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ACT.3  故郷
 二宮とナターシャを乗せたヘリは、本州の夜の明りの中を北海道に向かって行く。目的はもちろんブルーラの最終的な壊滅のためだ。やっとこの後に及んで首相の特別権限が発動され、自衛隊が北方領土近くに終結し始めていた。それにSPBを代表して二宮が呼ばれ、それに強引にナターシャがついてきたのである。もちろん二宮は止めたが、彼女は頑として聞かなかった。自分一人では行かせないと…。だから二宮も勝手にしろとしか言わなかった。そしてヘリの中では、お互いに離れた場所でそれぞれの思いにふけっていた。
 二宮は本城の運ばれた病院で、彼の妻の里美に泣きつかれていた。ナターシャの応急処置のお陰でまだ息はあるものの、昏睡状態でいつ果てるとも知れない。集中治療室はせわしなく動いていた。
「なんで…なんで夫が…」
 その里美の慟哭に二宮は答えられない。そんな態度に、里美は感情を爆発させた。
「あなたたちになんか…ブルーラになんか関わるから…死んだら、死んだらどうしてくれるんです!?」
「…本城は死なない」
「何を無責任な事を…」
 里美が睨み付けようとすると、二宮の真っ直ぐな視線に見つめられて息を飲み込む。端から見れば、どちらが怒っているのかわからない。
「本城が刑事だからだ。俺はいつも死なないと信じて現場を潜り抜けて来た。実際死にそうになった事もある。…だから本城は死なない、いや死ねないさ、あんたを残して…」
「そ、そんな事言ったって…現に瀕死なんですよ!?」
「本城は助かると信じている。あんたはそう、信じないのか?」
 言い返す言葉を、里美は無くす。そこに警官が駆けてきた。
「二宮刑事、指令です。至急、根室に向かいブルーラに備えろと…」
 黙って振り返る。その背中に里美が叫んだ。
「二宮さん、私はあなたを許しませんよ!」
「ああ、鼻から許してもらおうなんて、思っちゃいねえよ」
 しかし足を止めて、二宮は振り返った。里美は多少驚きの表情を見せている。
「そうだ、本城が目覚めたら伝えといてくれ」
「なんです?。詫びの言葉ですか?」
 首を振りながら二宮は、口元に右手で輪っかを作る。
「帰って来たら、一杯やろうぜってな?」

 ナターシャは陰から二人の会話を聞いていた。奥村が床に崩れて、二宮が歩いて行く。彼女は女の方に走り寄った。
「奥村さん…」
「いいんです、もう…」
 右手の指で涙を払うと、奥村は立ち上がって二宮とは反対の方角へ歩いて行く。玄関先ではホバーが発進して行く。ナターシャは彼女を追う。
「どこに行くんですか?」
「帰るのに荷物を取りに行くんです」
「ど、どうして?」
 その問いにすぐに答えてはくれない。待ち合いをしていた会議室で、ハンドバックを開けて何かを取り出している。
「あの人が、そう言ったんですから…私だって、いつ親に結婚しろって言われるか…三十過ぎればお見合いの話も持ってくるでしょう?。二宮が今の仕事のままでは反対するだろうし…馬鹿なのよ、正也も…」
 奥村が始めて口にした正也という単語に、ナターシャはうつむく。彼女の涙の滴がソファーに落ちているのを見て、視線だけは上げた。
「こんな世の中なのに、馬鹿みたいに正義のヒーローぶっちゃって…今はヒーローが勝ち続けない時代なのよ…それを、ほんとに…」
「…でも、だから好きなのではないのですか?」
 奥村の口元が笑ったようだ。左手の裾で顔をこすっている。
「別に刑事を辞めてくれなくてもいいんです。毎日家で無事を祈って…帰って来るとホッとして、そしてまた悲しい朝が来て。そんな生活でもいいんです。だけど二宮はそれさえも拒否した。私が側にいる事まで拒んだ。一体この先、どうするつもりなんでしょうね?」 振り返って奥村は笑顔を見せる。ナターシャもゆがんだ顔で笑う。たった半日で、自分は痺れを切らそうとしているのに、奥村はもう、三年も待っているのだ。決して幸せは来ないとわかっているのに、彼女は何を待ち続けているのだろう?。それとも待つ事自体に、幸せとまでは言えなくても何かあるのだろうか。なんて強い人だろう。ナターシャは気付いた。そんな強い二人がお互いに引かれ合って、そしてなまじ強いばかりに一人でも生きて行けて。さっき入り口で二人が正反対に歩いたように、それが二人の未来だと言うのだろうか?。そして自分は?。そんなふうに奥村を見つめていた。自分が何かを言うまで待っていたようだが、何も言えないので彼女が先に口を開いた。
「ナターシャさんは、二宮のところに行くんでしょう?」
「あ、はい…」
「これだけは伝えといて下さい。私はいつまでも待ってはいると。例え結婚していても、あなたが呼べばきっとそこに行くだろうって…」
 ナターシャは黙ったままうなづく。しかし、奥村の話には続きがあった。
「でも、伝えたくなければそれでも構いませんよ?」
 その言葉にナターシャが顔を上げるのと、奥村が右手を差し出すのが同時になる。ナターシャがそれを受けとると、それは二宮の写真だった。
「奥村さん?」
「ふふ、こんな物を嫁入り道具にしたら、親から怒られちゃうわ」

 ヘリの中では一言もしゃべらない。二宮は外を見つめ、ナターシャはうつむいている。札幌の夜景を飛び越し釧路の明かりを後にして、ヘリは北海道の東、国後と歯舞に向かい合う根室の地に降り立った。
 ヘリから降りると二宮は肩を縮めて階段に歩いていく。二月の北海道。すでに午後の十時を回り、冷たい海風が体に叩き付く。しかも警視庁ビル屋上のヘリポートである。ナターシャは走って二宮の横に並ぶ。
「この後はどうするの?」
「ブルーラから勝手に動いてくれるさ。だから来るまで寝る。…その前に武器の準備だけしとかないとな」
 一つ階段を降りて、後はエレベーターで地下に降りる。警備の人に許可をもらっていつものバギー型のホバーを借りる。
「これで根室は寒くない?」
「しかたないだろう。実際戦闘が始まった時に戦線に加われと言う許可は出ていない」
 途中武器庫で調達して来たブラスターや手榴弾を後部座席に放り投げる。ナターシャは唖然としていた。
「じゃあ、こんな事する必要は無いじゃない?。なんで…」
「俺は人に任せるのは嫌なんだ。それだけ。お前についてこいとは言わないよ」
 最後にホバーを他とは別の位置に移動させて、そのままエレベーターに向かう。ナターシャは慌てて走った。
 エレベーターも無言。廊下も無言。しかし宿舎の部屋の前で、オフィシャルカードを取り出して扉を開けようとした二宮が突然つぶやく。
「…部屋を一つしか頼んでなかったな」
「あ、いいわよ。…どうせ東京でも一緒だったんだし…」
 そうか、と口を動かして二宮はカードを入れる。プシューと言う音と共にドアが横に滑る。ソファーにコートを投げかけると、横になろうとする。
「待って。…シャワーを浴びて」
 ゆっくりと後ろを見る。ナターシャは顔を下に向けて、両手の拳を握り締めて、まるで怒りを溜めているかのような態度だ。
「大丈夫だ。冷えてはいない」
「いいから!」
 二宮は浴室に行く。手が凍えていてボタンが外しにくい。手のひらに息を当てる。
「ったく、着替えが無いってのに…」
 さっと浴びて、簡単に服を着て部屋に戻る。ナターシャは先程から微動たりともしていないようだ。黙って横を通って、ソファーに着ていない服を置く。
「そっちじゃない…」
 今度は文句を言わずにベットまで歩いていき、そこに横になる。ちょうど彼女の背中が見える位置だ。備え付けのタオルで頭を拭く。窓の風景は真っ暗である。ネオンなどが見えるものの、東京に慣れた二宮には暗黒の重たさを訴えかける夜である。
 ナターシャがその場で服を脱ぎ始める。白い背中は鳥肌立っている。全部脱ぐとそのままシャワーを浴びに行く。
 ナターシャはロシア系の白人なのである。肌が白いのは当たり前である。すっかり忘れていた。そのまま日本人とはいかないまでも、少なくともハーフのようには見える。純血だと聞いているが、なかなか信じれたものではない。
 ふと気付くと、そこの角にナターシャが立っている。熱い滴も程々に、あたかも睨み付けている。黒い瞳と、青い瞳と。その距離は一方的に縮まって行く。
「…全く、ムードの無い奴だな」
「ムードって何?」
「英語はわからないのか…雰囲気って事だよ」
 ベットに両膝を立てて、顔を近付かせる。首筋に顔を沈めてきた。濡れた髪が頬を撫でる。熱い息が胸を吹き抜ける。
「…愛さえ無いのに、雰囲気を気にするの?」
 両腕が首にかかり、ベットに背中を落とす。二宮は左手に握っていたタオルを枕元に置く。
「どうして正也は、死にに行くの?」
「別に死のうとはしていない。死んでも構わないというだけさ」
「私は生き延びたいわよ」
「それは生き残る事を最良の結果にしているからだ。俺は違う。戦いは勝つか負けるかだ。結果として勝てるのであれば、そのための死を俺はいとわない」
 ナターシャの手が、二宮の頬を包む。指も白いんだな、と当たり前の事を思う。
「それは二次大戦の特攻じゃないの?」
「違うさ。あれは悪あがきだ。最初から死ぬ事と負ける事を前提としている。負けるのであれば勝つまで生きるべきさ」
「…じゃあ、私も生きなきゃね」
 体を下に滑り込ませて来て、位置がひっくり返る。二宮の重さに、少しだけ息を詰まらせた。
「私、日本に何をしに来たかわかる?」
「さあ…」
「…最初は自分でもよくわからなかった。でも、今ならわかる。…きっと、居場所を探しに来たのよ」

 寒い朝だ。太陽もまだ眠っている。ナターシャも起きているようだ。こんなにうざったい朝もひさしぶりである。
「…私ね、子供が欲しいの」
「なんで、また?」
「子供に一生懸命になれば、自分のしたい事を忘れられるじゃない?」
「…悲しいんだな」
 プワーン、プワーン。警報がなってナターシャが上半身を起こす。二宮はベットを降りて服を着る。
『ブルーラと思われる機影が国後島から出撃しました。各自所定の位置についてください』 無機質な放送を背にして二宮は部屋を出る。エベレーターの隙間から上着を手につかんでナターシャが入ってきた。エベレーターの中で身嗜みを整えている。
「どうするの?」
「敵は国後だ。一気に乗り込む」
 駐車場でホバーに乗り、オフィシャルカードを取り出す。SPBの専用である。
「お前さんを使うのも最後かもな。頼むぜ!」
 カードを差し込んでエンジンを入れる。警備の人間が駆け寄って来てガウンを二着投げ渡してくる。
「外は極寒ですから着て下さい!」
「悪いなっ!」
 車は駐車場を出る。そのまま根室湾に向かった。自分のガウンを着たナターシャが二宮にも着せる。
 海の上を飛沫を上げてホバーは進む。自衛隊のジェットとブルーラのヘリが戦闘を始める。海上には兵を詰め込んだボートが大量に浮かんでいる。
「あれは一体…」
「北海道の一部を占領し、北方領土の引き渡しを迫る。もう少し頭を使えよな」
 ハンドルを離して後ろからブラスターショットを引っ張り出す。一台に標準を合わしトリガーを引くと、青い熱線が海水を蒸発させながらボートを転覆させる。この温度では海に落ちた人間も助かるまい。敵のマシンガンとこちらのブラスターでは射程が格段に違って、ボートはどんどんと沈んで行く。
「正也、自衛隊の船も来たわ!」
「よし、敵は任して、島に乗り込む」
 銃を後ろに置くと、二宮はスビードをマックスに上げる。敵の間を抜けて一直線に向かう。国後南端の泊が見えてきた。
「ねえ正也。逃げようよ!」
 突然ナターシャが腕をつかむ。半分泣き声だ。
「…何を言ってるんだ?」
「もういいじゃない、北方領土なんかどうなったって。二人でだったらどこも同じよ!」「…俺は自分を裏切れない。何度も言ってるが、決着は俺自身がつける」
 海岸近くの高地にヘリの発進口があった。ホバーを止めて、二宮は荷電粒子砲を構える。ヘリの出発と同時に、光の帯は突き進む。
 ドカーンッ!。ヘリは大炎上し、残骸が基地の中に墜落する。近くの岩場にホバーを止めて二宮は降りる。
「…嫌なら待ってろ」
「正也!?」
 ブラスターショットを片手に二宮は走り出す。ヘリの入り口の真下に人影が見える。気付かれるまでひたすら走った。相手が二宮を認めた時には既に五十メートルと無かった。ブラスターが絶叫と共に相手を消滅させていく。近くに入り口を見付けて中を覗き込むと、武器を持ったロシア人が登って来る。二宮は手榴弾を投げ込む。轟音と共に煙が巻き起こり、それが静まった時には敵影は無い。傷付いた階段を駆け降りる。
「ボートは十人乗りで十台より少し多め。基地に残っているのは五十人弱か…整備員を入れても百はいない。なんとかなるか…いや、する!」
 まだらな敵を撃ちながら、二宮は広い場所へ出る。どうやら格納庫のようだ。すると向かいからキュルキュルとキャタピラの音が響く。
「戦車か…」
 二宮はドラム缶の陰からブラスターを撃つ。すると戦車の砲身がこちらを向いた。
「何!?」
 ズドーン!!。ロケット砲がドラム缶を吹き飛ばす。二宮は左手に飛んでいたものの、爆風で体を叩き付ける。ブラスターも落としてしまった。戦車の砲身は自分を探している。「くそっ!」
 NLG−9を取り出して広場の真ん中に立つ。砲身が向きを修正するまでに三発撃った。しばらくの間の後、戦車は爆発をする。二宮はカートリッジを引き出して残弾数を調べる。「十三発と、予備が三十。きついが、武器はこれだけか…頼むぜ」
 二宮は銃身にそっとくちづけする。そしてガウンを脱いでアルスターコート姿になるとさらに奥へ進む。
 そこが行き止まりだった。奥にはあの銀色の缶が積まれている。そして戦車が三台並んでいる。そのうちの二台が動き出した。しかし二宮は、戦車を認めた瞬間に銃を連射していた。一台を爆破し、残りの一台も銃座が炎上する。弾倉を入れ替える二宮に、攻撃手段を失ったそのタンクが突っ込んで来た。
「うおっ!?」
 転がってよけた二宮に、バックして再び戦車は向かおうとする。既に弾を変えた二宮は至近距離を気にせずに弾をガンガン撃つ。そして爆発。二宮はさらに吹き飛ばされて、転がりながら背後の壁にぶつかる。
「ぐっ!。折れてはいないが…ヒビは入ったな。こんなとこに病院はねえぜ…」
 爆発の煙が消えて行く。二台の戦車は時折小爆発を起こしながら炎を上げている。二宮は銃を右手にぶら下げて、広場の中央へと進んでいく。
「後ろにプルトニウムがあるというのに、よくも銃を撃てるものだ」
 残っていた一台の戦車場に、中年の少し太った男性が立っている。れっきとした軍服姿だ。武器は何も持っていない。
「そんな怖い顔をするな。この戦車は私だけだから動きはしない。この基地の兵は全滅したよ。外はだいぶ善戦しているようだが、まさか乗り込んで来る奴がいようとはね…」
 相手は日本語でぺらぺらとしゃべる。二宮はしかたなく聞きながら呼吸を整えた。
「全く、今ロシアでは日本語でも流行っているのか?」
「私は極東軍の所属だ。中国語と日本語ぐらいしゃべれなくてはやっていけんよ。もっとも今は北方領土解放戦線の指揮官だがな」
 二宮はゆっくりと銃を上げる。しかし、体に力が入らないし、距離もあるので当たる保証は無い。相手もそれはわかっているようだ。
「私はイェルマーク。階級は大佐だ。二宮君、無理はしない方がいいね」
「…ロシア軍が何をしている?」
「馬鹿な事を聞く!?。なぜ我々がこの島に住んではならない?。我々はこの島で生れ、育った。この土地以外に何も知らない。それがこの島を見た事もない奴等に、なぜ取られなければならないのだ?」
 二宮は答えたくはないのだが、相手がそれを求めているので適当に言ってやる。
「…元々領土だからだろう?」
「何が元々だ!。だからと言ってなぜ我々を、ロシア人を追い出す!?。そんな日本の領土だった頃に生まれた日本人など、一人も生きてはいない。なのに我々は土地を奪われ、島を去る事を余儀なくされた。結局は金よ。漁場と、日本から見れば余った土地。それが欲しいだけだ」
「能書きはいい。仕掛けがないなら死んでもらう」
「これは失礼。後ろに用意した」
 二宮の背後に一人の人間が立つ。そして銃を向けた。しかし二宮は振り返らず、イェルマークに銃を向けたままでいる。彼が怪訝な表情を浮かべる。
「どうした、なぜ後ろを見ない?」
「必要が無いからだ。どうせナターシャだろう?」
 彼女の全身に痺れが走る。銃を持つ手がガタガタと震え、二宮の姿がタブり始める。
「これは不思議だ。ブルーラとわかっていて、なお仲間にしていたとはな?」
「正也…」
 二宮は姿勢を崩さない。そしてイェルマークは勝利を確信してかおしゃべりである。
「ナターシャもこの島の出身だ。SPBに潜入して、その情報を送ってもらう予定だった。ただ途中で作戦が変わってね、襲撃する事になったがナターシャに連絡できなかったのだ。それが不服らしくてね、あれから連絡も無かったし、同志を撃ったりもした。しかし、それは連絡をしなかったこちらも悪い」
 彼は視線を二宮からナターシャに移す。彼女の体が再び震える。
「もうすぐロシア軍本体がこの島に進駐する。ナターシャ、その男を撃て。そうすれば君も一生、この島で暮らせるんだ」
 二宮に会話がわかるよう、わざと日本語で言っているのが憎らしい。ナターシャは目を閉じた。さらに銃身が揺れる。
「…だから逃げようって…御免なさい、正也…」
 そうは言ってもトリガーを引けない。イェルマークも今か今かと待っている。しかし、一番最初に痺れを切らしたのは二宮だった。
「どうした?。早く撃て、ナターシャ!」
「ま、正也?」
 彼女が目を見開くと、二宮がこちらを向いている。いつもの厳しい顔で、銃は下に降ろしている。
「お前は居場所が欲しいんだろう?。だったら最低限、自分でつかめよ!」
「…正也…」
「撃てっ!」
 ズキューン!。弾が放たれた瞬間、二宮は目を閉じる。…ドサッ。イェルマークが戦車上から落ちる。床にすわり込んだナターシャが、頭に銃を当てた。
「ウッ!」
 日本語ともロシア語とも取れる呻きを彼女は上げる。二宮に蹴られた右手を左でつかむ。涙がだらだらと頬を伝っていった。目の前の風景が変わって、二宮が正面にすわっている。「…しかたがなかったのよ。だって、私も、私の親も、祖父母だってここで生まれて、そして死んで…ここが全て。どうしてそれを奪うのよ!?。大好きだった祖母も眠っているのよ?。どうして故郷を捨てられると言うの!?。だから、だから私は…」
 ナターシャは自分に泣き付く。それを肩越しに、二宮はしっかりと抱き締めてやる。
「…反対組織に入って、気付いたら奪回組織になっていて、取り敢えず日本に送られて…。でも、一年以上連絡もなくて、半分乞食に近い生活をして、それでやっと、SPBに潜入しろと指令が来て、東京に行けて、ひさしぶりにベットで眠って…なのにあっという間にまた何もなくなった。正也が捜査に連れていってくれない時、島の事を調べて、日本はどんどんビルを建てたりして開発してるし、ロシアは麻薬や武器の密貿易の中継地点にしてるって言うし…私はなんなのかって、故郷を取り戻す戦いをしているはずなのに、実際は島を汚す人間の手先だったのよ!?。大佐もあんな事言ったって、絶対自分だって金儲けしているのよ!?。私はただ、平穏に暮らしたいだけだったのよ。…それを、それを…。返してよ!。私の島を返してよっ!!」
「もう、いい。ナターシャ、もう泣くな」
「だって、私…正也を殺そうとしたのよ?。もういまさら、どうにもならないのに、それでも島に戻ろうとしたのよ!?」
「でも撃たなかった」
 バチバチと燃える戦車の炎が、いつ消えるとなく揺らいでいる。密閉された空間だからか、かなり熱くなってきた。ナターシャの腕が、痛く食い込んでくる。
「…撃てなかった。あなたを失ったら、本当に私には何にもなくなってしまう。正也だけは、失いたくなかったのよ…」
 二宮は力強く抱き締める。首元に顔をうずめて、ナターシャの涙は絶えなかった。
 
 
 
 
 
 



EPILOGUE

「ナターシャ、本当に東京に戻らないのか?」
 それは国後に臨時に設けられた自衛隊の基地である。ヘリポートの前で、二宮は島に残ると言ったナターシャと向き合っていた。
「うん。…やっぱり、ここが私の故郷だもの、いろいろと整理しなきゃ。…だけど正也。私…必ず行くから、あなたのところに。だって、私の居場所は…」
 それ以上は言葉にならない。涙を流すナターシャの頭に軽く手を乗せると、二宮はヘリに乗り込んだ。
 二宮は機上で、国後を含む北方領土を見下ろしていた。多くの血が流れ、自分の故郷を染めた。その結果故郷に残ったのは、幾つもの墓標。それは抵抗した人間を責めるべきなのだろうか?。
 ブルーラの結末。戦闘は自衛隊が辛うじて勝利を納め、即日ロシア極東軍司令官が謀反罪によりロシア政府によって処刑された。北方領土は日本の物として再び両国間で確認がなされ、ブルーラに関わったとされた山岸大悟は死亡のため裁かれる事はなかった。それが全てである。
 現代…それは自らとは関係のないままに動かされる時代。二宮はいつまでも、区別のつかない国境を見つめていた。
 
 
 

       国境。それは人と人との、心の境。
       故に人は争い、そして悩む。
       誰の物でも無いはずの、この大地…
       一体、国境とはなんのために存在するのか?。
       歴史の無い時代から、その見えない線は引かれてきた。
       多くの人間が、その線を幾つも欲し、奪い合った。
       しかし、故郷はたったひとつしかないのだ。
       それは、誰にも奪える物ではない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

      一年後、ある警官同士の結婚が、マスコミの間をにぎわした。



<目次>  <設定> 

   STAFF

  企画  中村嵐

  協力  ぴま

      鷹野夏生

   参考文献

  パイナップルARMY   工藤かずや・浦沢直樹  小学館

   SNATCHER     小島秀夫  コナミ株式会社

  幻影都市 〜ILLUSION CITY〜  (株)マイクロキャビン
 
 

       執筆  中村嵐 



   あとがき
 
 あとがきと申しましても、これは1995年、高校時代に書き上げたものです。ほとんど当時のまんま載せました。
文章的にはかなり下手ですが、読めなくはないレベルでしょう。何故そのようなものを載せたかというとコンテンツの充実というただそれだけです。
 当時はかなり自信があった作品・・・なんて書くとお叱りのメールがたくさん来そうですが、これは僕の書いた5つめの小説だと思います、確か。
それまでの作品はいつもいつも「どうしてこんなのしか作れないんだろうなあ」とか思っていたのですが、ブルーラを書き上げた時は初めて「いい作品が出来た!」と
思えたのです。今こうして改めて見ると、中盤の謎解きなどがちょっとへぼへぼですが、アクト1の導入のところや、ラストシーンの展開などはよく出来ていると思います。
・・・うーむ、昔の作品だからあまり何も思い浮かばないなあ。そうそう、設定資料はワープロ文書を読み込んでほとんど編集していないので少し見にくいかも。
御感想などのメールを頂けるとうれしいです。それでは。
1998.10.24早朝  ゲームボーイカラーが買えずに悲しい中村嵐