沈めてブラッドが頷いた。
「それは、ぜひ見てみたいものですナァ」
「きゃはっ、おじさんのエッチィ。でも、特別サービス、私の裸、見せてア・ゲ・ル」
 ティアラがそう言った瞬間、びゅるるっと音を立てて彼女のまとっていた衣装が裂けた。首の少し下から裾までが裂け、無数の触手状になって空中へと振り上げられる。
「おおっとぉ」
 ブラッドの右手が腰の剣の柄へと走った。ばしぃっと弾けるような音が響く。
「二人とも、その辺にしておけ。余興にしては血が流れ過ぎる」
「はーい」
 元気よくゲオルグの言葉にそう答えると、ティアラの服が元に戻る。ふうと息を吐いてブラッドが右手を剣の柄のそばから離した。
「一本、抜けましたか。こりゃ一本取られましたネ」
 そう言って軽く肩をすくめるブラッドの、肩当てに付いていた刺状の突起が一本、根元から折れている。
「二つ、かぁ。お気に入りだったんだけどなぁ、この服」
 そうぼやくティアラの服のうち、裂けた裾が一つ切り取られたようになくなっており、その横の裾はついていたボンボンがなくなっている。
 不意に、二人のちょうど中間地点の床が、見えない巨人が殴りつけたかのように陥没した。動揺する将軍たちのうち数人の頭や胸、腹といった辺りが弾ける。一瞬にして死体になった不幸な将軍たちの身体が床に倒れ込むのとほぼ同時に、彼らとは反対側に並んでいた将軍たちの首がコロンと床に転がった。
 目にも止まらぬ早さで襲いかかったティアラの服を、ブラッドが居合抜きの要領で迎撃したのが見えたものが果たして何人いたか。弾かれたティアラの服がたまたまその先にいた不幸としかいいようのない将軍たちの身体を鎧もろとも弾けさせ、振り抜かれたブラッドの刃が空気どころか空間すらも切り裂いて同じく不幸だった将軍たちの首をはねたのだ。二人の間の床が陥没したのは、両者の間で拮抗した力が逃げ場を求めて下に走った結果に過ぎない。床を作っていたのは、魔界でも十本の指ぐらいには入る硬い鉱物だったのだが。
「ブラッドよ。わざわざ居城もろともに来てくれたことには感謝する。だが、アドレアのシルディ王子と戦いたいのであれば、彼がここまでたどり着くのを待ってもらおう。私にも、都合というものがあるのでな」
「ふぅむ。しかたありませんネ。結構、私は居城に戻らせていただきマス。勝手に動くようなまねはしませんのでどうぞご安心を」
 軽く肩をすくめると、意外とあっさりとブラッドが退く。信用していないような表情でゲオルグが彼のことを見つめたが、結局は何も言わなかった。

「はっ」
 軽い気合と共にくるりとカトルの身体が回転する。木刀の先から迸った『気』が、半ば物質化した光となって襲いかかる北斗の刃のことごとくを弾き飛ばした。ガードががら空きになったシルディの元へと瞬時に駆けより、カトルが木刀を振るう。慌ててそれを受けようとするものの間にあわず、胴を打たれてシルディがその場に膝をついた。
「あくっ」
「あ、ゴメン。大丈夫?」
 心配そうな表情を浮かべてカトルがシルディにそう声をかける。少し離れた場所で樹にもたれかかっていたクリフが呆れたように首を左右に振った。
「シルディ、君には学習能力というものがないんですか? 北斗の刃、七枚全てを攻撃に使うな、と、何度言えば分かるんです。それに、あいかわらず完璧に制御しようと気負い過ぎてますよ。もっと肩の力を抜きなさい」
「う、うん……」
「……やれやれ。カトルさん、申し訳ありませんが、もう少し付きあっていただけますか?」
「かまいませんよ。僕もいい修行になりますし」
 ひゅんと木刀を振るっていったんシルディとの間合いを取る。ぎゅっと唇を噛み締めるとシルディは木刀を捨てて立ちあがった。
「シルディ?」
「……これだけ実力差があるんなら、武器でハンデをもらってもいいよね?」
 そう言いながら右腕を振る。シルディの手の中にまず剣の柄が現れ、更にもう一振りすると一本の長剣に姿を変えた。彼女の周囲を飛びまわっていた北斗の軌跡が、僅かにぐらつく。
「あの……使うのは、かまわないんだけど、大丈夫なの?」
 北斗の動きが鈍くなったのを見やり、カトルが心配そうにそう問いかける。僅かに重心を下げてシルディが怒鳴った。
「大丈夫に決まってるだろう!? いくよっ!」
 ひゅんと風を切って北斗の刃がカトルへと襲いかかる。クリフに言われたばかりだからなのか、それとも昂を出したせいで制御がきつくなったのか、攻撃に使ったのは四枚だけだ。軽く肩をすくめながらカトルが襲ってくる北斗の刃をその場から動くことなく迎撃する。
「えーと、クリフさん?」
「かまいませんよ。昂は、サイズ自体は精神力の消費とはあまり関係ありませんから。ああ、ただ、切れ味自体は並の剣を遥かに凌ぎますから、気をつけてくださいね。あと、魔力の刃を飛ばして遠距離攻撃も出来ますから」
「はぁ、そうですかって、おととっ」
 クリフとの会話の間に、シルディが間合いを詰めてきている。間合いが剣で切りあう距離まで近づくと、防御に回った北斗が同時に攻撃にも参加するようになるからなかなか厄介だ。もっとも、魔法使いではないカトルであれば北斗に切られても打撲がちょっと痛い程度のダメージしか負わないはずだが、だからと言って平然と受けてしまっては互いに訓練にならない。
「ま、これか」
 小さくそう呟いてカトルが回転切りを放つ。使っているのがクリスタルソードではないために威力は低いが、襲ってくる北斗の刃を弾きつつシルディ自身に攻撃を加えられるから効率がいい。
「同じ手でっ!」
 シルディが気合と共に昂を振り降ろす。迸った魔力の刃が、回転切りの気の刃とぶつかりあって対消滅する。そのまま一気に間合いを詰めたシルディの一撃を、ちょっと慌ててカトルが弾いた。木刀でもやりようによっては人を殺せるが、シルディの腕力と技量では一撃必殺は難しい。だが、武器が昂となると話は別だ。
 昂を弾かれたせいで一瞬シルディの胴ががら空きになるが、即座に北斗がカトルに襲いかかって攻撃をさせない。舌打ちをしつつカトルは更に間合いを詰めた。ほぼ密着するようなこの間合いでは互いに剣は使えない。北斗も、自爆の可能性を考えると使いにくいだろう。
 ふっと、一瞬シルディが笑った。彼女の手の中で昂が一瞬にして長剣からナイフサイズへと姿を変える。この間合いで一番有効な武器へと。ぞくっとカトルの背中に悪寒が走った。ナイフのサイズで相手の身体に突き刺し、長剣サイズにしたらどうなる?
「ち、いっ」
 考えるより先に身体が反応していた。突き出されたシルディの昂を身をひねってかわしつつその勢いを殺さずにその場で一回転する。回転切りに似た形だが、剣は腰の辺りにつけられたままで気の刃も発生しない。木刀に鞘があれば、ちょうど抜刀術の形で一回転したことになる。遠心力を十分に乗せた一撃が、シルディの胴に吸い込まれ、吹き飛ばした。
 声もなくシルディが仰向けに倒れる。ふっと北斗が姿を消した。我にかえったカトルと、流石に慌てたクリフが彼女の元へと駆け寄った。
「シルディ!?」
「ああ……空が青いや」
 ぼそっと訳の分からないことをシルディが呟き、がくっと二人がこける。軽く反動をつけて起きあがるとシルディが苦笑を浮かべた。
「やっぱり、駄目かぁ。結構いいアイデアだと思ったんだけどなぁ」
「いや、かなり慌てさせられたよ。とっさだったから手加減できなかったけど……大丈夫?」
「うーん、あばらの二、三本はいかれてるかも。後でソフィアにでも治してもらうから平気だけど」
 痛そうに顔をしかめながらも、意外とサバサバした口調でシルディがそう言った。軽くクリフが肩をすくめる。
「昂の方は、ほぼ完璧に使いこなせてるみたいですね。後はあなた自身の剣技の問題ですか。
 北斗に関しては……無理に制御しようとするな、と、あと何回言えば聞いてくれるんです? 大体、昂で一撃を入れるつもりなら、北斗で牽制の攻撃など考えなくてもいいでしょうに。最後の瞬間、北斗も攻撃に使おうとしたでしょう? しかも全部」
「つい……カトルが相手だと、昂だけの攻撃は避けられそうな気がして」
「それで意識が昂から逸れたんでは本末転倒ですよ。そもそも、無理に七枚の刃の軌道を制御しようとするからそんなに消耗するんです。本来なら、昂も北斗もほとんど体力の消耗はないはずの武器なんですから」
「う……ゴメン」
 遠慮のないクリフの言葉に、シルディが身を縮める。軽く溜息をつくとクリフが二人に背を向けて歩きだした。
「シルディは姉さんに怪我を治してもらってから北斗の練習です。意識しないで動かせるようになるまで、ね。カトルさんは、少しお話があるので、つきあってもらえますか?」
「あ、はい」
 怪訝そうな表情を浮かべながらもカトルは頷いた。

「まず、最初におうかがいしたいのは、あなたにアドレアの国王となる気があるのか否か、ですね。どうです?」
 人払いをしたクリフの天幕の中で、カトルに向かってクリフがそう問いかける。困ったような表情をカトルが浮かべた。
「僕が王様に? 考えたこともないですよ」
「あなたらしい答えですね、といえるほどにはまだ付き会いは深くありませんが。しかし、残念ながら、だとすればあなたが取った行動は軽率だったとしかいいようがないですね」
「軽率……?」
「シルディのこと抱いたんでしょう?」
 さらっと言われ、一瞬飲んでいた紅茶を吹き出しそうになってカトルがむせる。
「え? なっ!?」
「別にシルディから聞いた訳ではありませんよ。まぁ、あれも初めてだった訳ですし、注意してみれば分からなくもないですけど。神剣があなたを使い手として認めたということは、つまりはそういう事なんでしょう?」
「う……ま、まぁ」
 正直、あの場で終わりだと思っていたから、シルディの願いをむげに断る訳にもいかなかったという事情は、ある。とはいえ、一国の王女であるシルディを抱いたという事実は消えようもない。
「……強要するつもりも、ありませんが、一応の責任は、取ってもらえるものと思ってますから」
「う……」
 普通、貴族の世界において純潔を奪うということの意味は重い。極端なことを言えば、その相手の所有権を獲得するに等しいのだ。実際にはアドレアではそれほど気にはされないのだが、もちろんカトルはそんなことは知らない。世界各地を放浪し、その風俗にも詳しいカトルだが、かなり特異な文化を持つアドレアについては流石に詳しくないのだ。
「まぁ、それはゲオルグを倒した後の話として、二つ目の質問、よろしいですか?」
「どうぞ」
 とにもかくにも話題が逸れるのは歓迎なのか、額に浮かんだ汗をぬぐいながらカトルが即座に頷く。軽く頷き返して、クリフが真面目な表情を浮かべるとカトルに問いかけた。
「以前あなたと会った時、あなたは魔王の娘の一人と行動を共にしていましたね。彼女とは一体どういう関係です?」
「関係って……単に、襲われたのを返り討ちにして、戦意喪失した相手にとどめを刺す訳にもいかないから逃がそうと思ったら部下にならないかって逆に勧誘されて、ゲオルグの城の手掛かりが得られるならそれでもいいかなって行動を共にしてただけ、だけど?」
 実際には、行動を共にするうちに好意を持ってはいたのだが、クリフがどうやらミルキーに好感情を持っていないのは明らかなようなので、それは伏せておく。
「ふむ……甘い、ですね」
「甘い?」
「戦意喪失しようが、そもそも最初から戦闘力自体なかろうが、魔族は魔族です。将来の禍根を立つためには、とどめを刺すことをためらうべきではなかった、ということです。
 これは、アドレアでは有名な話ですが。先々代国王、ウィルナ様がある魔族と戦い、打ち倒した後、命乞いをするその魔族を哀れに思って命を助けてやったことがあります。その後、その助けられた魔族が何をしたと思います?」
「何をって……」
「まず彼はーーああ、男だったらしいんですが、その魔族は、近隣の村を三つ、滅ぼしました。責任を感じたウィルナ様は生き残った村人たちを王城に集め、生活の保証を約束しようとしたそうです。しかし、生き残りの村人たちをウィルナ様が謁見の間に招きいれた途端、魔族によって村人たちの身体の中に埋め込まれていた魔法弾が爆発、北斗と神剣・皇によって守られウィルナ様ご自身は無傷でしたが、その場にいあわせた文官や武官たちはほぼ全滅。もちろん村人たちも助かりはしませんでした」
 そこまで言っていったん言葉を切り、紅茶を口に含むとクリフが軽く首を左右に振った。
「もちろん、全ての魔族がここまで非道の限りを尽くすというわけではないのでしょう。しかし、今目の前にいる魔族が同じような行動をしないと言う保証はどこにもないんです。そして、そんな行動を取られた時、巻き添えになって死んでいった人たちにどんな償いが出来るというのです?」
「それは……」
「魔族の中には、人間と分かりあえるようなものもいます。それは認めます。しかし、同時に、どうしても分かりあえないような非道なものも珍しくないと言うことは、覚えておいてください、勇者と呼ばれる人間ならば」
 クリフの言葉に、カトルはじっと沈黙していた。 



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