7・月に向かって打て!

<目次> <用語解説> <配役紹介> <前の回> <次の回>

 目覚まし時計のスイッチを消す。朝六時。七時の電車に乗って八時に学校に着く。中学の時より一時間早い起床だが、それも早一年。ようやく慣れたというところか。出来て十二年と言う新設校の割には珍しい、セーラの制服に身を包んで一回の食卓に降りる。
「ほら、いつまでも中学生気分でいないで早く御飯を食べなさい」
 母親に急かされてトーストを齧る。部活に顔を出さない姉は八時半までに行けばいいので自分より三十分程時間が遅い。自分が寝坊したり、姉が早起きしたり、テストなんかで朝の部活が無い時は一緒になる。
 バスに乗って稲毛駅へ。快速に駆け込み、三分で降りる。再び走り、一分で乗り換え。駅には三十分、そこから山学の通学バスに乗ってさらに三十分。新学期の山城学園に着いた。
「今日から新学期か…部長とか、佐藤先輩とか…もういないのか…」
 何故か三年しか男がいなかった。女しかいなくなると、もはやほとんどお茶飲みクラブとなってしまうような危惧もある。そう思って歩いていくと、昇降口近くでえみりと会った。全校生徒3600人のマンモス校、山城学園は各学年ごとに一校舎、クラス替えはあるが校舎は三年間同じ場所である。ちなみに特別教室などは特別棟といって馬鹿でかい校舎がある。パソコン部はそこの七階にあってエレベーターで行くのである。
「おはよう、えみり」
 するとえみりはびっくりした顔でこちらを見る。
「ど、どうしたの?」
「いや、昨日あったばかりなのに下の名前まで覚えてるから…あ、でも、部活一緒だって言ってたものね」
「…は?」
「あれ、パソコン部入るって言ってなかった? 私も、お兄さんいるから、そこにしようと思ってるって、昨日の入学式の時に話したじゃない? 名前覚えてるのに、そっちは忘れちゃったの?」
「…ま、まさか…」
「あら、山内さん?」
 倫子は走って特別棟に向かった。エレベーターに乗り込み、パソコン部に向かった。そしてパソコン部の扉を開けると…。
「おや、倫子じゃないか。早いのう」
 佐藤と上岡がいた。倫子はがっくりと膝を落とす。
「ゆ、油断していた…コメディなのに時間が進むわけないわ…しかも他のキャラはそれに気づいていないなんて…なんかそんなハリウッド映画があったような気もしたけど…」
「何してるんだ、倫子?」
 廊下の方を振り向くと池田が立っていた。倫子は涙を拭いつつ、立ち上がって膝の誇りを払う。
「いえ、何でもないです…私の心の中にそっと閉まっておきますから…」
「大丈夫。次のシーンになればお前も忘れているから」

 池田と佐藤はソファーの横のテーブルの上にノートを広げて何やら真剣な様子で話し合う。別に勉強しているわけではない。カードヒーローのブレンドくんの組み合わせを書いているのだ。オートセーブのカードヒーローでは確かめるだけ確かめてリセット、というやり方は通じない。ともかくゲームをしてお金を貯め、それによってどんどんカードを買い、合成の材料にするしかないからである。
「はあ…暇だわ…」
 ふと前を見る。西村は星のカービィ64をやっていた。先に進まず、ただひたすらカービィをぐりぐり動かしている。
「ウフフ…かわいいですぅ…」
「……」
 すると扉が開いた。姉でも来たのかと思ったが、見知らぬ女性が二人入ってきた。二人とも小柄だが、一人はショートの金髪に白い肌。外国人のようだ。もう片方は茶髪のツインテイル。なにやら顔グロなのだが余りブスではない。というかかわいい。白黒の二人はつかつかと入ってくると、金髪の方が池田の後ろに立った。
「兄上、なにしてるのですか?」
「うむ、ちょっとゲームの解析を…」
「あ、兄上? 外国人なのに堅苦しい言葉を…って、驚くのはそっちじゃないっ!」
 倫子は慌てて池田の側によると、腕を引っ張った。
「ちょっと、部長。誰です、この子?」
「ああ、妹のさくらだが?」
「せ、先輩ってハーフだったんですか?」
「いや、俺はれっきとした大和男児だが?」
「…妹さんは、どうみても外国人にしか見えないのですけど…」
「だって母親フランス人だから」
「…実の兄?」
「いや、別に腹違いでも兄妹は兄妹だと思うが…母親が昨年死んだから、今年からうちで引き取ったんだ」
「は、腹違いっ!? ま、まるで少女漫画のような設定をさらっというなんて…」
 頭を抱えてよろめく倫子。するとさくらが怪訝な顔をしながら首を傾げる。
「倫子さん、さっきから何言ってるんですか?」
「え?」
「同じクラスでしょ?」
「……」
 すると西村の横にいたえみりが英語の辞書を置いて顔を上げる。
「なんか今朝から変なことばかり言うのよね。春休み呆けしてるのかしら?」
 えみりの方を振りかえると、顔グロの方が自分のいた場所にすわっていた。パソコン部はかなり広い部室である。山城学園は全体的に設備が整っているのでどこも部室は広いが、パソコン部の場合は扉を開くと普通教室の半分ぐらいの空間がある。繋がってはいるが手前と奥でエリアが違い、奥は左手にパソコンが並び、右手がロッカー。部屋の中央に扉向きで29型のテレビがあり、その手前に低いテーブル。二人がけのソファーがテーブルを挟み、そこに今、自分と顔グロ、まりあとえみりがすわっている。俯瞰で見るとその下に普通の高さのテーブルが縦長にあり、長い辺にはパイプ椅子が三脚で八人すわれる。そこは今、池田と佐藤がソファー側に向かい合ってすわり、池田の横に紫緒、佐藤の横に上岡、そして池田の後ろにさくらが立っている。手前の通称「居間」の方の右手はキッチンがあり、パソコンエリアの右手には扉があってその奥は仮眠室といって狭い部屋があった。余談だがパソコンエリアでは石沢が作業している。
 さて、話を戻して顔グロだが、誰だか知らないが顔見知りのはずだ。
「思い出せば思い浮かぶのかしら…」
 すると彼女がプリクラ手帳を出す。と思ったが、生徒手帳にプリクラを張りまくっていただけだった。しかし、生徒手帳なので手前に学生証が入っている。緑川ひなの、自分と同じクラスだ。するとさくらが緑川の背後に立つ。
「ひなのさん、部活行きましょ?」
「え〜、なんかかったるいし〜、別にどうでもいいな」
「またサボるんですか? 怒られますよ?」
「パソコン部にいるって言えば平気でしょ〜?」
「じゃあ、私は先に行きますからね」
 そういってさくらは出ていく。緑川は溜息を着いた。
「さくらって相変わらずマジメよね〜」
 すると緑川は立ちあがってテレビの下のロッカーを漁る。
「まりあ先輩、そんなんよりデシカメ撮ろ、デシカメ」
「カメラですか? うふふ、いいですぅ〜」
 デジカメを取り出すと緑川と西村はパチパチと取り合ったり、一緒に写ったりしている。やがてパソコンエリアの方に行くと画像を編集して二人で歓声を上げていた。「…なんか、妙な組み合わせだけど仲が良さそうね…」
 えみりぱただひたすら英語の予習をしている。倫子は落ち着きなく辺りをきょろきょろと見回している。
「どうしたの、倫子?」
「いや、次は何のイベントが起きるのだろうと…」
「もう無いらしいわよ、このシーンでは」
「…オチは?」
「…ないんでしょ」
 
 山城学園は完全週休二日制を取っている。が、土曜は丸々部活に当てられることになっていた。設備の充実している山学ではグラウンドの順番待ちなどは無い。一日中みっちり練習するわけだ。運動系の場合は日曜は毎週の様に試合をやるか、早めに終わって休みにしてるところが多い。ちなみに文化系は音楽系を除けば土日とも休みなのだがパソコン部は日曜は完全休業だが土曜はやることになっていた。まあ、遅起きでいいからそんなに苦ではないのだが、その日は早めに来いと言われていたので十時ぐらいにパソコン部に行った。ところが鍵がかかっている。
「あれ、まだ誰も来てないのかしら…でも私、鍵持ってないのよね…」
 携帯をかけた。しばらくして相手が出る。
「どうしたの、倫子?」
「あれ…なんで部長の携帯なのに姉さんが…」
「今練習中だから預かってるのよ。あなたは今どこなのかしら?」
「部室の前だけど…」
「今日はそこじゃないわ。山城スタジアムよ。聞いてないの?」
「…初耳よ」
 校舎の奥に六階建ての体育館と、音楽系の部活が集まる市民会館並みの芸能ホールがある。その背後にあるのが山城スタジアムだ。一万五千人収容の本格的な野球場である。ちなみにサッカーコートや陸上トラックが近辺にある。
「観客席には行ったことあるけど…グラウンドってどうやって行ったらいいのかしら?」
「あら、倫子ちゃん。遅かったわね」
「ああ、都合よくえみりが来たわ。どこ行ってたの?」
「コンビニに買い出しよ」
 スポーツドリンクの詰まった袋を二つ下げている。片方受け取ってグラウンドに出る。野球場に来たのだから野球をやるには違いない。紫緒がノックして、それを池田と上岡が受けていた。律子はベンチの中に入っている。倫子はそこに行った。
「うちって体育会系みたいなこともするのね」
「部長と紫緒は元々スポーツ万能なのよね。だからよくスポーツはやるのよ」
「はあ…ところで、試合はいつなの?」
「今日よ、というか今からよ」
「ふぅ〜ん…そうなんだ…」
「あら、そんな呑気なこと言ってるけど、あなたスタメンでしょ?」
「スタメン?」
「スターティング・メンバー。先発メンバーのことよ」
「いや、それはわかるけど…私が?」
「そうよ」
「…なんで?」
「部長がそう言ってたわよ」
「あの…私、野球経験ないんですけど…」
「そう言っても、部長がそう言ってるからには出る羽目になると思うけど…」
 すると反対側のベンチにどやどやと人がやってくる。服装がバラバラのうちと違い、ちゃんとユニフォームに身を固めている。さくらとひなのの姿もある。
「対戦するのってあそこ?」
「ええ、そうよ…あら?」
 向かいのベンチから、女性がズンズンやってくる。オレンジ色の、あの髪の人だ。
「あら、律子。あなたがいるなんてどういう風の吹き回しかしら?」
「別に、自分の部活の行事なんだからいたって問題ないんじゃないかしら?」
「フン、素直に男と出掛けていればいいのに…」
「なにやってんだよ。お前んとこの練習、始まってんぞ?」
 紫緒が戻ってきて汗を拭いている。広瀬は鼻で笑った。
「まったく、あんたも出来もしない野球をよくやるわよね」
「…お前だって去年の今頃はグラブも使えなかったじゃねえか?」
「それはもう、あたしはボンクラとは違うからね…」
 バチバチと女の火花が飛び散っている。するとグラウンドの方から声がかかった。
「おい、ナーム! 始まるぞ!?」
「はいはい、今行くわよ!」
 そう言って長い髪を揺らしながらグラウンドの方へ駆けていく。倫子がぼそりといった。
「…クラスメイトじゃなかったんだっけ?」
「あら、あなたってクラスメイト全員と仲がいいわけ?」
「…別にそういうわけではないけど…」
「よ〜し、作戦会議だ。八時だよ!」
「へ?」
 唐突に池田が叫ぶ。倫子がきょとんとしているとまりあが拳を突き上げながら雄叫びを上げる。
「全員集合〜!」
 そうするとバラバラにベンチに陣取っていた部活の面々が池田の周りに集まっていく。倫子は少し、眩暈がした。
「…ちょっと辞めたくなったような…」
「さて、今日はパソコン部vs空手部の野球試合だ! 生徒会規則第4章・部活動対抗戦に則って行われる! 全員日頃の練習の成果を出して頑張ってもらいたい」
「あ、あの…」
 おずおずと倫子は手を上げる。
「あの、私…一度も練習していないんですけど…」
「そりゃまあ、新入生だから仕方ないな…」
「…はあ」
「しかし人数が足りないので仕方ない。ポジションはレフト。サードの後ろの外野だ。ボールが転がってきたらともかく止める! 野球は体のどこで弾を触わってもいいからともかく止めたら、俺がショートだから投げればいい」
「フライが上がったらどうするんですか? 私、そんなの捕れませんよ?」
「誰かが来るまで落とすな」
「…は?」
「野球のフライアウトは、地面に落とすまでに捕ればいいのだ。つまり、体に当たる分には問題ない。事実、昔ランナー一塁で巨人の杉山がキャッチャーフライを捕ろうとしてこけて背中の上に乗ったことがあるが、投手の槙原が地面に転がる前に拾って一塁に投げたからバッターはフライアウト、一塁ランナーは飛び出しでダブルプレイになったことがある。だからお前も誰かが捕りに来るまで落とすな」
「そ、そんなこといっても私グラブなんか使えませんってば…」
「わかったよ、じゃあ両手を腹の前で組め」
「は? こ、こうですか?」
「そしてそれをぐっと上に上げる」
「こ、こうですか…」
「その胸でパスっと受け止めろ」
「は、はあ? そんなことできるわけないですよ!」
「まったくピイピイうるさいな。そんだけ厚ければ痛くないだろ?」
「そういう問題じゃないです!」
 するとベンチにすわっている佐藤がニタリと笑っていった。
「感じちゃうから駄目なんだってよ、ゲヘヘ…グフッ!?」
 倫子が手にはめていたグラブを顔面に投げつけた。引っ繰り返ってベンチの後ろに転がる佐藤がつぶやく。
「な、なんでオレ様だけ…池田だって同犯なのに…」
「しょうがねえだろ、それが佐藤先輩の役柄なんだから…」
「紫緒、お前も言うようになったな…」
「さて、そろそろ試合だな…」
「って、人数足りるんですか? うちの部活、えみりやまりあ先輩を含めて9人ですけど…」
「それはあれ、助っ人借りてるから大丈夫」
「助っ人?」
「お待たせ〜」
「あ、あなたは部長の従妹の和佳子さん…野球できるんですか?」
「昔ソフトボールかじってたことあるのよね。だから投手よ」
「草野球投げってボークじゃないんですか?」
「草野球だから気にするな。相手の許可は取ってある」
「はあ…」
「よう、池田。来てやったぞ!」
「こ、今度はいつぞやのクリスマスの竹内先輩!?…あの、部長。今ふと思ったんですが…」
「うん、なんだ?」
「相手のチームも広瀬先輩とかさくらやひなので…も、もしかして、今まで無意味に登場したキャラって、全部この野球の試合の為の複線だったわけですか?」
「おお、倫子。お前もなかなか察しが良くなってきたじゃないか? 父さんはうれしいぞ」
「…なんつう無意味な複線なのかしら…どわっ!?」
『皆様お待たせしました! 空手部対パソコン部、因縁の野球対決がいよいよプレイボールです!』
 突然マイクを持った女性が隣に現れた。倫子はぶったまげて思わずあとずさる。
「だ、誰ですか、あなたは?」
『これはこれは御紹介が遅れました。わたくし、放送部の名物アナ、小野亜理彩と申します。あば本編でのナレーションを担当し、万が一アニメになったら一番台詞が多いと言われていますが、あばげまでは今回が初登場でございます。『』に挟まれた台詞は、私が実況している台詞だと御理解ください』
「…おい、小野。お前の居場所は放送席だろ…」
「だって〜本編ではでまくりなのに、あばげまではやっとこさ登場なのよ〜。私ももっと出して〜」
「うるさい、早く放送席に行け!」
『キャッ! そ、それではいよいよ試合開始です。先攻はパソコン部。まずは守備につく空手部のメンバーを紹介いたします。ピッチャー中井美樹、キャッチャー片野仁美、ファーストが四條貴美子、セカンド広瀬ナーム、サード松田千夏、ショートが池田さくら、外野はレフト宮本麻衣、センター中井雄弌、ライト中井雄次です。対するパソコン部の先頭バッターは、一番レフト、山内倫子!』
「…は?」
「どうした、早く打席に立て」
「わ、私が一番?」
「他に人がいないんだからしょうがねえだろ」
「…知りませんよ」
 山内はヘルメットを被って打席に立つ。投手の中井が振りかぶった。
 ズド〜〜〜ン!
「へ?」
 倫子は呆然とする。捕手の片野は中井に球を投げ返した。
「タ、タイム!」
 倫子は小走りにベンチに戻っていく。
「どうした、また初球だぞ?」
「あ、あの…今の球、なんか有り得ないぐらい速かったような気が…」
「なに、140キロぐらいでびびってどうする!」
「…相手、女性ですよね?」
「中井は桃色筋肉の持ち主だから仕方あるまい」
「いや、言ってることが訳わかんないんですけど…」
「つべこべ言わずに三振してこいっ!」
 と、言うわけで三球三振。後続も倒れて攻守交代となった。
「ああ、例え150キロのストレートが来ようとも、打席よりも守備の方が嫌だわ…」
 倫子はレフトに着いた。そしてふと、自分を助けてくれるセンターの方を見た。
「あ、あれ?」
 倫子は目をぱちくりさせる。そして大きく手を振りながらショートの池田の方へ走っていった。
「タ、タイムタイム!」
「なんだ、倫子。お前はさっきからタイムばかりして…」
「だ、だってセンターがいないんですよ!?」
「そんな馬鹿な話が…あ、本当だ」
 腕を組んで考え始める池田。そして手をぽんと叩いた。
「そうだ、センターも助っ人なのに、今までの話で出し忘れていたんだ」
「は、はあ…」
「まあ、どうせ男だからそこに立っていたということで…」
「ちょ、ちょっと待ってください! 同じネタを連続で使うのはコメディとしてどうかと思いますが…」
「ったく、面倒くさいな。ほら、生徒会長の掛川弘だ」
「よろしく、山内さん。話は池田から聞いているよ」
 いきなり登場した掛川と握手を交わす。真面目そうな雰囲気に倫子は思わず固まった。
「じゃあ、センターの守備につくよ」
 そういってセンターに走っていく掛川。倫子がぽつりとつぶやいた。
「もしかしてあの人、サマーソルトシェルとか出したりします?」
「うむ、俺もいつかは出すんじゃないかと思っているのだが…」
「…いいんですかね、そっくりですけど…」
「案ずるな、うちの生徒会はストゼロ生徒会と呼ばれている」
「…はあ」
『さあ、ようやくパソコン部が守備につきました! ピッチャー池田和佳子、キャッチャー竹内進のバッテリー、内野はファースト佐藤豊、セカンド上岡健司、サード西村まりあ、ショート池田直也。外野はレフト山内倫子、センター掛川弘、ライト神埼紫緒です。対する空手部のバッターは一番ナーム広瀬っ!』
 始めて立つ野球のグラウンド。レフトの定位置からはホームは随分と遠い。正直言って、暇と言うか、寂しいというか。
「どうでもいいけど、サードが西村先輩で、レフトが私で…こっち側大丈夫なのかしら? こういってはなんだけど、西村先輩はまともにボールを捕ったり投げたり出来ないような…」
 そうこう考えていると、広瀬が球を打つ。ボールはサード方向に飛んだ。その瞬間、倫子は目を疑った。西村がファールグラウンドの方に逃げ出したからだ。
「ま、まさか私なわけ? そ、そんなの聞いてないわよ!?」
 何はともあれダッシュする。が、ショートの池田が物凄いスピードでサードの方へ走ってくる。左腕を伸ばしてグラブにボールを入れ…つまり逆シングルでキャッチすると振り向き様に一塁に送球した。が、僅かに及ばず内野安打になる。
「…な、何? 今のは…も、若しかして三塁は部長が守ると言うことなの?」
 と、言うことは、レフトの自分は自分でやれということだ。倫子はがっくりとうなだれる。
「はあ…飛んでこないことを祈るだけか…」
「レフトォ! 少し下がれっ!!」
 センターの掛川の声に倫子は顔を上げる。バッターが打った球が高々と上がっている。
「ええ!? いきなりこんなに高いフライ!?」
 少しずつ後ろに後退りながら両手を上げる。しかし、どこにボールが落ちてくるかなど見当がつかない。やがてボールは頂点に達し落下し始めた。
「こ、ここらへんでいいとは思うんだけど…うん?」
 ふと前を見ると、池田が物凄い勢いで突進してくる。まるでこのフライを捕ろうとしているようだ。事実、彼の視線は上空の白球を追っている。自分は視界に入っていないようだ。
「こ、これはラブコメにありがちな激突ネタ!? ま、まさか私の胸に顔を埋めるとか…あわわわ…ど、ど〜しよう!? で、でも部長だし…」
 すっかりフライのことは頭から消え去る。その間にも白球と池田は倫子に迫っていた。
「く、来る!?…キャン!」
 それはまるで、漫画の一場面にありがちな、道路に飛び出してトラックに跳ねられた子犬のような悲鳴だった。憐れ倫子は池田に突き飛ばされ、池田はバックハンドのままボールをキャッチした。そして振り向き様に中継の上岡に送球する。
「ナイスプレイ!」
「おうよっ!」
 センターの掛川と声を掛け合う。地面に転がったまま、倫子は怒りを爆発させる。
「な、な、何よ、この扱いは!? 仮にも主人公よ、私は!?」
「おい、いつまで転がってんだ、お前は?」
「ひ、人を突き飛ばしといて…「大丈夫か?」ぐらいは声をかけたらどうなんです?」
「何言ってんだお前は。大空翼はダンプカーに轢かれてもサッカーボールで衝撃を吸収して無傷だったんだ。お前は二個もついてるんだから平気だろ」
 池田はそう言うとは戻っていく。倫子は一人ぽつんと広いレフトのグラウンドに残された。
「…確かに、姉さんの言う通り酷い男だわ…」
 一回の攻撃は両チームとも0点で終わった。既にヘトヘトになってベンチに着く倫子。
「はあ…でも、取り敢えず次の打順まではベンチで休めるわ…」
 するとベンチの後ろにすわっていた佐藤がバットのグリップでぽかりと頭を叩く。
「こら、さっさとネクストサークルにいかんか?」
「え? 私、さっき打ったばっかしですけど…」
「そんなのいつの話だ。もう九回表の攻撃じゃねえか」
「…ええっ!? 一回の攻防を書いただけでもう九回?」
「しょうがねえだろ、くだらないシーンに字数をかけすぎて長くなりすぎてるんだ。ただでさえ枚数制限を無視して書くと文学仲間に非難されているんだからここらで終わりなの!」
「は、はあ…」
 打席の上岡はあっさりと2ストライクに追い込まれた。たまらず池田がタイムをかけて呼び寄せる。
「こら、上岡。たかだか150キロも打てずに俺はメジャーの方が向いているなどど泣き言を抜かすな!」
「いや、僕はそんな二軍でくすぶってるドラフト一位みたいなことは言ってませんけど…」
「ともかく1対0で負けているんだ。ここは特殊作戦で行こう。名づけて「青春の涙」作戦だ!」
「…は?」
 隣で聞いていた倫子はぽかんとする。池田はバットを持って身構えた。
「こういうふうに前屈みになって、バッターボックスの内側のラインぎりぎりに立つんだ。そうすれば相手は内角に投げられない。それでフォアボールを狙っていけ!」
「ほ〜い」
 上岡は言われた通りに立つ。ピッチャーの中井は眉をしかめながら外角低めにファーストボールでボールになった。
「おら、ヘボピー! 怖くて内側投げられねえのかっ!?」
「オラオラ、ピッチャーびびってんぞっ!? 押し出しだぜ、押し出し!」
 池田と佐藤が中井を挑発する。中井がきっとなってこちらのベンチを睨んだ。
「黙りなさいよ! 見てなさい!」
「…二人とも挑発したら作戦が台無し…ん、待って。もしかして本当は…」
  ボコッ! 音だけでは何が起きたかわからないほど鈍い音が響いた。池田がベンチの中に振りかえる。
「えみり。代走」
「ただ走るだけですよね。じゃあ行ってきます」
「よーし、ノーアウトのランナーだ。倫子、大事に行け」
「あの…上岡先輩、ピクリとも動きませんけど…」
「何、ビデオゲームの死体は勝手に消えるから気にするな」
「…はあ。それはそれとして。私、とても打てませんけど…」
「がたがた言わずに、目をつぶって三回振れ。中井はファーストボール中心だから振れば当たる時もある。後は一塁に向かって走れ! エラーで出塁も出来るのが野球だ。プロでも守備率は九割八分前後なんだ。恐れずに行け!」
「…最後の最後にまともなことを言われて言い込められたような…」
 倫子は恐る恐る打席に立つ。そしてバットを振った。カツン。
「あ、当たった! というよりかすった!?」
 一塁に向かってどたどた走る。ぼてぼてと転がったため、二塁はアウトになったが倫子はぎりぎりセーフになった。
「はあはあ…ラ、ランナーにはなったけど…」
 打席に紫緒が入る。するとベンチの池田が立ち上がった。
「倫子〜〜! サインを出すぞぉぉっ!」
「サイン? そんなの習ってないけど…」
 しかしその瞬間、倫子も、相手の空手部の面々も目を疑った。池田は二塁を指差して、その後走る仕草を見せたのだ。
「わかったかぁぁ!?」
「…ええ、よくわかりましたとも」
 投手の中井はちらちらとこちらを見ている。しかし倫子は、池田の無理な指示だからアウトになっても構わないだろうとほとんどリードしなかった。そのため中井は牽制球を投げられない。そして振りかぶった。それとともに倫子は走る。
「というか、絶対アウトのような気がするのだけど…え?」
 カキ〜ン。金属バットの鈍い音が響く。倫子は思わず足を止めて振り返ると、紫緒の打った球が転々とライトを転がっている。
「や、やばっ! 走らないと!?」
 ベンチでは池田が拳を握り締めている。
「フッフッフッ…盗塁を防ごうとストレートを投げるから狙い撃ちだ…阪神の山田程度の頭じゃ見抜けまい」
 サードコーチの西村がぐるぐると腕を回す。三塁を蹴って倫子は本塁に突入した。捕手の片野がマスクを投げ捨てて構える。ニ、三歩手前でボールが返ってきた。本塁激突! 倫子は片野を押し倒すようにして本塁に覆い被さった。
「アウトォォォッ!」
 審判が高々と手を挙げる。中井と片野が抱き合って喜ぶ。空手部の喚起の輪の横で、倫子は呆然とすわりこんでいた。

「1対0か…今年も結局中井を打ち崩せなかったではないか?」
 ベンチ前での反省会。池田はおかんむりである。
「…こんな素人ばかりのチームで、150キロ打とうって方が無理のような…」
「まったく、倫子は口ばかりピイピイうるさいな。コッコ(律子)は物忘れが激しいし…そっか。姉妹揃って鶏なんだな。お前は今日から「ピヨ」と命名しよう」
「は? なんでいきなりそんな渾名をつけるんですか?」
「気に入らないか? ならピヨピヨでもいいが…」
「ウフフ…ぴよちゃんですぅ…」
「……」
「まあよい。この悔しさを忘れずに明日から特訓だぁ!」
「ちょっっっと待ったぁぁぁっ!」
 佐藤がベンチの裏の入り口に立って叫ぶ。彼は段ボールケースを大量に手にしていた。
「ビールかけ用に用意した、この大量の炭酸はどうするんじゃ!? オレ様は代金ももらってないぞ!?」
「アンタ、あんなの頼んだの?」
「いや、まったく憶えがないが」
 紫緒の問いかけに池田はすらっとつぶやく。よろけながら佐藤は池田の前に詰め寄った。
「ど〜〜〜にかしてくれ! こんな市原の山奥から持って帰るのも馬鹿馬鹿しいし…」
「うーむ…そうだな、ここはやはり罰ゲームだろう」
「うむ、となると今日の敗因だな。点を捕られたのは雄弌のホームランだから仕方あるまい。そうなると点を取る時のミスか…そう言えば最終回、本塁で憤死した奴がいたような…」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!? あれはギリギリだったじゃないですか? あれを責められても、私困ります!」
 佐藤に抗議する倫子。すると池田が横から肩を叩いた。
「ピヨ。お前今、「ギリギリ」と言ったな?」
「は?…はい」
「…スタートした直後、一瞬立ち止まったのは誰だったっけなあ?」
「え?…あ、あれは紫緒先輩が打ったからちょっとびびって…」
「問答無用! 今日のお仕置きはピヨこと山内倫子に決定っっっ!」
「キャ、キャアァァァァ!?」
 憐れ、部員たちによって炭酸を浴びせられる倫子。ベンチで片付けをしながらえみりがつぶやいた。
「…ああいうことするから部長は嫌なのよね…」
 祭りが過ぎて、グラウンドの水溜りに、ビショビショになった倫子がうつろな目でたたずんでいた。律子がタオルを投げ渡す。
「…ありがと」
「そんな寂しそうな顔をするんじゃないの。水も滴るいい女になってるわよ?」
「…慰めになってないってば…はあ。なんか、ちゃんとしたオチがついてしまったわ…」


<目次> <用語解説> <配役紹介> <前の回> <次の回>
2001.1.1