ホバーカーがロシア大使館の前に止まる。すでに夕刻に近かった。二宮は座席にＮＬＧ−９を置く。
「あれ、持ってかないんですか？」
「警備の人間に預けなきゃ駄目だろ。変に見られても困るからな」
通された部屋では、次官級の役人に面会できた。やたらにお詫びの言葉を述べてくる。質問をしても、私にはわかり兼ねますとしか答えなかった。結局謝罪だけを延々と言われて、二宮は大使館を後にする。
「まったく、カスな役人だ。罪も認めない日本よりはいいがな」
「どうします？」
「ブルーラの遺族のところに行こう。確か中央区の亡命ロシア人居住区だったな」
「今から行ったら夜になりますよ？」
「来ないと思う時間に行くのがいいんだよ」
本城の言う通り、すっかり闇の落ちた頃、同じような白塗りのプレハブの立ち並ぶ区画に辿り着いた。銃を胸に忍ばせて、二宮は車を降りる。
「あっ…」
二宮を見たロシア人女性が逃げていく。二宮はその方にゆっくりと歩いていった。一つの扉の前で、二宮がドアをノックする。
「すいません、警察の者ですが？」
「泥棒は私じゃないです」
怪しい日本語だ。応対は本城に任せて、二宮は辺りを見回す。街灯もほとんど無い。物干しの間に吊るされた裸電球がバチバチと点滅している。旧世紀の不法エンジン車がひっそりと並べられ、家の回りには雑草が茂っている。
「駄目ですね、話が通じません。わざとかも知れませんが…」
「うむ…うん、あれは？」
二宮は離れたところにある古ぼけたビルに入っていく人影を認めて、そこに近付いていく。
「どうしたんですか？」
「…今の…シェーレルじゃないか？」
「え、銚子の基地にいた？」
「…あいつ、ロシアの知り合いはいないと言っていた癖して…」
ビルには地下に降りる階段があって、それ以外に人のいる気配はない。地下の扉はそこだけ新品の頑丈で、右側に手が入るぐらいの小窓がある。
「…あそこで何かを渡して入るんだな」
「何でしょう？」
「さあな…シェーレルめ、そのうち白状させてやる。…今日は帰るぞ」
ナターシャが起きると、二宮はもういない。仕方なしにパンをかじりながらニュースを見る。相変わらず襲撃の時の同じフィルムばかりを流している。芸能人の話などは、彼女には少しもわからない。
そしてふと、テレビの上の白い封筒に気付く。封は開いていた。学校の日本語の授業で書き方を習わされた事はあるが、実物を見るのは初めてである。手紙など電子メール以外に存在し得ない時代である。何気なく中身を取り出してみて、ナターシャは絶句してしまう。
「…何これ？。草書って奴？。…少しも読めないわ。誰よ、こんなもの書くのは…奥…村…由佳。奥村由佳…女？。…まさか」
二宮に彼女がいる。別に彼を愛しているだとか、そういった感情をナターシャが持っているわけではないのだが、彼もそれなりの生活を持っているのだということが、不安定な彼女に残酷な現実を見せつけてしまった。ナターシャが二宮に親しみを感じているのは、自分と同じ流浪の人間だと、安息を持たない人種だと肌で感じていたからに違いない。それが裏切られてしまって、彼女はその手紙を握ったまま愕然としていた。そしてこの事が、ナターシャに二宮を異性として意識させる事になったというのは、まさに皮肉としか言い様がない。
昼を過ぎてから、町へ出た。真新しいマンションの隙間に、彼女の目には今にも潰れそうな木造の家がたたずみ、その合間を満員の青いバスがよたよた走る。公園がそれなりに綺麗なのはさすがに感心する。
スーパーを見つけて中に入る。あまり二宮の冷蔵庫の物ばかりを使っていては悪い気もしたからである。それにもともと、そんなに入ってもいなかった。
冷凍食品ばかりでは体に悪いので、パックのサラダや味付けの肉を籠に入れる。そしてパンのコーナーに行って黒麦のパンを見つける。ナターシャの国の物である。それをつかんで、ビニール越しに故郷を嗅いだ。
「…あー、懐かしい。本当に日本はなんでもあるのね」
「キャー！」
悲鳴の方を向くと、四、五人の青年達がレジのお金を掠め盗っている。一人は拳銃をオバサンの店員に向けていた。
青年達はすぐに走り去る。ナターシャは黒パンを放って後を追う。
「待ちなさい!!」
彼等は坂を下って行く。途中で左に曲がった。彼女はやがて行き止まりに出て、気が付くと囲まれていた。
「ヘッ。女一人で勇気があるというか、バカというか…」
「しかも外人だぜ？。俺は初めてだなあ？」
私服を着ているので、まさか警官とは思っていないのだろう。だがそれ以前に、彼等は自分を、いや女性をナメている感じがして、ナターシャは一人一人に侮蔑の視線を送る。「…どうしようもないガキ達ね」
「そんな強がりも今のうちだぜ！」
左右から男が踊りかかってくる。しかし、ナターシャが警官だけならまだしも、彼女は軍人なのである。二人ともあっという間に地面に叩き付けられた。
「て、てめえ!?」
一人が拳銃を構える。ナターシャはその男を睨み付けた。
「オラ、脱げよ。脱がなきゃ撃つぜ？」
「…撃てば？」
「な、何だと？」
青年の手が震え始める。素早くハーフコートから銃を抜いて、ナターシャは相手の銃を弾き飛ばした。
「く、くそ…」
不良達が一斉に飛びかかろうとするが、ナターシャが銃を構えたまま一回転すると次々に動きを止める。左手に疑似レーザーガンを持つと地面に撃った。
バチ、グェル…アスファルトに野球ボールぐらいの穴が開く。
「あなたたちにも、穴を開けてもいい？」
「…覚えとけ！」
青年達は金銭の入った袋を彼女の足元に叩き投げると全員逃げていった。
「お金を置いて行くのが情けないわね」
ナターシャは袋を拾った後、青年の持っていた銃を手に取る。
「…セーフティぐらいはずしなさいよね」
お金を返して、お礼に買い物をまけてもらう。左手にビニール袋、右で黒パンを回しながら道を小走りに家へ急ぐ。
「もし、そこの外人さん。泥棒を退治したのはお前さんかい？」
外人と言われてムッとしたが、とりあえず彼女は振り向く。相手は初老の老人で、頭はすっかりハゲあがっていた。確か暖簾とかいうふうに学校で習った、中途半端なカーテンから顔を出している。
「そうですけど、なんでしょうか？」
「なんの。お礼にうどんでも御馳走しようかと思っての。ささ、入りなされ」
「あの、うどんは食べた事がないのだけれど…」
「何を言っておるのじゃ。日本に来て寿司と納豆とうどんを食って行かぬなど、お天道様が許さめえ」
老人に引っ張られて店のカウンターにすわる。昼下がりだから他に客はいない。
「お譲ちゃんは箸は使えるかな？」
「ええ、困らない程度には使えます」
「ほほう、日本語が上手えのお。うちの孫より日本人らしいや」
そんなお世辞を聞き流しながら、ナターシャはうどんをすすり始める。黒い器の、薄い黒色の中に純白の麺が揺れている。湯気が濛々と彼女の顔を襲ってくる。
「ん…、おいしい…」
「二月と言ったってまだまだ冬じゃからのう。うどんが一番じゃ！」
あっという間に平らげる。ナターシャのお腹が訴えていた。最近はまともな食事をしていませんよ？。
「あの…もう一杯いいですか？」
家に着くと既に日も遅く、落ちる夕日のように薄橙のソファーに体を沈める。
静寂をかき消すようにビデオフォンが点滅した。画面の端に触れると、短めの髪の女性が映し出される。ナターシャも彼女も、声が出ない。
「…あの…ナターシャさんですか？」
躊躇しながらも、相手ははっきりとそう言った。何故だかはわからないが、その声を聞いてナターシャは心がちくっとした。
「はい、そうですが…」
「この度はいろいろと大変で…。それで、二宮は？」
「捜査に行ったまま、まだ戻っておりませんが」
画面の向こうで、相手の口が小さく動いた。そう・さ。捜査…捜査？。彼女の口はそう動いた。
「…ブルーラのですか？」
「はい。そうです」
多少冷たい言い方だが、ナターシャもはっきり言った。相手の目が伏せられる。この女性ならば、黙っていても二宮と会話ができるのであろう。だから彼女と違って、名前を聞くのに迷いはいらなかった。
「奥村由佳さんですね？」
「はい…」
彼女に見つめられて、ナターシャはその瞳に二宮の気配を見る。それでもう、黙り込んでしまった。
「今日ね、変な子供達に乱暴されそうになったわ」
「どうせブッ飛ばしたんだろう」
コートを脱ぎながらそう言った二宮は、それ以上何も言わない。ソファーにそれを置いて冷蔵庫を覗き込む。まあねと言う返事が、ナターシャは言葉にならない。
「…まあ、遊びでやってる馬鹿共だからな」
「大人に近い子供が、遊びで銃を持ってスーパーに押しかけるの？」
「今の教育じゃ、大人になれないまま成人する奴がそれだけ多いって事さ」
ビールの缶と小さなコップを持ってきて、二宮はソファーにすわる。一杯だけ飲むと、缶をテーブルに滑らせてナターシャに渡す。黙って横になった。
「そこの通りのうどん屋に行ったことはある？」
「まあ、時々な。あそこの親父はソヴィエトがあった頃に生まれたはずだな」
突然ナターシャが立ち上がって、二宮の枕元に立った。じっと見つめている。少し間が空いてから二宮も見上げて、二人の視線が真っ直ぐに重なった。
すっと彼女は自分の上に乗っかる。別に酔っているわけでもあるまい。視線はいつまでも外れない。
「…何が言いたい？」
「正也って、女の人を抱いた事があるのかな、と思って」
閉じた口の中で、二宮が歯をこすらせる。ナターシャは努めて無表情だ。
「俺をいくつだと思っているんだ？」
「あなたと奥村さんって、きっとハードボイルド映画のように寝るんでしょうね」
「もう忘れたよ」
一回だけ息で笑ってからそう答える。ふーん…と、ナターシャも鼻を震わせている。
「奥村さんが聞いたら怒るわね。…私は泣くと思うな」
「いまさら怒られはしないさ」
「…明日はどこに行くの？」
「仙台に行く。間抜けなロシア人のせいで遠回りだ」
その間抜けなロシア人を私にしてもいい？、とは心の中だけで問い掛けて、ナターシャは結論だけを伝える。
「私も行っていいでしょう？」
「そうだな、車に酔わないならな」
わかったと言って彼女は起き上がる。自分の部屋の敷居で、きゅっと立ち止まった。
「…おやすみなさい」
振り返らずにそう言うと、返事は期待せずに襖を閉めた。その動作と一緒に、二宮は目を閉じる。部屋のライトは、そのうち自然に消えた。
暗い部屋の中で、ナターシャは服を脱ぐ。小さい鏡をタンスの上に持ってきてあったが、それで顔を見るだけでは満足できなかった。彼女は窓の脇のスイッチを入れる。バチッと電気の通る音がして、青く色のついていた窓がガラス色に変わる。
果たしてマジックミラーになっているのかはわからなかったが、ナターシャはそこに全身を写し出す。膝頭の少し上までがそこに入る。
新宿の幾つかの高層ビルは、白く光る窓に屋上の赤の発光を明るい夜に浮かばせている。そのシルエットに溶け込みながら、ナターシャは自分のラインを確認する。
軍人であったから腕や足はそれなりに太い。それでも余計な肉はついていなかった。胸も形良く大きいし、ウエストが引き締まっているから腰つきも大きく見える。それでも軍人時代よりかは幾分太っている。しかし、顔だけは痩せていた。体の方も今回の事件で少しは痩せたのであろう。そんな白い肌を見ながら、奥村の肌色と比べるナターシャがいた。
いつもの朝のように、コーヒーを飲みながら適当に新聞をめくる。リモコンのスイッチを連打していると、旧世紀の小説に出てくる新聞配達なるものを思い出してしまう。そしてキャスターが今日もまた、報われない魂の行方を淡々と伝える。変わったニュースもない、そんな朝である。
由佳といる朝は一緒に迎えた。数えるばかりだが、それさえも忘れた。付き合った年数と、別れた年数が背を並べる日も近い。彼女は新しい恋を探す事さえせず、自分は愛に浸るつもりもない。手紙や電話はよく来るし、彼女もよく自分の家に乗り込んできた。世間では別れたうちに入らないのだろうが、遠距離恋愛をしているような物だった。遠く離れてしまったのは、それぞれの明日。そして二人が別れたのは、その数少ない同じ朝の出来事であった。
「何、考えてるの？」
ナターシャが向かいにすわっている。二宮はコーヒーを口にした。
「…奥村さんでしょう？」
何も言わない。勘のいい女に巡り合うのもひさしぶりだ。
「ふん、忘れたとか言っていたくせに…」
「人は思い出したくない事は忘れるようにできているんだよ」
「ふーん…どうでいいけど、正也って起きるの早いわね」
「熟睡してないからな」
二宮は立ち上がると、コーヒーカップを流しに入れる。レンジの窓で髪を直す。
「あと三十分で出るからな」
「なんで熟睡してないの？」
「女がいるからだろ」
トイレに入る背中を見ながら、ナターシャは少しだけ安心していた。
「…正也も、そんな冗談を言えるのね」
十分前に本城がホバーで迎えにくる。ナターシャは後部座席に乗った。
「お早うございます、二宮さん。今日はナターシャさんも一緒ですか？」
「ええ。あまり二人にばかり大変な思いをさせるわけにもいかないからね」
高速道路に乗って北上する。都会から山の脇に景色は移って、荒れた田畑が目に付く。「でも、どうしてわざわざ仙台まで行くの？。別にマザーコンピューターから引き出したって…」
「そんな物、嘘をかかれたら終りだ。どんなに情報化社会になったって、結局は人と人とが最大で唯一の接点でしかない。結局は足さ」
少しずつ二宮と会話しながら、そのホバーは目的地へと向かって行った。案内された管制室は、先の二つとほぼ同等の造りである。
「まったく、これだからお役所は困る。少しは頭を使えばいいんだ」
そんな二宮の言い分に、本城は苦笑せざるを得ない。
「それを言ったら、警察だって日本全国どこも同じですよ」
部屋のモニターには、茨城沿岸から北海道南部までが映し出される。主任技師がモニターの上一杯の地点を指し示す。
「ここを見て下さい。一つの黒い影が一瞬ですが確認されます。これだけでは完全に未確認物体ですが、時間的にもブルーラによるＳＰＢ本部襲撃から四時間程ですので、その海底に潜ったヘリである可能性は考えられなくもありません」
「…どうしてその地点だけレーダーに反応したんだ？」
「そうですね、海の高低による反射率だとか、そういう細かい要因が重なってだと思います。きちんと説明したら軍事機密になりますね」
二宮はアルスターコートからＰＰＮを取り出すとポケットからケーブルを取り出してその先を主任に差し出す。
「これを繋いでくれ。浦賀のデータを転送する」
短い機械音の後、モニターには東京湾から房総の南端までの潜航ヘリの航路がラインとなる。
「この線が、さっきの点と結び付くとしたらどういうルートになる？」
「…ちょっと待ってください」
主任が部下と共に解析を始める。モニターには海底の地形や当日の海中の様子などのデータが流れていき、それを見ているだけでナターシャは目がチカチカしてくる。
「…少し太平洋側にカーブを描きますが、ほぼ直線で進んで行ったと見て間違いないでしょう」
「もし、レーダーに引っ掛かる可能性があるとすれば？」
「えーと、ここらになりますか…」
モニターのラインの一部が赤く光る。なんと房総沿岸では、かなりの長さが該当していた。そして二宮は、最後の確認をする。
「襲撃の日、銚子沖で船が一台海難事故を起こしている。その地点も映し出してくれないか？」
「ちょっと待ってください？」
モニターを睨んだまま、二宮は黙り込む。ナターシャの脳裏にも、技師達のキーボードを叩く音だけが響く。
「出ました、ここです」
「よし、もらった…」
船の事故現場は、間違いなくブルーラの予測航路に重なる。二宮はその点滅から視線をはずさない。
「…悪いがこのデータを俺のＰＰＮにコピーしてくれ。それとこの事は上に内緒にな？」「永久に、とはお約束できませんが…」
「そうだな、俺がＳＰＢをクビになるまでならいいか？」
主任はにっこりと笑顔になる。どうやら自分達に理解があるようだ。
「ええ、わかりました。それでは事件が解決できるように祈ってます」
車に戻ると、本城がウィンドウに、禿げ上がった多少いかつい感じの男の顔を表示させる。それと同時にエンジンが回転を始める。
「これがシェーレルを推薦した人物です。防衛庁長官、山岸大悟です」
「…どこにいる？」
「自宅は成城にありますが…」
「今から行けば夕方だな…よし、そこだ」
閑静な住宅街をゆっくりとホバーカーは走る。幾度も道を曲がって、やっと山岸邸にたどり着いた。路地は狭いが、その家はかなりの敷地である。門構えも立派である。
「まったく、どこから金を集めてるのやら…ナターシャは車で待ってろ」
「えっ？。私も行くわよ」
「…若い女なんて連れて言ったら、贈物だと思われるんだよ」
本城と二人で、中に入る。使用人らしき女に導かれて、狭い畳の部屋に通される。しばらくして背広姿の山岸が、秘書らしき男性と共に入ってきた。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
「何、君達も仕事だからしょうがあるまい。ただ儂も出掛ける用事かあっての、手短かにな？」
使用人がお茶を持ってくる。一口飲んでから二宮は山岸を見据える。
「銚子基地にいる、シェーレル・コロチェーエフとは、一体どういう経緯で…」
「知り合いのロシア人の紹介でな。それなりに仕事はこなしていると思うが？」
「実は、それぞれの基地でブルーラ襲撃時の観測に食い違いがありまして、それで困っておるのですが…」
山岸はちらっと秘書を見てから、二宮の顔は見ずに答えを話す。
「そんな事まで、私は知らん。機械でも故障しているのだろう」
「…誰の紹介で？」
「そんなのは私個人の事だ。君等に話す義務も必要もない」
「先生、そろそろお時間で…」
秘書に促されて山岸は立ち上がる。お茶の残りを飲んでから二宮も立つ。
「自分達はこれから札幌に行くつもりです。それではお気を付けて…」
「…うむ」
車に乗ると、後部座席のナターシャが身を乗り出してくる。
「どうだった？」
「どうもこうもない。早く麹町署に行くんだ」
「ちゃんとシートベルトを締めてくださいよ？」
時間は夕方の四時。帰宅ラッシュで道路が混雑したのも、今は昔の話である。わずかな時間でホバーは署の前に着く。
「ほらっ、早く降りろ」
「う、うん…あっ!?」
ナターシャが車を降りると、ホバーがその機体を浮かせる。窓が開いて二宮が顔を出した。
「それじゃ管制室で連絡係を頼むな？」
「じょ、女性を騙していいと思っているの!?」
ナターシャの叫び声を残して、ホバーカーは発進する。正面を向いたまま本城がつぶやく。
「いいんですか、こんな事をして…」
「この前ブルーラと闘った時、あいつはためらっていた。そんなんじゃ困る」
しばらくするとモニターにナターシャの顔が映る。管制室から送信しているのだろう。「ちょっと正也。どこに行くつもりよ？」
「札幌だよ。北海道の札幌」
「札幌？」
表情を強張らせて彼女は言葉を失っている。二宮は腕時計を覗き込む。
「今からだと何時に着くか？」
「さて、取り敢えずヘリポートに向かっているんで、それに乗ってからは一時間ですよ」 六時前に札幌署に着く。街には雪が降り積もって、白のグラデーションに支配される。二人は応接室に通されたまま放置される。
「遅いですね…もうかれこれ十分ですよ？」
「そりゃ本城、疫病神を好き好んで相手する奴はいないよ。だけど少し考えりゃあ、とっとと用事を済まして追い出した方が安全なんだがな」
「結局は目先だけなんですよね、普通の人は」
「どうでもいいが、このお茶安いな…」
その時、札幌署全体が激しく揺れる。天井の照明が非常電源の薄暗い青に変わる。
「早速お客さんのお出ましだ。本城、バギーを取ってこい！」
「二宮さんは!?」
「武器に決まってんだろう！」
本城と別れて二宮は駆け出す。あらかじめエレベーターの案内表で場所は確認してある。逃げ惑う事務官の合間を縫って武器庫の前に着く。警備の人間が床に尻餅を着いたまま悲鳴に近い声を上げる。
「きょ、許可は取ってるんですか!?」
「そんな物、あの世でもらえ！」
扉を蹴開けると中の武器を二宮はあさる。
「ったく、もう少しろくな武器はないのか？」
それでもブラスターショット三丁、ショットガン、それにライアット・エージェンシーを二つ持って外へ飛び出す。裏口では本城がバギー型のホバーを用意していた。
「お前はショトガンだ。銃も持ってるのか？」
「ちゃんとリコレイス（無反動銃）を持っていますよ」
本城の運転でホバーは動き出す。ビルは一台の青いヘリが攻撃していた。二宮はブラスターで狙撃する。ヘリは真っ直ぐに墜落し、札幌署一階の窓ガラスが一斉に砕け散った。「あらら、天下の国道にたいした事を…」
「それより、敵はどうだ？」
計器中央のモニターに本城はレーダーを映し出す。点はかなり多い。
「ヘリが七台に、後は車両が数十、自衛隊も出動しています」
「よし、空は自衛隊に任して、俺等は地上だ！」
「道路の向こうから五台来ます！」
一台は戦車で、残りは軍用車である。乗っているのは、日本人もロシア人もいる。二宮は両手にブラスターを脇に構えて座席に立つ。
「…二丁も使えるんですか？」
「下手な鉄砲だよ」
二台がすぐにひっくり返る。戦車はマシンガンをばらまきながらゆっくりと近付いてくる。
「本城、横に回れっ！」
「はいっ!!」
バギーが急加速して戦車の横に回る。甲板からマシンガンを持ったロシア人が姿を現すが、すぐさま二宮に撃たれた。そしてエンジン部に何発もブラスターを乱射する。
「早く逃げろ！」
二十メートルぐらい離れて、戦車は後部から爆発を始める。本城はバックミラーを見ながら眉をしかめた。
「あちゃー、いったい被害総額がいくらになるのやら…」
そう言いながらも顔は笑っている。二宮はすわって東京に連絡する。モニターがナターシャの顔に切り替わった。
「正也？。戦闘が始まったって…車に連絡つかないんだけど!?」
「乗り換えたんだよ。それよりお前は奥村由佳と本城の奥さんを迎えに行けっ！」
「えっ…ちょっと…急に言われても…」
「二宮さん、ヘリです！」
二宮は彼女に声をかけずにモニターをレーダーに切り替える。ブラスターを右手に持ってフロントに片足をかける。
お互いの攻撃は当たらない。するとヘリは右翼のミサイルを発射した。
「よけれませんよ！」
「くそったれ!!」
二宮はミサイルをブラスターで撃つ。一発で命中しミサイルは空中爆発したが、爆風でホバーが傾く。二宮は後部座席にひっくり返った。
「二宮さんっ！」
「大丈夫だ。ヘリに集中しろ！」
都合悪く敵の車が前方に現れる。それを狙撃しながらヘリの下をくぐるが、すぐに旋回して二宮達のホバーに狙いを定める。
「本城、スピード落とせっ！」
二宮が席に着くと同時に減速を始める。足を踏ん張って衝撃に耐える。ブラスターを斜め前方に構え、ヘリが頭上を通り越すのを見計らって連射した。一発がヘリを貫くと同時に再び加速し、ホバーはヘリの下を抜ける。ヘリはそのまま地面に激突した。
「二宮さん、右！」
そこにはもう一台ヘリが滞空している。二宮はブラスターを向けた。…カチッ。
「くそっ、弾切れか！」
その時ヘリが横から攻撃を受けて空中爆発する。その上空を自衛隊機が飛んでいった。「ふう、危なかった…」
「まだ休むのは早い。市街地の状況はどうだ？」
「あらかた片付いたようです。戦闘は山間部に移っていますね。敵が出撃したのもそこのようです」
二宮は空のブラスターを後部座席に放り投げて、新しいのを取り出す。
「よし、それじゃお招きに招待されてやろうじゃないか？」
ホバーは街を抜けて戦火の上がる山間に向かう。だいぶ闇も降りて視界が狭まっている。道に敵車両がいるが、ことごとく撃砕していく。やがて山の中腹に車両の発進口を見つけたが敵の攻撃も激しい。銃の火花が夜を照らした。
「ったく、面倒だ！」
二宮はコートの内ポケットから手榴弾を取り出して投げ付ける。一瞬で敵は沈黙する。「パイナップルなんて、どこから持ってくるんです？」
「備えあればって奴だよ。ほらっ、降りろ」
白い雪の上に、赤い血が飛び散って暗闇の中で妖しく光る。入り口にホバーを着けると二人は中に入る。二宮はブラスター二丁、本城はショットガンを持つ。中は明るく、敵もまだらだ。
「いったいこいつらは…」
「日本のヤクザとロシアン・マフィアだな。最高にうさん臭いぜ」
奥に進んで扉を開けると、中から銃が無数に飛んでくる。扉の脇から応戦する。
「二宮さん、弾が!?」
「ほら、これ使え」
本城にブラスターを渡す。敵の攻撃は一向にやまなかった。
「くそっ。本城、耳ふさげ！」
「え？」
二宮は先程とは違う形の爆弾を投げ付ける。すぐに彼も耳をふさいだ。大轟音が巻き起こり、本城が中を覗くと敵兵は全て倒れ込んでいる。
「何です、一体…」
「ライアット・エージェンシーだよ。音だけ凄い奴。まあこいつら全員、鼓膜が破れてるだろうけどな」
二人はその部屋の奥に進む。しかし、それ以上先は無いようだ。
「行き止まりっすね。その割には敵が多いですけど…」
「うむ…」
二宮は目の前のカーテンを開ける。中は棚になっており、銀色の缶が二つ三つ置いてある。埃に丸い後があるあたり、もっと大量に置いてあった雰囲気である。恐らく運び去った後なのだろう。手に取ってみたが、封はかなり堅い。表面を調べると、ペイントを強引に剥がしたような跡がある。本城が隣に来た。
「どうしました？」
「他の缶も見てくれるか？」
「…黄色い跡が付いてますね。それにしても、随分重い…」
「まさかとは思うが…」
その時扉から人影が入ってくる。慌てて缶をコートにしまって振り返るが、それは自衛隊員だった。
「誰だ、貴様らは？」
「ＳＰＢだ。問題あるか？」
「いえ、すいません。…ここは制圧しました」
二宮は部屋を出る。そこらに自衛隊の兵が立っている。本城がささやいてきた。
「なんか、表情が怖いですね…」
「実戦が始めてなんだろ。警察の方がよほどドンパチやってるからな」
外の入り口でホバーに乗り込むと、隊長らしき人物がやって来る。
「どうも、御苦労様です。ＳＰＢの方だそうで…」
「ブルーラはうちの管轄だからな、当然の事をしたまでだ」
「恐れ入ります。何か変わった事は？」
「…特に無いな」
二宮は缶の事は言わない。相手はそんな事には気付かず、こちらに気を使ってくれる。「他に何かありますか？」
「そうだな、ヘリを用意してくれ。すぐに東京に戻りたい。…雪は寒くていかんよ」
ナターシャは呆然としていた。一方的に用件を言われて回線が切られたからだ。それでもすぐに駐車場に走り出す。彼の言う事を信じるしかないからだ。車に乗って、先に本城家に向かう。
その家は都内の団地だった。アサルトライフルを肩に担いで三階まで駆け登る。チャイムを押すと、怪訝な顔で自分と同い年ぐらいの女性が出てくる。
「…はい？」
「本城里美さんですね？。ＳＰＢのナターシャ・ドローホフです」
彼女は表情を変えない。緊急なのでいちいち説明している暇はないのだが、彼女は素直に従ってくれそうな気配はない。
「一体何の御用で…」
その時階段を走り登る数人の足音を確認する。ナターシャは振り返ってライフルを構える。姿を現したいかにもヤクザ体の男が、驚愕の表情を浮かべる。
ズバーン！。その男を打ち抜くと残りの敵が銃を抜く。ナターシャは里美を家の中に押し込んで扉を閉める。そしてベランダに向かった。
「な、なんなんですか!?」
「死にたくなかったらついてきなさい！」
ベランダで隣の家への扉を開ける。鍵が閉まっているのでノブを銃底で叩き壊す。
「里美さん、先に…」
敵もベランダに姿を現す。狭いので全員並んでいた。ナターシャは腰から疑似レーザーガンを取り出す。
気味の悪い音と共に、弾は敵を貫き通す。ナターシャは里美に追い付くとその手を握って階段を駆け降りる。
下に降りると本来の階段の下に数人の男がいる。少し離れたところにホバーを置いていて正解だった。
「里美さん、後ろに乗って。鍵は開いてるわ」
車を浮上させるとＵターンさせて次は奥村の家に進路を取る。里美は完全に怯え切って縮んでいる。
「…間に合うかしら…いや、間に合わせないとっ！」
その頃奥村は帰宅の途にあった。相手は自宅のマンション前に既に張り込んでいて、もし家にいたら恐らくは捕まっていたであろう。
マンションの前にワゴンが止まっている。この御時世に珍しいな、と思いながら奥村はそこを通り過ぎる。しかしその瞬間、数人の男に回りを囲まれる。奥村は辺りを見回しながらも、なんとか冷静に対処しようとする。
「あの…私は何も…」
「悪く思うなよ！」
ワゴンの扉が開いて、奥村はそこに引きずり込まれる。ハンドバックを落として、それが男達に踏み付けられる。
「私の鞄!?」
奥村は男達を振り払って鞄を抱き込む。しかし、そのままワゴンのソファーに投げ込まれる。
その時ワゴンの横にホバーが止まって男を二人弾き飛ばす。さらにドアが勢い良く開けられてもう一人転ぶ。ナターシャは飛び出し様に二人を殴り倒す。
「奥村さんっ！」
ナターシャは彼女の手を取ってドアの中に放り入れる。後ろで立ち上がった男を、アサルトライフルの銃身で殴る。すぐに車に乗り込んで発進させた。
「ナターシャさん、これは一体？」
「私にもわからない。ともかく正也があなたたちを助けろって言うから…」
奥村は後ろの座席を見る。里美と目が合って、彼女は怯えた目で頭を下げる。奥村はナターシャに視線を戻す。眉間に皺を寄せてウィンドウのマップを見詰めている。
「二宮はどうしたんです？」
「札幌にいるわよ。それで突然、助けに行けって言って…全く、冗談じゃないわ！」
「…あの、後ろに！」
里美が悲鳴を上げる。先程のワゴンの他に、二台の車が後を追って来る。窓から乗り出した男達は手に手に銃を持っている。
「くそっ！」
ナターシャはスピードを上げる。敵もそれにならって、制御を乱されたホバーカーが次々にスピンを始める。ホバーは高速に入り、料金所の遮断機を引き壊す。
「ナターシャさん、攻撃は出来ないんですか？」
「運転しながらどうやれって言うの!?」
思わず怒鳴り返すが、奥村も事態が事態だからいちいち気にはしない。
「私が変わります」
思わず顔を見合わせる。しかし、次の瞬間には奥村はハンドルを取り、ナターシャが助首席に移る。天井窓を開けてアサルトライフルを構えた。ホバーのスピードも早いから、気を緩めると車から転落しかねない。
ズキューン、ズキューンッ！。一台がひっくり返って、遥か後方に姿をくらます。残りの車、特にワゴンは防弾ガラスのようで、アサルトライフルの弾だと言うのに弾き返している。
「弾がもったいないけど！」
ナターシャはライフルを下に入れると、ＮＬＧ−９を放つ。その一撃はワゴンを貫きそのまま爆発する。もう一台は分岐路で逃げてしまった。ナターシャは車の中に入って、座席にもたれかかって息を着く。奥村はやけに真剣な顔付きで前を見据えている。
「どこに行きますか？」
「取り敢えず麹町署に。皇居の半蔵門前よ」
薄暗い東京の街を、ホバーは静かに通り過ぎる。波立つ心を落ち着かせるかのように。
朝。里美はソファーでぐっすりと寝ている。昨晩本城が返ってきた時には抱き付いてわんわん泣いていたが、今は静かである。本城は仕事のためか既にいない。ナターシャと奥村は、うつらうつらしながらも寝ないですわっていた。
二宮が来ない。ここに来たのも本城一人であった。どこにいるか知れないが、この麹町署のどこかにいるのは確かであった。だからナターシャは探しに行こうかとも思ったが、奥村がここにいるのでやめた。自分がいない間に二宮が来てはまずいからである。
何がまずいのだろう。自分のいない間に二宮と奥村が会う事の、どこがまずいというのだろう。ただのパートナーであり、あってまだ一週間ちょっと。そんな自分が、一体何を考えているのだろう。ふと視線を上げると奥村と目が合う。憔悴しきった彼女も、必死で二宮が来るのを待っている。ナターシャは、一昨日の電話を思い出す。
「手紙を拝見したので…」
「…お読みになりましたか？」
「い、いえ…名前しか読めませんでした」
奥村は少し笑った。ナターシャも少しホッとする。相手は視線を下にして言葉を探している。
「ただ、ＳＰＢに入るのをやめてくれ、というだけですから…」
「…お付き合いは長いんですか？」
回りくどい事を言ってもしょうがないから、ナターシャは端的に言う。奥村は多少言いづらそうだった。
「ええ、大学の頃から…でも、やけに危険な仕事ばかり就いて、一度死にかけたんですよ。それでもう、辞めてくれと言ったんですが…その時から二宮は私とは別れたつもりのようで。…もう、三年です」
ナターシャは何も言えなかった。自分から死に向かう二宮。その定義は彼女には鮮烈すぎた。自分は安息を求めて異国の地でさまよっているというのに、目の前の幸せを拒否して、死と隣り合わせの世界にいる二宮。彼女にはわからなかった。
「あの人、私の側でじっとしているのに耐えられないのですよ、きっと…。変に世の中を末のように見てしまって。まだまだ捨てたものではないのに…。きちんと、二宮と私が暮らせるんですから…」
ＴＳ−�欧涼罎覇鶺椶浪礁欧靴討い拭�モニターには官房長官の会見が映されている。本城がコーヒーを持ってきた。
「なんて言ってますか、政府は？」
「歯舞からケシ畑が見つかったとさ。その発覚を恐れたマフィアとヤクザが、ロシアの右翼と結び付いてやったんだと」
「随分と豪快なヤクザさん達で…」
コーヒーが熱い。きちんとブラックだった。飲み干すと体にかけていたアルスターコートを着る。
「今何時だ？」
「十一時ですけど…」
「よし、そろそろだな」
二宮は署内の鑑識に向かう。年取った白衣姿の鑑識員が出迎える。
「どうだ、例の物は？」
「ええ、間違いありません」
二人は中央の隔離されたボックスの中の物体を見る。それは昨晩二宮が札幌で手に入れた缶である。
「純度百パーセントのプルトニウムです。二つ三つと、大学で物理を専攻した人間がいれば原爆が作れますよ？」
「うむ…北方領土は麻薬の密造なんかではない。まさにプルトニウムの密輸に使われているんだ。このルートなら中国、ヨーロッパを経由せずに東南アジアや中東にプルトニウムを運べる。あそこらはいまだに軍事組織が多いからな、いいマーケットになる。ただでさえ核撤廃でゴミと費用だけがかかる御時世だからな」
「これらはどうします？」
「まだ証拠上げが残っている。そしたら政府に引き渡すよ」
二宮は部屋を出て行く。駐車場に向かおうとすると、入り口に奥村が立っている。何も言わずに通り過ぎようとすると、彼女が腕をつかんでくる。
「どこに行くの？」
「仕事だ」
「もう充分じゃない？。あなただけがそんな事をする必要はないわ。事件だって解決したんでしょう？」
二宮は彼女を振り払うと、コートの襟を正す。奥村は涙を浮かべて自分を見つめている。「まだ終わっていない。俺はこのままでは終わらせない。…お前もいつまでもプラプラしてないで、早く結婚でもして幸せになれ」
奥村はそこに泣き崩れる。二宮は背を向けて外へ出て行った。玄関下に本城がホバーを出している。
「いいんですか、二宮さん？」
「もう、俺の女ではない。…銚子に行け」
道はがらがらだった。二宮は銃の手入れをしている。運転をする本城が、不意に口を開ける。
「二宮さんは、北方領土の事はどう思うんです？」
「日本に主権が渡った事は構わんが、どうしてロシア人を追い出すかわからんな」
「奪った土地は今じゃみんな、ビルか工場ですもんね」
「ブルーラも島の人間が多いだろうな。しかしロシアも密輸に使ってるんだから、結局はどっちもどっちさ」
「住んでいた人間だけが、犠牲ってわけですね？」
基地に乗り付けると、二宮は管制室へと向かう。唐突な事なので受付の女性が慌てて止めに来る。
「ちょっと、困ります！」
「俺が見たいのに、何が困る必要があるんだ？」
「きょ、今日はシェーレルもおりませんので…」
二宮は後ろを振り返る。本城がニヤリと笑った。
「そいつは好都合ですね？」
「よし、本城。早く開けろ」
既に管制室の扉の前に着いていた。受付は扉の前に立って、悲鳴に近い叫び声を上げる。「ど、どうしても見たいんでしたら、許可証を…」
二宮はＮＬＧ−９を取り出して彼女の鼻っ先に押し付ける。恐怖に顔を引きつらせ、彼女は絶句してしまう。
「あんたの命と命令の紙と、どっちが重いかよく考える事だな？」
「二宮さん、開きませんよ？」
ガツン！。二宮は銃底でノブを叩き壊す。受付はへなへなと床に座り込んだ。
「真っ暗ですね、明りをつけましょう…」
「ちょっと待て」
二宮は暗闇の中を歩いて行く。その先には赤い発光物がある。それをつかんで広げると、それは長方形になった。
「これは…ソヴィエトの国旗？。いいぞ、電気を付けろ」
本城がスイッチを入れ部屋が明るくなると、旗は見る見る白くなっていく。
「蛍光発色か…シェーレルめ、共産党とはやってくれるな」
二宮は旗をポケットにしまうと、ＰＰＮをコンピューターに繋いで解析を始める。やがてブルーラ襲撃当日の海底の様子が映し出される。
「やっぱり大当たりじゃねえか？。本城、すぐにロシア人街だ！」
その街は、この前来た時と少しも風景が変わらない。昼間なので洗濯物と子供がいる事だけが違う。二宮達は古ぼけたビルの地下へと降りて行く。この前は先を阻んだ扉の脇の小窓から、二宮は白い布切れを入れる。
「…ブツを買いに来た」
静かに言う。一瞬の間。その時間は心臓の鼓動の止まる時間だった。やがてガチャッと扉が開いた。
「動くなっ！」
扉を蹴っ飛ばして二宮は銃を構える。相手も反撃してくる。本城と扉を挟んで応戦する。「二宮さん、キリがありませんよ？」
「札幌よりは少ないだろうが！。…くそっ、ちゃんと援護しろよ？」
二宮は中に入り込む。一人ずつ倒しながら、段々と部屋の奥に詰める。すると背後のカーテンから殺気を感じて二宮は振り向き様に撃つ。倒れた男の襟をつかんだ。
「シェーレル、何か言いたい事はあるか？」
「フハハ…もう手遅れだよ」
ボコッ！。二宮が銃で殴ると、シェーレルは何も言わずに気を失う。敵は全て片付いたようだ。次に本城と共に部屋の中をあさる。
「あっ、ありました、二宮さん！」
本城が床下から大量の銀の缶を見つける。二宮が見つけた物と同じ物である。
「…これが全部、プルトニウムなんですか？」
「恐らくな。早く警察に連絡しろ」
ビルは警察隊に引き渡された。空は赤く染まりかけている。二宮はホバーカーに乗り込む。その横に本城が駆け付けた。
「どこに行くんですか？」
「山岸の家だ。決着を付けてやる。…本城は残れ」
「いいえ、僕も行きます」
「死にに行く仕事だ。奥さんをこれ以上泣かせるな」
「それは二宮さんも同じですよ。ここまで来て引き下がれますか？」
二宮は黙って助手席に移る。本城は笑顔を浮かべて車に乗り込んだ。
「飛ばせ。法律なんて無視しろ」
「わかってますよ」
個人の家の上を通って、ホバーは成城に向かう。走行中にナターシャから連絡が入る。「正也、どこに行くの？」
「山岸のところだよ」
「そんな…危険よ！。後は任せればいいじゃない？」
「自分の落とし前だ」
「そんな事言ったって…」
ブチッ。二宮はモニターのスイッチを切る。冬の日が落ちるのは早い。山岸邸の前に車を着けた時には、既に闇が降りていた。家の明りは付いている。二人は玄関先に並ぶ。
「まだ逃げてませんよね？」
「さあな…逃げ出す前だろう」
二宮はインターホンをならす。女の声で、用件を求めて来た。
「ＳＰＢの二宮です。至急お会いしたい」
「ただいま、ちょっと取り込んでいまして…」
「では、プルトニウムを持ってきたとお伝えください」
答えは無い。すると上から轟音が聞こえて来た。ブルーラのヘリである。左手にも兵が一列にならんで銃を構えている。
ズババーン！。一斉に銃が発射され、二宮達はホバーの影に飛んだ。
「グワッ！」
「本城!?」
銃弾を食らって彼はアスファルトに倒れ込む。二宮は彼を引っ張るが、地面は見る間に血の海が広がって行く。上空のヘリからも狙いを付けられていた。
「ここまでか！」
「正也、伏せてっ！」
ナターシャの叫び声がする。すぐさま本城の上に覆い被さると、頭上を荷電粒子砲の図太く青い帯が通過して行き、ブルーラ兵とその後ろの装甲車を破壊する。その体勢のまま二宮はＮＬＧ−９の標準をヘリに合わす。
ズキューン！。貫かれたヘリは山岸邸に落下していき、家と共に炎上して行く。
「正也、無事!?」
「俺はいい。本城が！」
「待って、すぐに救急車を呼ぶから…」
「…二宮さん」
本城が何かつぶやく。彼の口の血をぬぐって、二宮は腕の止血を始めた。
「何もしゃべるな、本城！」
やがてナターシャもやってきて側にすわり込む。悲痛な表情そのものだ。
「今、救急車来るからね？」
後は黙って本城の応急手当てをする。そこらはさすがに元軍人の貫禄が見える。本城の宙に伸びた右手を、二宮はギュッと握る。
「…必ず、ブルーラを…」
「…ああ、必ずだ。だからお前も死ぬなっ！」